見出し画像

兵庫県知事選挙2021の敗戦の研究

はじめに

激戦となった兵庫県知事選挙2021。

15年間を兵庫県庁に務め、うち11年は副知事を担われた、実力もご経験も申し分ないかなざわ和夫さんを私は応援しました。

応援に私が参加した理由ですが、私が支持します立憲民主党の兵庫県連が支持したこともさることながら、今回当選されたさいとう元彦さんよりも、県知事になる準備がかなざわさんの方が、はるかに上回っていると私は受け止めていました。

個人的な私と兵庫県とのご縁は、1995年の阪神淡路大震災にさかのぼります。当時の状況を少し連続ツイートに投稿しましたので、もしご関心ある方は、こちらのご覧をお願い申し上げます。

選挙戦を通じて、必死さを切らさなかったのに、落選されたかなざわ和夫さん。

2016年米大統領選で当選確実視がされていたヒラリー氏のまさかの落選のような衝撃を感じます。

県民党を掲げ、とことん正統派の選挙をされたのに、「なぜ」と残念でなりません。

選挙戦最終日の夜では #兵庫県知事選挙2021 というハッシュタグが日本のトレンド入りしました。

全国区で注目されるほど、兵庫県知事選挙は素晴らしい選挙になりました。

これほど盛り上がった兵庫の自治体の選挙は今までなかったのでは」との兵庫出身の方の投稿も拝見し、「民主主義がより盛んになる兵庫は素晴らしい」と私は感じました。

ですが、人徳も人間力もはるかに上回っていると私たち応援者は思っていても、負けてしまう。

選挙のむつかしさ、ひいては奥深さを痛感します。

さりながら、「負けに不思議の負けなし」であり、感じた課題を下記に整理したいと思います。

都市部主権者の「変革」志向

選挙戦の最後の三日間で、大票田とされる阪神間の主権者の方々の不気味な沈黙を私は感じ続けていました。

阪神間は大都市部であり、「東京の選挙は魔物が棲む」と以前投稿しましたが、事前に専門家の方々すら予測不能ながらも、大きな判断がなされる不気味さが大都市の選挙にはあります。

ネットではかなざわさんへの共感で溢れ、いわば制空権は取れていた感触でした。

制空権が取れれば、地上戦展開はしやすくなります。

空中戦が得意な私たち立憲支持者の真骨頂と感じました。

そして、投票日に突入。

ですが、選挙戦最終日までと一転し、「さいとう元彦さんに入れた」とのツイートが少なからず現れ、嫌な予感を私は感じました。

投票日夕方。「阪神間に住み、転勤族で、いつまで兵庫にいられるかわからないが、手っ取り早く変えてくれそうなのは、さいとう元彦さんだろう」という趣旨のツイートを目にした時、「これが今回の兵庫県知事選の決定要因かもしれない」と私は感じました。

転勤族で、「手っ取り早く、早く変えて欲しい」は、今の社会に不満を持つ都市部主権者の一般的な心情です。

お客様民主主義」とも実は言えます。

民主主義はお客様根性では成り立ちえず、民主主義が傷んでしまうのですが、転勤族でお忙しい日々を送る中では、「そこまで考えていられない」となります。

熟考を主権者に求める姿勢は、「まだるっこしい」と受け止められます。

ですが、かなざわ陣営は正統派の選挙戦をされ、今回選挙の構図の複雑さもあり、熟考が主権者には求められました。

おとなしめの発信

複雑な構図で、当初もしかしたら打ちひしがれていたご事情が陣営内にあったのかもわかりませんが、選挙戦が残り1週間となる7/10まで、かなざわ陣営はおとなしめの発信に終始してしまいました。

ですが、もし候補者や陣営の発信が、おとなしめのトーンを続けると、「応援に入っていいのか?」と人々は思いとどまってしまい、熱伝導が起こりにくく、賛同性の広がりのエネルギーが高まりにくくなります。

何も面識は私はないのに、やむなく7/10夜にかなざわ事務所にメールを入れて、「発信がおとなしすぎる現況を改めては」等のご提案(下記で述べた一部も含めています)を申し上げました。

かなざわ事務所は人もお金もなく、SNS発信担当スタッフは恐らくマルチタスクでご多忙極まる中と思われます。ですが、7/11以降の最終週に怒涛の発信を見事にされていました。

しかし、沖縄県知事選挙や埼玉県知事選挙、広島再選挙等のような、何でもありの必死感が切実に伝えられていたかというと、限界がありました。

例えば、沖縄県知事選では玉城デニー候補(現知事)は、デニーライブを敢行し、プロのミュージシャンのライブのような高揚感が場に満ちました。「選挙はお祭りの面も大事」と玉城陣営は熟知されていました。

2019年埼玉県知事選の大野候補(現知事)も、総決起集会前のギター練習風景を投稿され、特別感の共有に腐心しました。

広島再選挙では、宮口はるこ候補(現参議院議員)貪欲にフォロワー増の呼びかけをされました。

2021年7月18日(日)夜23:10時点で、さいとう元彦候補のTwitterアカウントのフォロワー数は4,503、かなざわ和夫候補のフォロワー数は2,724です。ですが、致命的な差とは思えず、フォロワー増の呼びかけを戦略的にやれば1日ないし数日で抜けると感じます。

ご両人のTwitterを比較して「フォロワー数が負けている」と見たら、勝ち馬ではないと解されてしまいます。無党派は投票所に足を運ぶコスパすら気にします。勝ち馬でないと見られた候補者は選択肢から外されてしまいます。

もしフォロワー数増加の呼びかけを貪欲に選挙戦の当初からすれば、県外からの応援もより活かせて、全国で話題沸騰した沖縄県知事選挙のような勝負の仕方もできたかもわかりません。沖縄の方々は戦略的にその構図を作って、ないない尽くしでも勝負するやり方を熟知されています。

「いや、ライブをやるなんて、まっとうと思えない。大衆化しすぎだ。やりすぎだ」とご覧になる方もおられるかもしれません。

ですが、野党や私たち市民で敬愛される、玉城知事であれ、大野知事であれ、宮口参院議員であれ、多くの無党派層の支持を得て当選できたのです。

大衆化に背を向けることが政治の正解とはいえない」と私は考えます。

むしろ、どんどん候補者も陣営も、既存の思い込みを捨てて、自分の殻を破って、大衆化を押し進めて、やっと当落線上に乗るかどうか、というのが、選挙のシビアな現実と感じます。

「井戸現知事の多選批判の高まりがある」も決定要因の一つだったと私も感じます。ですが、上記ほど必死になりふり構わず大衆化をしたら、下記動画のムーブメント発生のように、多選批判すら吹き飛ばしていた展開すらありえたと拝察します。

そして、ないない尽くしでも選挙に勝ってきた方々は、大衆化にこだわり抜いたのです。

改めて、兵庫県知事選挙のかなざわ和夫さんの演説映像をいくつか振り返ってみたところ、おとなしい印象の理由がわかりました。

優秀さの表れとして、「こうしなきゃいけない」との理念や理論を熱弁されているものの、私たち主権者の状況を代弁くださる演説がほぼ見当たらなかったのです。

ですが、広島再選挙の宮口はるこさんが、下馬評では自公圧勝と見られていたのをひっくり返せたのは、ひとえに広島県民一人ひとりのお声の代弁をされていたからです。

代弁の演説は「自分のことだ」と聴衆は受け止めることができ、やがて台風の大きな渦のように熱量が拡散し、民主主義を動かすダイナミズムになれます。

ことに選挙の演説では、理念や理論でなく、代弁をすることが重要で、代弁の演説で最も近年の世界政治で名手なのは、オバマ大統領です。

「正統派」路線と野心

県民党を掲げたかなざわ和夫さんの兵庫県知事選挙の闘い方はとことん正統派であり、共感した私たちは、理想的と感じました。

東京からタレントを呼ばない。県外から有力国会議員もほぼ呼ばない。地方自治を最も尊び、応援弁士を県内の方々でこだわり抜き、「徹底した正統派路線だ。本来あるべき地方選挙のあり方を実現されている」と私は強く共感しました。

一方、さいとう元彦さんは大阪や東京の国会議員等を連日のように応援弁士で呼ぶ手法をとっていました。広報のチラシは、あたかも吉本の広報のチラシのような印象を私は感じました。

ですが、「すごい人が応援に来るらしい」という印象をもつ主権者が兵庫県内で続出していた可能性を私は感じます。

お客様民主主義という現況では、日常ではテレビで見る政治家が、今自分の目の前の街宣車の上に乗っているとなると、特別感になってしまいます。「あの人が地元の駅前に来てたよ」と口コミの話題にもしやすくなります。

沖縄県知事選でも、埼玉県知事選でも、県民党が掲げられるも、全国区の有力野党政治家が応援演説に入り、県内世論が動かされる事態が見られました。

もしかなざわ和夫さんに、例えば中村喜四郎衆院議員や大野埼玉県知事、熊谷千葉県知事等、全国区でも反逆の気骨で知られ、自治を重んじる政治家の方々の応援演説がもしあれば、もしかしたら、違う選挙結果になっていたかもしれないと私は感じます。

そして、かなざわ和夫さんは大変な人徳があり、野心よりも、無私の心で県知事選に臨まれていたと私たち応援者の多くは共感しています。

ですが、65歳というお歳はまだまだ現代社会では働き盛りなのに、ご謙遜からか、「県民の方々にご恩返しをしてから、死にたい」と演説(下記動画の2:30すぎ)でおっしゃっていたのが、私は気になり続けました。

無私の境地を、私たち応援者は強く共感します。

ですが、広範の主権者は、65歳というご年齢も考えてしまい、「ならば、若い候補者に入れよう」という判断をしてしまう人々が現れてしまった可能性を私は感じるのです。

まして、感染症そして経済の悪化で、現代日本に不満を持つ人々は、従来の流れを一変して大改造したいという願望を強めており、その文脈は大都市の主権者に顕著になっています。

結果として、選挙戦中に大票田の阪神間の主権者の方々の不気味な沈黙が続き、そしてさいとう元彦さん当選に至ったのではと感じます。

よって、立憲民主党はまっとうな政治を訴えるのは根源的に今後も重要ながらも、広範の主権者にもっと訴求する動きを増やさねば、総選挙では苦戦する事態も想定せねばならなくなります。

もっと歩み寄って、もっと自分の殻を破りまくって、旺盛に研究して、人々の代弁を雄弁にせねば、現状への不満のマグマの受け皿にはなれません。

「相手候補よりも、こっちが何倍も優れている」という選挙は今後も相次ぐかもしれません。

ですが、応援者の私たちはそう考えていても、広範の主権者は別の解釈をしている可能性が高いのです。2016年アメリカ大統領選も、しかりです。

「『絶対にいける』と選挙で思ってはいけない。今後も徹底的に必死に闘わねばならない」と、今回痛感しています。

まとめ

複雑な構図となった兵庫県知事選挙2021は、主権者に熟考が求められ、しかし現状打破を強く願う都市部の多くの主権者は、手っ取り早い変革を期待し、さいとう元彦候補の当選という開票結果になりました。しかし、「負けに不思議の負けなし」であり、おとなしめの発信の時期が長かったことや、「ご恩返しをしてから、死にたい」という無私の境地の吐露が、もしかすると「ならば、若い候補に期待したい」というご判断を招いた可能性があるかもしれないと私は感じます。現段階で気づいた限りですが、上記では改善の方向性も述べました。今後の一つのご参考に頂けましたら、幸甚です。

最後までご覧くださり、ありがとうございます。もし「応援したい」とお感じの方は、恐縮ですが、サポートをお願いします。m(_ _)m