旗揚げ記念日のメインのあれこれ
旗揚げ記念日のメイン、IWGPタッグ選手権試合。
後藤洋央紀、YOSHI-HASHIvsオカダ・カズチカ、棚橋弘至。
新日本プロレスの51歳の誕生日、バースデーパーティー。その大トリにふさわしい素晴らしい試合でしたね。
僕は特に生え抜き至上主義というわけではないのですが、猪木さん没後の初めての旗揚げ記念日、そのメインを新日育ちの4人で締められたということには感慨深さを感じてしまいました。
そして他の格闘技とプロレスが大きく違う特性、タッグと言う闘いの在り方。
これはプロレスの持つ多様性の極致であるとともに、コロナ禍において、僕らの日常においても失われることの多かった「絆」の復権だと思うんですよ。
それをこの声出しが容認された大会のメインで示せたという事実は、会社、選手、スタッフの皆様、更に僕らひとりひとりがコロナに決して屈しなかったことの象徴ですよね。
コロナに対するプロレスの勝利宣言のようで、感動しましたよ。本当に。
さて、前置きはこの辺りにしまして。
やはり僕がここで語らせていただきたいのは、この試合にまつわるヨシハシの言葉や想いについてです。
前回のnoteの内容と重複する箇所もあるかと思いますが、どうか最後まで温かい目で読み進めていただけたら幸いです。
当初このカードが発表されたとき、正直に言うとどこか後ろ暗い気持ちになったことを覚えています。
オージーオープン、FTR、TMDK。
世界の名だたるタッグチームを相手に辛くも勝利を収め、タッグ屋としての地位を築いてきた毘沙門。
その対戦してきたどのチームからも、強さ、巧さ、激しさを強烈に叩きつけられてきたことは事実なわけで。
ただ新日を専門に見てきた僕の中ではやはり「世界の強豪」という枠であり、例え敗れたとしても「ああ、やっぱり世界は広いな」という言葉で悔しさと悲しさに蓋をすることは出来たんですよね。
しかし、この試合に関しては違うんですよ。
同じ新日本プロレスという団体で育ち、同じ時期にリングを守り続け、その中で幾度となく辛酸を舐めさせられてきた超人とエース。
その強さと光で後藤とヨシハシが存在を塗り潰されてきたふたりによる、押しも押されもしないドリームタッグです。
遂に生きる場所を得たふたりが、そのオカダと棚橋にタッグで敗れるということの意味。
「出る前に負けること考えるバカいるかよ!出てけオラ!」と猪木さんに怒られてしまいそうな、負け犬マインドであることは重々承知です。
それでも毘沙門がこの試合で敗れたときの損失が如何に甚大なものであるか、肌で感じてしまっていたんですよね。
それでも、そんな僕の逡巡とは関係なく、試合開始のゴングは鳴らされます。
個人的に嬉しかったのは、ゲスト解説に矢野がいたこと。
CHAOSのまとめ役であり、WTL2022において、優勝した毘沙門に棚橋と組んで土をつけた選手。
同時にヨシハシが毘沙門としてリベンジを強く望む相手であり、これ以上ない適役だったと思います。
試合の細かい内容についてはきっと有識者の方々がまとめて下さっていると思うので割愛させていただきますが、NEVER6人タッグの頃から変わることなく、後藤のサポート力はやはり甚大でしたね。
パートナーの危機に敏感に気付き、救出のためにリング内に戻る姿。あんなに似合う選手は他にいませんよ。
ツイート等からも窺えるその人柄の温かさ、懐の深さ。
それを闘いの中であれだけ表現できる、そのセンスには脱帽するばかりです。生き様がそのまま表れる、だから大河ドラマなんですよねプロレスって。
僕は近いうちの後藤のIWGP世界ヘビー挑戦、奪取まであると本気で思っています。きっとそのときは、世界中が祝福で溢れることでしょう。強いんですよパパは。
ああ、なんだか。ついつい語ってしまいますね。
実は何を隠そう、僕のプロレス人生において後藤は初恋の人なんですよ。
想いが溢れてしまうので、この話はこの辺りで。
話を試合後のヨシハシのマイクに向けます。
「俺は棚橋弘至にも、オカダカズチカにもなれない」
やはり、この一言に尽きますね。
人生において、誰もが「自分は選ばれた人間である」と信じ込む時期ってあると思うんですよ。僕にもありました。
ただ残酷なことに、人は長い道中の中でその道の遥か先にいる「天才」と出会ってしまうんですよね。
そのとき、大半の人間は容赦ない現実を突きつけられてしまうんですよ。自分の平凡さ、凡庸さというものを。
それでも肩肘張って、意地を張って、なんとか受け入れまいと耳を塞ぐのですが、もがけばもがくほど自分が見えなくなっていく。
決めつけてしまって申し訳ないのですが、これを読まれているあなたにも思い当たるフシはあるのではないでしょうか。
僕の持論として、人は諦めることで大人になれるのだと思っています。
諦める自分を許して、愛することで、人は自分と向き合えるのだと信じています。
「ジャンは強い人ではないから、弱い人の気持ちがよく理解できる。大半の人間は弱いと言えるけど、それと同じ目線から放たれた言葉なら切実に届くと思うんだ」
これは進撃の巨人の中でマルコが言った最も好きな言葉なのですが、ヨシハシってこれを体現している人だと思うんですよね。
「俺は棚橋弘至にも、オカダカズチカにもなれない」というヨシハシの言葉は実に温かく、柔らかく。寄り添ってくれるんですよ。エースにも超人にもなれなかった、全ての人に。
もちろん、だから怠けていいというわけではなく、ヨシハシが言うように「生まれ持った自分自身を磨いていく」ことは大切です。それを経てヨシハシの今はあります。
これは自分に言い聞かせている部分もあるんですが、だからこそ、まずは平凡で凡庸な自分を受け入れることだと思うんですよね。
許して、愛して。そうやって自分を磨いていったほうが成長の練度にも繋がると思います。そして何よりも、楽しいじゃないですか。そのほうが。
そういう明日が僕らにあることを、ヨシハシは教えてくれるんですよ。だから僕にとってヨシハシは、唯一無二のヒーローなんですよね。
これから毘沙門がどんな防衛ロードを歩んでいくか、個人としてNJCでどんな成績を残すのか。
あのオカダ・カズチカが成し得なかった、IWGPのシングルとタッグの二冠。
現在それを果たす権利があるのは、全出場選手の中で後藤とヨシハシだけです。
その事実だけで、否応なしに胸が高鳴りますね。
今回はこの辺りで筆を置かせていただきます。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
どうかこれから先も末永く、皆さんと共に熱くプロレスを追いかけていけたら何よりの幸せです。
試合実況のツイート共に、これからもどうかよろしくお願い致します。
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