何となく辛いな〜と思いながらの生活
アイツ頭良いからなーっていうときの頭良いの基準って何なんだろう。
当たり前だけど学歴とかではなく
何だか最近自分が頭悪いなーって感じることが増えた。
今まではそこそこに自惚れながら生きてきた。
だって自分が何者かである、とかいう気持ちをまだ傷付けづに持って生きているような人間だし、
無限に溢れる思考を投げ出さないように追って、なるべくそれについて向き合って考えているつもりである、し。
でも最近、それでもめっきりぽっきりダメである。
社会を知らないというか、自分の責任を自分で取ってない、子供であるような行動を自分が取っているという自覚がある。
どうしょうもなく自分の未熟さやある面での頭の悪さに頭を抱えたくなる。
皆がよく使う頭が良いって何なんですかね。
当たり前だけど頭が良い人間に私はなりたい、もっと詳しく言えば頭の悪い人間だと思われたくない。
関係ないかもしれないけれど、自分の感情を他人に依存しすぎているのも何だか幼稚な印であるような気がする。
他人との境界線が曖昧だ、という言い方をよく聞くけど本当にその通りな気がする。
他人からの評価が気になったり、他人に期待しすぎたり、常に他人の方が優れている気がしたり。
自分の価値を自分で考えられない、他人からの好意でしか幸福(嬉しく?)になれない。
(さらに私の田堵が悪く可愛くないところは、素直でないというところである)
思えば昔から、自己嫌悪に浸る時は自分のそんな一面に悩んで言える時だった。ような。
私が成長したのはそんな他人ありきで上げ下げする自分の感情の扱いだけである。
広義で言えばそんなところも子供だと言える。狭義(せまぎ)でもそうだが。
自分で自分の機嫌を取ったり行動を決めてきちんとそれに責任を持つ。
ずっと他人のことを考えて、相対化して自分を作って。
何で私はいつも稚拙なんだろう。
好きなものにも、好きなひとにも、責任を持たず、そんな幼稚な自分に振り回していたくない。
このまま必死にしがみついて生きていたら、自分を作るための要素として扱っているような気がしてしまう。
言ってしまえば、子供であるがために自分を守ることに必死で、必要だった大きすぎる自己愛を捨てる時期なのだと思う。
もしもそれが本当の自分で、そんな要素を捨てられないかもしれないと思うとあまりにも怖くて、頭が真っ白になる。
でもこんな風にずっと気がかりがあるような、強迫観念に駆られ続ける方があまりにも辛い。
自意識が強いあまり他人に依存しすぎてしまうことを知っているからこそ、他人を好きになったりだとか、信頼することができない。
嫌われるのが怖いのも、そんな感情から生まれる自己防衛だろう。
本当に好きになってしまえば、嫌われてしまった時に、常に相対化して作り続けている自分が終わってしまう。
書いていたら昔から異常に、自分のことを好きな人のことを嫌いになり続けてきた事もこれが理由な気がする。
好きなものになんだか踏み込めないのも、あまりにも素敵すぎるものに触れると素敵ではなさすぎる自分を直視することになることからの逃げであろう。
そんな人が強い人間になれるわけねーーーーどう考えても、マジで。
全体的に核心から逃げ自分を守ろうとしてる。
めちゃ可愛い人のインスタとか、5分以上見れないし。
クラブで踊ってて楽しくなるのも、友人たちがタバコに行って帰ってこなくなってからだし。
自分の投稿大体気持ち悪いなーって思うし。
香水をつける理由はいい匂いだからというよりも他人にその匂いで覚えて欲しいからだし。
こんなにも自分の痛いところを見るのが下手だとシンプルに人間として支障をきたす気がする。
自分が頑張ってきたことは否定しないけど、その範囲内の努力なんて所詮その程度だろう。
今まで成長しようと頑張ってこれたのも、他人と相対化した時に恥ずかしくないための自己愛かもしれない。
あれ、別にこれは良いのかな。自己批判意識強すぎ?
自分を構成する無意識を意識しはじめると、陰謀論みたいに何も信じられなくなる。
この前は資本主義だったけど今回は他人だ。
今回の方が切り話すのが難しい気がする。
携帯でも置いて一人旅でもしようか。
それがあまりにもクサイ行動だとか、ストーリーの構成とか、叫ぶ私の脳内を無視して。
(みたいなことを書いていたら何だか落ち着いてきたしやっぱり漠然とした不安を言葉にするのは良いことだと自覚させられる)