(K)not School Days 8

 硝子ドアから顔だけ出した爽に、右のドアから入って座っているよう指示された二人は、ようやく玄関を上がり、ダーク調の木目のドアを開いた。仁和でも頭を傾げずに潜れる高さのドア上には、アーチ型の磨り硝子がはめ込まれている。
居間の天井はドアに合わせて高く、燻した金の弦と乳白色の硝子の、シックな照明が下がっていた。部屋全体がダーク調の色の家具でまとめられ、落ち着いた雰囲気だった。ブラックに近いダークブラウンの革張りソファがL字に置かれた中央に、背の低い硝子テーブルが据えてある。テーブルの上には新聞や雑誌が載っていて、洗練された中にも生活感が感じられる。

 地元名士の自宅のリビングは、仁和でなくても四方を見回してしまうほど、期待を裏切らない品の良さがあった。純和風の家屋に住む椿にとっては、どこか外国の邸宅に招かれたように感じられる。同時に、飾られた小ぶりの絵画や、小瓶に活けてある小さな花やキャンドルから、暖かい丁寧な暮らしが窺がえた。

(氷川のお母さんは亡くなられたはずだけど、やっぱり誰か女性がいるのかな?)

 氷川家の経済状況ならば、ハウスキーパーを雇うことも可能であろう。部屋の中に溢れる細々とした心遣いが、椿にそんな連想をさせた。以前、爽の身を案じて氷川家に通っていた頃、女性が応対してくれたことは一度も無かった。いつも顔を出すのは三十代くらいの男性で、人当たりの優しい人物だった。

(あの人は家政夫さんだったのかな?)

 椿は、いつもに済まなそうに自分に頭を下げ、困ったように微笑む顔を思い出した。そういえば、と椿は、爽の家族構成を全く知らないことに改めて気付いた。

「ハマの鬼」と恐れられた敏腕検事の甥っ子で、その叔父の妻と爽の母親が旅行中、事故で同時に亡くなって、親戚で一緒に住むことになり、わざわざ名古屋から移転して来たという。

 椿は今更ながら、爽についての知識など、ソファの横で、今も落ち着き無くキョロキョロしている大男と大差ないことに愕然とした。

「こんにちは。」

 キッチンから細身の男性が現れた。あの時の人だと人目で分かった。向こうも目を丸くして、椿の顔を食い入るように見つめている。

「ご無沙汰しています。」

 礼儀正しく頭を下げる椿に、晴三郎は手を合わせて喜んでいる。

「君は、委員長君!」

 一瞬、軽いボディを喰らったような気になったが、ぐっと堪えて椿は一歩踏み込んで言った。

「椿と申します。」
「そうだ、椿山寺ちんざんじのつばき君。お久し振りです。」

 若干天然気味の晴三郎が、両手を揃えて丁寧に礼をしたので、それを見た仁和もやっと空気を読んで立ち上がった。晴三郎はそびえ立つ仁和を見上げてにっこりと笑い掛け、

「初めまして。うちの爽がお世話になってます。」

と深々と頭を下げた。先に大人に頭を下げられた仁和は途端にガチガチになり、「ドモ。」と搾り出すのがやっとだった。すかさず椿が(名前っ)と自分をつつくのでようやく気付き、

「になッス。」

 と言って激しく上半身を折り畳んだ。晴三郎の髪がそよぐほどの風圧だった。それでも晴三郎は、一向に動じる様子は無く前よりも増して朗らかに、

「ニナ君、初めまして。ところで二人とも、甘いもの好きかな?」
「好きッス。」

 突然の問いに食い気味に応えた仁和の声に、椿の「どうぞお構いなく。」という社交辞令は掻き消されてしまった。

「本当!?よかった!どうぞ掛けて、ちょっと待っててね。」

 晴三郎は瞳を輝かせて再びキッチンへ戻っていった。ご機嫌な後姿を見送って、早々に仁和はソファに腰掛ける。椿の氷の視線が仁和の頬を刺したが勿論彼は気付かなかった。所在無い椿も鼻から吐息を吐き出すと仕方なく腰を降ろす。

「うちのサワって、あれヒカワのとーちゃん?」

 仁和の重量で思った以上にシートが沈んでいるおかげで、後ろへ倒れそうになった椿は苦々しく仁名を睨み、「知らん。」と、腕を組んでじっと待った。

「爽ちゃん?」

 晴三郎がキッチンに戻ると、キッチンスツールに腰掛けた爽が俯いている。晴三郎は上機嫌で冷蔵庫を開けて箱を取り出しながら話し掛ける。

「ちょうどケーキを買ってきたんだけど、一緒に食べる?」
「いい。」
「あっち、行かなくていいの?委員長君待ってるよ?」
「・・・いい。」

 爽の様子がおかしいので、晴三郎は顔を覗き込むようにして聞いた。

「何?どうしたの?」

 すると、爽はみるみる瞳を潤ませてポツリと答えた。

「・・・何話していいか、わからない。」

 爽の気持ちを察した晴三郎は、ケーキの箱を置いて、傍に膝を折った。

「大丈夫だよ。そんなの、何でもいいんだから。今日あったこととか、話せばいいじゃない。」
「今日あったこと・・・。」

 爽は益々泣きそうになって、スツールの上で膝を抱えてしまった。

 この一年、引きこもり状態だった爽は、復帰早々二人も友達を連れて帰宅した。送ってもらったお礼にと、頑張って誘ってみたはいいが、初日からめまぐるしく変わる環境の変化に、彼のキャパシティは既にいっぱいだった。それが家族の顔を見たとたん、張り詰めていたものが溢れ、どうしたらいいか分からなくなってしまったのだ。爽のそういった幼なさを知る晴三郎は、小さな額にそっと手を当てて尋ねた。

「少し熱いね?」
「疲れただけ・・・」
「学校で具合悪くなっちゃったの?」

 爽はとうとう泣き出して、顔を伏せて「ごめんなさい」と繰り返した。晴三郎はゆっくりと髪を撫でてやり、

「どうして謝るの。大丈夫だから、ちょっと待ってて。」

 と言うと、手早く二人分の紅茶とケーキを用意するとキッチンを出ていった。

 ソファに腰掛けた無言の二人は対照的で、椿は拳を膝に置き瞑想するかの様に目を閉じ、仁和は鼻を鳴らしてキッチンから漂う甘い香りに反応している。

「二人とも大人しいなあ。」
 
大きなトレイを持った晴三郎が現れると、

「急にお邪魔してしまったのにすみません。どうぞお構いなく。」

 とまた頭を下げる椿の好青年ぶりに、キッチンスツールの上で膝を抱えて泣いている爽と同い歳とは思えない、きっとこれが世間一般の高校生なのかな、と晴三郎は複雑な気分になった。

「いや全然。」
「食べていいんスか?」

 硝子テーブルにお茶とケーキを並べて勧めてやると、仁和はケーキをふた口で平らげ、一気に紅茶を飲み干した。

「ご馳走様でした!」

 わずか二十秒足らずの出来事に、呆気にとられた椿が取りこぼした苺が皿に転がった。

 昨今の男子高校生の体格としては、破格のサイズである仁和は、肩幅も腕も爽の倍はある。全身から生命力が溢れ出ているような印象だ。何もかも正反対の仁和と爽がどのように友達になったのか、晴三郎は大いに興味があった、のだが、

「あのね。」

 晴三郎はゆっくりと切り出した。

「お待たせして申し訳ないんだけど、あの子ちょっと疲れてしまったみたいで・・・」

 椿はハッと皿をテーブルに戻して晴三郎の言葉を切った。

「具合、悪いんですか?」
「え、ええとね、少し熱っぽいと言うか。ごめんね、元々そんなに丈夫な子じゃないんで心配要らないよ。」
「ああ、それ今日・・・」

と、急に仁名が思い出したように口を開いた。


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序〜第三話、はてなブログからの転載です。