幸せってなんだろう?韓国編その2
ある日、ヨガのポージングの練習が終わり、瞑想の時間、チャエがいなかった。
それまでも度々欠席することはあったので気には止めなかったが、その日の瞑想クラスはガンジス川沿いで行われることになって、私たちはアシュラム(ヨガ練習用の道場)から川に移動する事になった。
そして、瞑想をひたすらしている横では、クラスに参加せず、ただひたすらに川沿いで日記を書いているチャエの姿が目につくのだった。
ヨガ留学生の中には最低限だけクラスに出席して、あとは自分の時間を持つようにしていた者もいたので、誰も特にそこまで気にすることはなかったが、私はひたすらにガンジス川を見つめては日記を書いているチャエが気になり(可愛いし)、瞑想クラスが終わった直後、チャエのところに行き、日記に何を書いているのかを聞いてみることにした。
私が虫刺されの薬をあげて、さらに虫が寄り付かないように超音波機器を貸してあげたことで、すっかり心を開いたチャエはその内容を隠すことなく心を開いて教えてくれた。
チャエがここ、インドのリシケシに来た理由から話は始まった。
チャエは韓国で中流階級のそこそこ裕福な家庭で親戚もかなり多く、親戚の集合写真を見せてくれた。ざっと50人くらいの集合写真だ。私自身、親戚付き合いが少ないこともあって、かなり驚いた。最初見せてもらった時は老若男女様々な50人が集まってることもあって、なんかの旅行ツアーの写真かと思った。
チャエに言わせると、親戚が多いのは韓国では普通で、両親が兄弟や親を大切に、血のつながりをとても大切にしているとの事だ。このような規模で親戚の付き合いがあるのは韓国では割と普通だとのこと。
幼い頃から、親戚付き合いが多く、正月や日本でいう法事、クリスマス、イベントごとなど事あるごとに親戚が集まって催し事をするというような家族関係であったとのことだ。
しかし、チャエの両親は夫婦でスーパーマーケットを経営しており、仕事は多忙を極め、実際家庭の中では充分な会話をする様な事が無かったと感じたとチャエは語った。
韓国は現在、日本の昔の高度成長期中の受験戦争をさらに拍車をかけた様な社会で、どの大学に行ったかがその後の人生を決めるというのがより顕著な社会だということは以前から聞いていた。
聴くとチャエの暮らす社会もその通りで、高校生の時はかなり勉強したらしく、学校が終わったらハグワンという日本でいう予備校に通い、受験勉強に精を出したとの事であった。
両親はチャエを塾や学校に通わせるため、また不自由ない様に育てるために一生懸命働いてくれたとチャエは言っていた。
チャエは両親の期待に応えるため一生懸命勉強した。文字通り、朝から晩まで勉強し。両親は朝から晩まで働いたのである。
しかし、両親との会話、という点においては、物心がついてからは最低限の会話しかなく、本当は聞いて欲しい話がたくさんあった。受験より、勉強より、自分が好きなこと、両親のことが好きで、たわいもない事を話す時間が欲しかったとの事であった。
しかし、いつも汗だくで時間に追われている両親を見て、そんなことも言えず、ただただ両親の期待に応えることに自分を偽り、両親が期待する事に没頭していた。
親戚に囲まれ、物に囲まれ何不自由なく、両親にも愛されている、、はずなのに、、寂しい。。
この孤独感は何なのだろう?
自分は何者で、何が楽しいのだろう?
こんな事を考えたら、両親は困るだろうか?
ただただこのまま、普通に暮らして、両親の期待に応える、「普通」を演じて行く事で、自分のことを何も知らず、生きていって幸せなのだろうか?
幸せってなんだろう?
自分は今、幸せなんだろうか?
そう思って、一度一人になりたかった。
親戚に囲まれて、何不自由のない暮らし、その中では自分とは何か、自分の幸せとは何か分からない。
だからインドに来たかった。一人で。
そう彼女は言った。
一緒にいた韓国人の女の子は実はインドで、このアシュラムで知り合った事。
最初は仲良く、韓国語で話していたが、自分が裕福な環境で育ったにもかかわらず英語が話せず、両親に依存し、インドで周りと打ち解けようとせず、、といった状況から次第に苛立ちを感じ、離れていったと。
その子は家庭環境が複雑で、幼いころに父親が愛人を作って家を出ていった。母子家庭で育ち、ヨガで生計を立てるために来た。オーストラリアに自分の意思で自分の稼いだお金で留学やワーキングホリデーをした、いわゆる、ガチ勢であると。
彼女からは自分に対するリスペクトが感じず、自分も嫌になって距離を置く様になったと。環境は人それぞれなのに、、と不満を感じていた様だ。
つづく
いつもお読みいただき有難う御座います。私の目標は人が自分らしさを発揮して生きている社会をつくる事です。