30年かけても「昭和からの卒業」に試行錯誤する日本政治と、新たに生まれた希望
昭和20年(1945年)、第二次世界大戦に敗戦して焼け野原になった私たちの日本ですが、戦後の高度成長は世界各国から奇跡と称賛されました。
あたかも豊臣秀吉が百姓から若くとも急速に出世して天下を取るような勢いが、高度成長期の日本を覆い尽くし続け、若く、威勢のよい労働力で各地の職場はあふれていました。
ですが、昭和に築かれた社会システムは、2021年となった今も牢固として日本に続いています。「昭和100年」とも例えられ、実質的に昭和は今も続いていると感じます。
昭和の栄光に憧れ、東京五輪が2021年に開催される。昭和のモーレツ社員に憧れ、悪徳企業や労働法制破壊は容認される。2021年の今でも、昭和のアニメや歌謡曲が世間に流れ続ける。
しかも、少子高齢化が進み、社会の新陳代謝が進まず、社会の高齢リーダーの多くは今も重責を担い続け、昭和の栄光を引きずり続けています。芸能界でも若手芸人は高齢化し、昭和で大活躍した大御所とされる方々が今でも最前線に居続けます。
そして、日本社会では女性差別や民族差別、地域差別等、昭和の意識から脱却できない人々も相次いでいます。
白人の外国人が地元に現れると緊張で固まり、または憧れの目で見つめ(実は差別)、戦後民主主義は「そういうのを克服しよう」とやってきたはずですが、2021年でも続いています。
平成が終わり、令和が始まったのに、昭和からの卒業がこんなに困難だったとは。
ですが、「それでもまだ希望はある」と私は感じます。
日本政治も平成以降の過去30年間、迷走や試行錯誤を続けてきました。
昭和の自社55年体制の次を模索し続け、しかし容易に次のビジョンを見つけられませんでした。例えば旧民主党政権は新自由主義を当時推奨し、自民党との差を失いました。
2017年秋の小池騒動で排除された人々が立憲民主党を結党し、ようやく「本物たちが誰か」が明らかになりました。
2020年に合流新党(新立憲)になり、旧立憲から相当にメンバーが増えました。
迷走を重ねた旧民主民進の再来を懸念する声は強く存在し続けてはいます。本多平直議員の議員辞職等があり、課題山積と、今回の執筆時(2021.7.27)も痛感はしています。
今夜、立憲民主党に籍を置く議員や関係者の方々、そして私たち支持者で、結果のいかんにせよ、党の混乱に失意を感じていない人はおそらくほとんどいないと思われます。
ですが、それでも私が強く希望を感じ続けているのは、「支え合い」という党理念に新立憲で日本政治が到達できたことです。
昭和の日本政治の次の理念が、ずっと見つからなかった過去30年間。
派遣社員の方々をはじめとした非正規雇用問題が一つの単著な例ですが、高度成長期そしてバブル崩壊後に日本社会は長い転落を続け、日本の貧困、格差、断絶を経て、ようやく「支え合い」という理念に、立憲が自力で辿り着けた意味は大変重要です。
過去30年間の日本政治の試行錯誤の末、立憲民主党の綱領が「支え合い」を中心概念に据えた意味は大きいです。
経営学でも広く知られる通り、理念は全ての経営に関係する要素の中心に位置付けられます。
いわば車輪の中軸の役割が理念です。
党理念がもし誤っていたら、党組織全体も誤ります。党が進む方向も誤り、日本社会全体も誤った方向に導かれます。
現代の自民党には理念があるようで、ありません。基本政策もありません。私たち日本に住む人々から税金をぼったくり、利権の最大化を目指し、現状維持することが至上命題になってしまいました。
現状維持が至上命題になると、強権政治になります(これは中国も同様です)。現状維持が崩れる話はタブーとなり、「仮定のお話にはお答えできない」となります。よって、危機管理の想定に消極的になり、危機に脆弱です。そして、国民の生命と財産の保全に無頓着になります。
現状維持が至上命題ですので、新しい付加価値の創出の必要性は軽んじられます。まして若者や未来の世代への教育や医療等、未来への投資は避けられます。若者にはチャンスが回って来ず(若者を起用すると例えば視聴率が下がる等するため)、若者の失業問題は日本でもOECD諸国でも深刻です。
恐るべきは、強権政治と新自由主義は大変相性がよく、民主主義の弱化が進みます。貧困のブラックホールの拡大を防ぎようがなくなり、社会で弱い状態にある人たちから犠牲になっていきます。ひいては、社会全体が貧困そして暴力に呑み込まれます。
しかし、「支え合い」を立憲が党理念としたことで、確かに今後も炎上案件はなくならない可能性はあるかもしれませんが、立憲が強権政治に手を染めたり、国民の生命と財産の保全を無為にやりすごすような「政治の放棄」に向かう確度は相当に抑え込まれたのです。
しかも基礎票は自公に対して圧倒的に劣っているのは明白なので、今後も立憲は無党派そして支持者の声を聞いていくしか生き残れません。それも立憲の方々は熟知されています。
立憲に私たち支持者が失望して、やさぐれることは今後も相次ぐかもしれません。
ですが、一番大事な歯止めが党理念に埋め込まれていること。
そして、党名を「立憲」と自らの政治権力を縛る名称にしていること。
どんなに立憲への失望が大きくなっても、無理なく、可能の限りで楽しさも見出しつつ、ご一緒に今後も関われたらと思っております。
「まだ立憲にも、日本社会にも、望みはある」と私は感じ続けています。
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