「(K)not」第三十四話
魑之と沖崎は、ソファから移動し、観測所内のテーブルに各々ノートパソコンをセッティングし始めた。二人は向かい合ってイヤホンを装着し、パソコンの画面に頭を下げたり手を振ったりしている。「お父上」が参加したようだった。
WEB会議が始まった。
「どうもお疲れ様です。」
「お疲れさま。」
「こんちの〜。」
繋がって、それぞれの冒頭の挨拶が済んだところで、雑談などは挟まずHN「お父上」がすかさず議題について述べた。
「親権者の承諾なく、無断で未成年の家族と同衾した場合に起こりうる訴訟についてだが。」
「ちょっと待って!ソコはもう保護者同伴だったってことで納得したはずでしょうがっ!」
「納得はしてねえな。」
「みぇんどくさいな〜っ」
魑之とお父上の言い争いに、沖崎は頬杖をついて溜息を吐く。結局お互い時間が無いと言うことで休戦し、今度こそ本題に入る。しかしこの本題こそが、いったい何処から切り崩せば良いのか、皆手探りで会議に望んでいるのが現状だった。「とりあえず、」とカメラ前に据えられた緑青化したボタンを3人は凝視した。
「何だこりゃ、きったねえな。」
「本当に貴方はご自分の歯に着せる衣をお持ちでない・・・。」
何度目かの沖崎の嘆息と共に『ごぼっ』と不快な音をマイクが拾った。同時にPCの液晶画面が揺れて、ザリザリと音声も乱れた。
『花火・・・』
オンラインで見る魑之は先程までと何ら変わらぬ本人ではあるが、その表情筋は全く動いていなかった。まるで映像の中の魑之を何度も繰り返し見ている感覚だ。しかしその瞳には沖崎やお父上の顔ではなく何発もの「花火」が繰り返し映し出されている。
『ヤタノ・・・カラス・・・ガ・・・ミチ・・・ビク・・・ヤタノカラスニ・・・アエ・・・』
突如として戦々恐々となった現場の沖崎は、離席して有馬を呼びに走って行った。ネットを介してその遠隔能力を見せつけられた正一郎は、口に手を当てて絶句していた。その液晶画面には、こちらを覗き込むかの様に逆さに映った魑之の顔があった。
「て、これが水曜日の話。」
街夜魑之と沖崎医師とのWEB会議での出来事を打ち明けた正一郎は、自分でも信じられないと言うように大きな両の掌で顔を覆った。
「なかなか、ホラーだね。」
晴三郎は、何と言って良いか迷った挙句選んだ言葉がこれだった。正一郎は顔を覆ったまま頷く。
「信じられないな・・・それじゃあ、今そのマチヤって人が遠隔同衾術とやらで爽と同調して、夢の中で聖名を探してるってこと?」
理解の早い襟人が怪訝そうに言うと、
「自分でもどうかしてるって思うよ。」
正一郎は苦々しく顔を上げた。襟人が沸かしてくれた湯に浸かり、心身ともに温まった彼だったが、再び肝が冷えていく。筋金入りの現実主義者である彼が、まさか自分がオカルトを体験してしまうとは想定外だった。逆に言うと彼は常に未来を想定しており、それによって今を決める生き方をしてきたのである。
「その日はどうしようもなくてな、結局なすすべもなく寝ちまった。でも、問題は翌る日だ。」
「えっ、何かあったっけ?」
「台風が上陸して、正さんが帰ってこなくて。」
「そうだ、お前、俺だって理由もなしに外泊はしない。学生じゃねえんだから。」
「へぇ、じゃ言ってごらんよ。その理由とやらを。」
両脇から口喧嘩を始めた兄弟を、襟人は不機嫌そうに引き離した。
「じゃ、水曜の夜からずっと爽が起きないのって、その、遠隔何ちゃらのせいなの?そんな訳分かんないもんを信じろって?」
珍しく口を噤んだままだった理紀が、眉根を寄せて質問する。襟人は一つ嘆息して向き直り、言葉を選んでやがてこう言った。
「可能性の一つだ。」
知らないこと、理解できないことは沢山ある。知りたくても理解したくても、全部を明らかにすることなんて、きっと出来ないんだろう。それは世界が広いからではなく、自分が小さく及ばない存在だからだ。その真実に気付かずして全てを知ろうとしても、きっと何一つ手には入らない。
「先ずは、受け止めよう。」
受け止める。知る。理解する。その先に「信じる」か「疑う」があると思う。襟人は慎重な性格だが、そのくせ柔軟なところもある。彼の説得力のある声に理紀の眉間は徐々に舗装されていった。
「そうだよ、沖崎先生も仰ってた。えーと、何だっけ。」
襟人の意見に賛同した晴三郎が瞳を輝かせながら言う。
「あっ、可能性がゼロで無い限り、やるべきだ!」
「お、おう。」
晴三郎の言葉(沖崎の言葉だが)に正一郎も拳を握り頷く。不意に思い出された脱ぎ散らかしたことへの言及を腹に押し留め、満を時して襟人が問いかけた。
「それで、木曜にどんな問題があったのか。話してよ父さん。」
*
濡れた革靴をケアすることも忘れ、植島の部屋に転がり込んだ台風の夜、正一郎は大変懐かしく意外な人物と再開していた。その男は、他人の部屋のソファに四肢を投げ出して酒を煽っていた。首に巻いたタオルは風呂上がりと見える。さっぱりした白髪の多い毛髪を乾かすこともせず、上機嫌で肴をつついている。
「おまっ・・・いつこっち帰って来た!?」
背後からの声に驚いて、既に赤く出来上がった顔で振り向いた男は、トロンとしていた目をカッと見開いて感嘆の声を上げた。
「イチローかぁ!」
正一郎をそう呼んでソファから立ち上がった男は、覚束無い足取りで正一郎に駆け寄り体当たりをしてきたので、不意を突かれた正一郎諸共無惨にフローリングの床に転がった。
「痛え!てめー歳を考えろ!腰やったらどーすんだ馬鹿が!」
「うわー超久しぶりぃ!見違えたなぁ、おっさん!」
「てめーもおっさんだろうが!なんだその髭!」
「うわ、何この香り・・・え、ウソ、これ加齢臭?」
「お前・・・ホントに変わってねえな・・・!糞ノンデリ野郎が。」
「ウソウソ、初老がムスクなんかつけてるから気になるお年頃なのかなって。」
「それがノンデリっつってんだよ!いい加減離れろよ!!」
腹にしがみついて離れない酔っ払いを何とか引き剥がそうともがいていると、奥のキッチンから植島が皿に盛ったツマミを持って現れた。
「ちょっとさあ、静かにしてくんない?下に文句言われんの俺なんだワ。」
「何、何。なんか食わしてくれんの?」
餌に釣られた犬のように植島の後を追いかけて男が離れていくと、やっと解放された正一郎はガックリと項垂れて乱れた髪と呼吸を整えた。そしてゆっくりと痛めた箇所がないか慎重に確かめながら立ち上がった。これが五十路ムーブである。
正一郎と植島は高校の同級生であり、地元が同じと言うことで卒業後も懇意にしていた。肩にかけていた白いタオルを土方風に頭に巻いた作務衣姿の酔っ払いは、二人が入学した時は既に二年生であったが同じ教室で学んだクラスメイトだった。つまり彼はダブりであった。
三人が東京で同じ時間を過ごす学生だった頃から、関口 彌太郎という人間は、いつも飄々としていて掴みどころが無かった。当時正一郎は、本心が何処にあるのか決して悟られないかのように振る舞う彼を信用できなかった。竹を割ったような性格の正一郎から見れば、当時の彼は彼方此方に媚を売る様に見えて気に入らなかったのだ。
あの頃から30年以上経過していた。しかし一度縁という時間で束ねられた彼らはまたここに収束し、互いに現世を編むのである。
*
「えーっ!ヤタさんて、あのヤタさん!?」
再び瞳を輝かせて驚く晴三郎を横目に捉え、正直話さなければ良かったと後悔する。当時ランドセルを背負っていた晴三郎にとって自分は怖い兄で、彌太郎は面白いお兄さんであったからだ。それは今でも根っこのところは変わっていないと感じる。人の感情の機微に敏感な襟人は、会ったことも無い「ヤタさん」を心の要注意人物リストに加えた。腕を組み、
「それで?その関口さんが協力してくれるって、具体的には?」
「奴は花火師なんだってよ。」
「ハナビってドーン、たーまやーの?」
身振り付きで尋ねた理紀を「それ以外の花火を俺は知らない。」と軽く流して、正一郎は計画を掻い摘んで説明した。
「え、つまりそれって・・・」
「寝起きドッキリじゃん。」
身も蓋もない感想に振り返ると、瞬が立っていた。