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【キングダム】李牧軍まとめ [趙三大天・最後の砦・好敵手]【趙軍】

趙国三大天のひとりにして趙軍総司令でもある李牧が直々に指揮する李牧軍。総力を挙げて趙を滅ぼすべく襲来する秦軍から趙を守る「最後の砦」ともいえる軍ですね。

内乱により壊滅状態に陥りましたが今後も活躍が必須となります。
この李牧軍がどのような概要で趙国内でどんな立ち位置となっているのかまとめていきます。


傑物 李牧

李牧軍は趙の武威の象徴であった三大天の消失後、新たな趙三大天として君臨する。もう一人の三大天 龐煖は軍を指揮する事のない特異な存在で独自の軍は持たず、残る一席は空席となっているため、実質三大天が指揮する唯一の直下軍という事になりますね。

龐煖を切り札に用いる事が多く、李牧が指揮を執りながらも実際に敵将を討ち取るのは龐煖という場面が多いですが、李牧本軍にも強者が揃っており中華屈指の精強な軍といえるでしょう。

この李牧軍の中核を担う将校たちの大部分は李牧が趙三大天任命前に担当していた趙北部の辺境 雁門にて李牧と共に激戦を戦い抜いた叩き上げの戦死たちです。

所属武将

大将 李牧
趙の軍総司令でありながら一時期は宰相も務めていた政戦両略の天才。

実績として大将軍 王騎・劇辛という2人の英雄を討ち取り中華に名を轟かせている。さらには中華屈指の戦略眼と外交能力を併せ持ち歴史上一度しか成立しなかったとされる六国同盟による合従軍設立を成し遂げています。

自身が先陣を切る事はほぼありませんが個人武力は高いレベルにあり、信の一撃を真正面から受け止めていたり、王翦軍 左翼に奇襲をかけ大将を討ち取る荒業を成し遂げています。智と勇と兼ね備えるまさに三大天の名に相応しい傑物ですね。


舜水樹
【将軍】

李牧軍副官「北の遺児」と呼ばれる李牧軍随一の智将。感情が乏しく常に無表情だが、思考を巡らせると一転して雰囲気が変わる。どうやら匈奴に縁があるようで匈奴の言葉も話している。情報収集・分析に優れており王翦が偽造した進路変更もいち早く見抜いている。
李牧の投獄と邯鄲軍不動の知らせを受けて激昂し趙王を愚かと愚弄。現趙王家を抹殺し李牧を王に即位させると提案を持ち出す過激な一面も持つ。

慶舎【将軍】

李牧軍副官「沈黙の狩人」の異名を持つ。麃公と異なる本能型の武将で、蜘蛛の用に幾重にも策を巡らせ、相手を誘い込み討ち取る知略家であるばかりか、信と打ち合えるほど武力を持つ知勇兼備の名将。
元々は戦争孤児であったが、その戦略の才能を李牧に見出された。その軍略の際は凄まじく、李牧との模擬戦では李牧に何度か勝ち、その戦い方故に李牧からは「自分でも実戦で慶舎を討ち取るのは至難の業」と言わしめる程。市松模様の頭飾りに見られるように、同じ市松模様の馬装で統一された直属の配下らの中でも、近衛兵は桓騎兵や飛麃を圧倒するほどの実力を持つ。
少数の兵を率いて来た信との一騎討ちに敗れて戦死。
李牧の右腕で3人目の三大天候補にも挙がるほど趙軍内で有力な将だったので彼の損失はかなりの痛手でしたね。

馬南慈【将軍】

李牧軍副官「雁門の鬼人」の異名を持つ、李牧軍随一の猛将。
単に武力が高いだけでなく戦術にも秀でている傑物です。


カイネ
【三千人将】

側近の中でも若手の二刀流剣士で雁門出身、両親を匈奴に殺害されたことから憎悪していた。当初は李牧の撤退戦術に反発し嫌っていたが、後に心服

傅抵【三千人将】

三大天の一角になる野望を抱いている。同世代のカイネに好意を寄せているが、いつもあしらわれている。
速さを活かした二刀流の剣士で、対決した信も「速さは羌瘣並み」と動きについていけませんでした。

雷伯【将軍】

共伯と共に麾下の兵士達らと同じく、李牧の戦術を徹底的に仕込まれている。鄴編では、朱海平原決戦十五日目で王翦本軍と対峙する。邯鄲に連行される李牧に代わって鄴包囲の指揮を執る。しかし鄴を完全に秦に奪われたため扈輒に従い撤退。


共伯
【将軍】

雷伯と同じく、麾下の兵士らと共に李牧の戦術を徹底的に仕込まれている。鄴編では、朱海平原決戦十五日目で田里弥・倉央軍と対峙。李牧の戦術を用いて、田里弥と倉央らを翻弄する。その後は本陣に迫ってきた糸凌と一騎打ちするが、討ち取られ死亡する。


晋成常
【将軍】

常に笑みを絶やさぬ老将。陽気ながら峻烈な言動が目立つ。合従軍編で李牧軍副将を務める。蕞の戦いに敗れると李牧を諭して殿軍を引き受け、最期はバジオウに討たれ戦死した。

馬風慈【五千人将

馬南慈の息子。


魏加

「中華十弓」の一人。馬陽編で新時代の幕開けに自らの軌跡を残すことと龐煖を守るため、汚名を覚悟で王騎へ一矢報いた後、激昂した信に討たれ死亡した。

李牧に付き従う将校の大半は雁門時代からの部下で匈奴による地獄を生き抜いた猛者たち。天敵匈奴を壊滅へ導いた李牧の偉業からか国や王に対して以上に、絶対の忠誠を李牧個人に捧げているようです。

李牧軍の戦い方と強み

李牧軍の戦闘形態は基本的には迎撃戦を主としており、これは雁門時代の敵が匈奴であり防衛戦が主体だったためでしょう。李牧軍では盾兵による受けを起点として硬軟使い分けた巧みな防衛陣を敷いています。
武力任せの強烈な一撃のみならず変化で翻弄する波形突撃にも対応できます。この盾兵の強さは攻撃を受け流す虚脱の技術と度胸にあり、糸凌の放った強烈な一撃も防ぎきっている。

そしてこの精強な兵たちの能力を将が引き出すことでさらに強化されます。李牧軍内は将軍級のみならすま部隊長級までもが李牧が戦略を徹底的に叩き込んでいる。そのため李牧がいちいち指示を送らなくても現場判断で遜色ない対応を取る事ができる。

受けに強い兵と優秀な将校が合わさり高度な迎撃術を実践しています。


さらに合従軍での麃公との対戦から、麃公から本能型の戦い方を会得し、部隊長へも学ばせ知略と本能の混合軍へと進化を遂げています。

将はともかく軍全体で本能型の模倣ができる軍は李牧軍の他なりません。


そして、もう1つの強みが李牧の騎馬隊の機動力です。元々は雁門を守っていた兵たちでその軍馬も対匈奴用の名馬たちです。

彼らが全力で馬を走らせれば他国の騎兵では追いつくこともできません。
さらに雁門馬は断崖絶壁も簡単に駆け下り敵の想定外の奇襲を可能とします。王騎すらも李牧軍の進軍速度を見誤り策に嵌められたほどです。
このように李牧軍は自慢の馬速を活かして敵の意表を突く戦術を取っています。

李牧軍の弱点

決定的な弱点は見当たりませんが、得意の迎撃に比べると攻撃時の攻めの強さは見劣りしますね。馬南慈という剛将の切り札もいますが、それ以外では攻め手に欠けるように見受けられます。馬南慈が足止めされてしまえば攻めの戦術が大幅に弱まってしまうでしょう。

攻め手の増員としては、まだ三千人将止まりの傅抵とカイネの成長に期待できるので伸びしろは十分です。


趙国内での立ち位置

李牧軍の趙での立ち位置ですが非常に微妙な状況と言えます。趙国内での人気は絶大であり好意的な将も多いようです。
しかし、李牧は王や政界からは疎まれており内乱にまで発展し逆賊の汚名まで着せられることに「反逆者」として討伐軍を仕向けられる始末。
追手により逃亡中に多くの兵を失い大幅に弱体化してしまいます。

それでも生き残った兵をまとめて、3人目の三大天候補であった司馬尚の領地へと逃げ込んでいます。ただでは起き上がらぬ姿勢を示し配下たちと再起めがけ奮起します。

信と同世代の若手の成長も併せて新生李牧軍の活躍に期待ですね。


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