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「(K)not」 憂し満〜忌還
深淵のほとりに佇んでいた彼女に一報を告げたのは一羽の鴉だった。三本の脚を持つ鴉に導かれ深淵から奈落へ潜ると、光る緑地に鳥籠の様な硝子のテラスが在るだけの、まるで作られた中庭の様な世界が広がった。
そこから先の記憶が無い。
誰が為に在る世界なのか不明だが、奈落にこんな静かで穏やかな場所があるとは。この世界を生んだ神がいるとすれば、余程大切な何かを隠しておきたいのであろうことが窺えた。
目覚めた魑之は、そこが堕ちてきた奈落の底であることを認識した。ひとつ欠伸をして全身を反らし身体に異常が無いか確認すると、大きく息を吐き出した。
(成程、成程。あっっっぶにぇ〜 ・・・)
魑之は感心すると共に鳥籠の中のモノへの執着を感じて、背筋が寒くなった。愛であり呪であり「かつて彼女であったもの」であった間、魑之の自我は完全にそれに同化して区別出来なくなっていた。魑之は潜る前に飲み込んだ結を吐き出すと掌の中に握り込み天上を見上げた。
「さてと、行かなくちゃ。」
と呟いて、再び深く大きく息を吸い込み、奈落を蹴って浮かび上がった。
奈落からの浮上は通常の人間ならば自己を喪失するか発狂する程の負荷がかかるものだ。しかし魑之は少しの「忌還酔」を起こすぐらいで済んでいる。
その時、見上げる夜空に巨大な光の花が咲いた。
既に個としての自我を完全に取り戻していた魑之は、その幾重にも破裂する炎色を花火だと理解した。魑之は瞬きを繰り返し、花火を瞳の中に閉じ込めようとした。しかし儚すぎるそれは開花した次の瞬間には枯れ落ちて闇に溶けていった。何度も何度も何度も。
足元に広がっていた奈落はもう見えない。繰り返した先に光明を見出した魑之は、眼前に迫る水面にゆっくりと顔を出した。
*
花開く轟音が硝子を震わせる。
天を穿った火の魂が四方に火の粉を降らせ、裂けた宙の隙間からいくつも時の粒がこぼれ落ちてくる。硝子越しに掌を重ねた二人はこの世界の終焉を感じていた。寄せた額から彼に逃げろと念じてみたものの、どうしようもない喪失感に涙が頬を伝う。こぼれ落ちた粒は砂の様にキラキラと降り積もり、暗闇に溶けていた彼らの輪郭を再び照らし出した。
捩れて縺れてこんがらがった糸を選り分け、互いに存在を認識し合った彼らの魂は今はっきりとその形を紡ぎ「個」に成った。彼が指さす先を振り返ると、入口も出口も無かったはずの硝子の鳥籠にいつの間にか白いドアが現れていた。再び彼の方に向き直ると、世界の終焉はすぐそこまで迫っていて、全てが光る粒子へと還っていくのが見えた。まだ少し恐れる聖名に彼はゆっくりと頷いて白いドアを指し示した。
聖名は外に出ようと硝子の鳥籠の中を移動した。白いドアの前まで来ると、彼が自分を待ってくれているか不安になり何度も振り返った。
「待ってよ、そこにいてよ。置いて行かないで。」
しかし、ドアにノブは無かった。聖名は焦ってそこらじゅうを弄り、取手や引手を探したが白い平面の何処にも凹凸は存在しなかった。鳥籠の出入り口だと思ったそれはドアではなく石碑の様なもので、力任せに拳を叩きつけても頑なに聖名と外界とを隔て続けた。柔らかく温かい紅茶の湯気の様な、護るようで殺すようなその優しさは、誰かを思い出させる。ここには無いはずの息苦しさを感じて振り返ると、彼の姿は光の粒子に溶けてしまっていた。
聖名は絶望の声をあげ、硝子へ駆け寄って泣き喚いた。
今まで何度も味わってきた気持ちとは何だったのだろう。
そう思わざるを得ない絶望。今際の際の喪失感。
ずっと一緒にいると言った。君を守ると言った。
限りある時間の中を生きるなら、二人でいこうと決めた。
「行かなくちゃ。」
その時、硝子の鳥籠に映る夜空にもう一度一際大きな花火が開いた。
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