本格ミステリ論。ふざけるなZ世代

私、いくつかの作家系のコミュニティに参加しています(していました)。
ユーザーの大半はいわゆるZ世代と呼ばれる十代後半から三十歳くらいが多く、そこで若い故に、議論の内容が「おや」と思うことが幾ばくかありました。
ここでは特に引っかかった、本格ミステリに関する二点の問題をあげております。


今回の内容を書くきっかけとなったのが、ミステリ(しかも本格派指向らしい)を執筆しているというアマチュア作家の集まったチャットルームです。
そこで、驚嘆する発言が飛んでおりました。

読者への挑戦状について

「読者の挑戦状って、書いてあったら冷めるんだよね。あれは有栖川有栖が始めたんだよね? やめてほしい」

はあ?
君は、生産者の顔がみえる野菜は買わないタイプなのか?

読者の挑戦状は過去に何作も登場するほどメジャーなものです。新本格派(綾辻氏、有栖川氏等)以前から存在し、その筆頭格といえるのはエラリー・クイーンです。有栖川有栖氏は、自他共に認めるクイーン好きですので、その影響が如実に出ているのが「読者への挑戦状」と言ってもよいでしょう。

始めたのはコニントンらしいですが、一般的に広めたのは、ミステリの黄金時代を支えた四天王のひとりであるエラリー・クイーンでしょう。
いわば黄金期を象徴するといっても過言ではなく、それを否定することは本格ミステリを否定することにならないかと、私は眉を顰めました。
否定するのはまだマシですが、それがエラリー・クイーンが元祖と間違えるならまだしも、有栖川有栖氏の名前が出て驚きました。

真に本格ミステリ好きであれば、そこら辺の知識は必須科目だと思っておりましたので、呆然としました。

これがジェネレーションギャップというものでしょうか。
まだ、ただのミステリ好きの読者なら許せるのですが、「本格ミステリを書いています」と豪語している人が、その発言を放ったので、私は戦慄しました。
もう、そういう時代が来ているのだと。海外ミステリなどまったく読まない、古典も読まない世代なのだと。

人間を描くことについて

「本格ミステリって人間を描けていないよね。僕は心理描写バリバリの本格ミステリが読みたい」

えっ?
あなたは、パズルを組み合わせながら、このキャラクターの表情がイマイチだなと細かく文句言うタイプですか?

最近になってミステリに嵌まった方は知らないようですが、新本格派がデビューして間もない時、「人間が描けていない」という批判はめちゃくちゃありました。
私が新本格派を読み始めたのが中学生時分ですので、作家たちがデビューしてから七年ほど後です。当時でも、その火はまだ燻っていた記憶です。

しかし、同時期に、金田一少年、名探偵コナン、あやつり左近といったミステリ漫画が、各少年漫画週刊誌で連載され、本格ミステリを受け入れる土壌が若者たちに出来上がっていたといえ、そのため、新本格派が廃れなかったのではないかと勝手に推測しております。

話を戻します。
本格ミステリに人間を描くことは必要かどうか論ですが、これは散々擦られてきた議論なので、今更これに突っ込みをいれるのは藪蛇で、その辺は好みで取捨選択していくものだと思っておりました。
何でしょう。たとえるなら、昔の痴話喧嘩を再び蒸し返されたような、そんな不快感がありました。

本格ミステリという性質上、登場人物の心理などを細かく描写すると犯人やトリックが安直になってしまうという点がありますので、難しいと思います。
作家の中にはパズルだと割り切って、その点をカットしている人もいることでしょう。

私が学生の頃は、上記の批判が来たら、「それなら社会派ミステリでも読んでろ」と突っぱねたものです。

旧態依然の老人の戯言ではないか

ここまで考えて、私は、ふと思いました。
若い世代や最近ミステリ好きになった方々に、このような思考で接するのは、自分自身が嫌っていた「昔は良かった」というタイプの人間ではないか。
旧態依然の老人の戯言、いわゆる、老○と揶揄される対象ではないか。

昔話や武勇伝や知識をひけらかす、私が嫌悪感をもつタイプの人間と同じことをしているのではないかと、自己嫌悪に陥りました。
私は高田純次になりたいのではないのか。飄々として、場を楽しませ、若者を尊重する人間になりたかっただろうと。

いいではないか。若者の知識が浅くても。
私も、ガチ勢と呼ばれる人と比較すれば、読書量も知識量も圧倒的に劣ります。
既成概念に囚われない若い脳の方が、破壊と再構築を繰り返して、今までにない全く新しいミステリを提供してくれるのではないか。

タイトルに、ふざけるなZ世代と書いていますが、むしろ、もっとふざけろZ世代
私たちの凝り固まった脳を破壊するような本格ミステリを書いて欲しい。

本格ミステリとはなんぞや

とある作家さんは、過去のインタビュー記事か何かで「本格ミステリは雰囲気」と仰っていました。
私は学生時代にこの発言に共感して、何度も頷いたものです。
昨今、一部の読者には「ちゃんとした謎解きがある=本格ミステリ」と思っているきらいもあり、「それはちょっと違うんだよな」と反論したい。

お笑いというジャンルには漫才があります。同じように、ミステリには本格ミステリという細分化されたジャンルがあります。
漫才には、しゃべくり漫才、漫才コント、更に細分化するとシステム漫才があります。それらをすべてひっくるめて、漫才といいます。

同様に、本格ミステリにも様々な形があるので、一概に「これが本格だ」と言い切れないのです。それこそ、個人の感覚でズレがあると思いますので、「こんなのは本格ではない」という声もあるでしょう。

個人的には、古典からある本格の形式をいくつか踏襲していれば、本格ミステリではないかと思っています。
幽玄な謎。隔離された土地。奇天烈な館。奇妙な住人たち。変人探偵。ロジカル。驚天動地のトリック。読者への仕掛けなどなど。
これらが複雑に絡み合い、独創的な小説が完成しているのであれば、それは本格ミステリではないのかなと思います。

すべての要素をいれる必要はなく、骨子がしっかりとしていれば、珍妙な謎と探偵がいるだけでも充分に本格ミステリです。
骨子とは、どういうものか。それは、過去の名作を読んで学んでくださいとしか、書きようがありません。

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