(K)not School Days 4

 始業式。
 
 続々と生徒達が体育館に集まり、各学年・クラス毎に整列していく。夏休みを終えたばかりの彼らは、未だ高揚感を鎮めることが出来ない。日に焼けた肌や軽くなった髪色、ピアス穴や握って隠したネイル。若者たちは、身体に刻んだ夏の日を名残惜しがっている。

 教頭の豊田の後について職員室を出た爽は、職員で入り口とは逆の通用口階段で三階に上がる。南校舎の一階と三階には体育棟への渡り廊下があり、三階渡り廊下は、体育棟二階、舞台搬入・搬出口に通じている。二人はそこから体育館に入った。体育館用シューズのみ持って移動するよう指示され、貴重品の入った鞄は、鍵のかかる職員応接室に置いてきた。

 まだどのクラスに属しているか知らない爽は、東側の教員列に独りポツンと佇んでいた。始業式終了後、再び応接室に戻り、担任と共に新しいクラスへ向かう予定になっている。

(ひとがいっぱいだ。)

 そう思うだけで身体が強張る。爽は押し寄せてくる不安な気持ちに押し潰されそうになっていた。

(うう、帰りたい。)

 そんな風に弱気になる自分は駄目だと思う。爽は軽く頭を振って溜め息を吐いた。つい半月前までそこには聖名のロザリオがあった鳩尾辺りに手を当てて目を閉じる。するとリハビリをする聖名の姿が脳裏に浮かんだ。

(頑張るって、決めたじゃないか。)

 鳩尾に置いた手をぎゅっと握って、目を開ける。

 九時二十分。

 マイクの電源が入る音に、ざわめきが潮の引く様に静まった。袖から校長が現れ舞台に向かって一礼すると、教頭の号令で生徒たちの列にウェーブが起こる。頭を上げた生徒たちの元気そうな顔を見渡して、校長は満足そうに礼を返す。

「えー、これより・・・」

 教頭が強張った声で厳かに開式を宣言しようとしたとき、突如それは無配慮な開閉音に掻き消された。
 体育館中の頭が後ろを振り返る。東側、一番後ろの出入口からゆっくりと、朝日を背に2メートルはある黒い影が現れた。巨大な黒い塊の火を吐くような咆哮あくびが轟く。

 直ぐ背後からの進撃に不意を衝かれた爽は、思わず身を縮めた。逆光で真っ黒に見えるそれが大きな人型をしていることを認識した爽はこのまま踏み潰されるのではないかと恐怖した。しかしその巨人は、突き刺さる視線をものともせず、暢気のんきに頭を掻いている。一同が呆然とその様子を見守る中、舞台上の校長だけが、なぜか大爆笑していた。

 侵入したその場で捕獲された巨人は、人類代表の教頭から「そこから動くな」と命ぜられ、爽の直ぐ後ろに立たされていた。ハプニングに逆に気を良くした変わり者の校長は舌好調で、話はどんどん飛躍し止まらなくなり、全校生徒はうんざりと足元ばかり見つめている。既に時計の針は半周している。

(やっぱり・・・昨日よく眠れなかったからボーッとする・・・。)

 爽も睡魔に襲われて何度も生欠伸を噛み殺していた。昨晩は眠りが浅くて何度か目が覚めた。朝食も少し食べられたが味がしなかった。それなのにさっきまでは、身体の疲労とは裏腹に頭だけは冴えていたのだ。

(何で、今なんだよ)

 付近に並立する教員の注意は、頭上の巨人に集中していたため、その影にいる爽の呼吸が浅く、荒くなってきていたことに気付いた者はいなかった。長年自分の体質と向き合うと嫌でも分かる前兆がある。急激な眠気の後に起こるのは、血が下がって頭が冷たくなる感覚、動悸と発汗と震え、四肢は怠く重くなり、次第に音が遠ざかる。自覚症状があった時は大抵遅い。送り出してくれた家族の顔が脳裏をよぎった。

仁和 竜にな りゅうの身長が190センチを越えたのは今年の夏だった。
昨年の夏、つまり中学最後の夏休み、竜は弟のおみに自分の背が伸びていることを指摘された。
 
 ねむいこはそだつ・・・?だっけか。

 そう言えば、竜は最近やたら眠かった。

 港邦高校受験を控えて夏期講習に出掛けても、爆睡してしまう竜に講師は激怒し受講三日にしてクビを宣告された。母親にはこっぴどく叱られたが、彼は少しも動じなかった。その頃彼の母は、人生に大切なのは諦めること、即ち「明らかに見極める事」であると、既に悟っていたので、彼を放任することに決めた。
それから竜は、余りある時間を食べては寝、余りある体力を走って消費しては寝、また余りある食欲を満たしては寝ることに費やした。

 果たして寝る子は育った。

 新学期、教室に現れた竜は、正に「誰!?」というくらいの変わり様だった。
成績は僅かにも延びはしなかったが、身長は実に20センチも延びたのである。

 その後、寝ることに飽きた彼は自分が受験生だということを思いだし、悪あがきを始めるが、結果は見ずとも明らかであった。そんな秋も深まった頃、途方に暮れる彼に救いの手が差し伸べられる。

 その日、帰宅した竜を待っていたのは、珍しく化粧をした母親と、隆々とした筋肉を無理矢理スーツに押し込んだような大男であった。その人物は、この秋の大会予選でヘルプに借り出されて出場した試合を見に来ていた、高校のラグビー部の部長兼顧問であり、要するに彼をスカウトに来たのだと言う。息子の進学を危ぶんでいた母は、この話にノリノリで、話はトントン拍子で進んだ。彼は特にラグビーに興味は無かったが、その男が自分に差し出した名刺に書いてあった文字を見て進学を即決した。『私立港邦学園高等学校』そう明記してあった。そして、所謂スポーツ推薦で、なんとか受験に合格することができるまでの半年間、彼の身体は更にじわじわ育ち、春には185センチを越えていた。

 結果的に、ひと夏の睡眠が、彼の進路を決めたのである。かどうかは定かでないが、兎に角、仁和竜は港邦高校へ入学することができた。

 竜は、突然自分に倒れ掛かってきた身体を受け止めた。
咄嗟に手が出たが、どうしていいかわからない。ぐんにゃりしている。

(なんだこれ)

 不測の事態に竜はそれを軽く揺すってみた。その途端、首がもげる様に前へ折れ曲がったので竜は目を剥いて焦った。荒く扱えば簡単に壊れてしまいそうな、人形の様に頼りない腕だった。竜はそのまま身体を支えて途方に暮れた。辺りを見回して、誰も気付いていないことに焦り逡巡しながらも小さく声を掛けてみる。

「・・・おい、生きてるか。」

 返事がないのでもう一度揺すってみると、今度は微かに呻く声がした。相手の生存を確認してホッとした竜はそのままゆっくり床に降ろそうとすると、なぜか抵抗された。

「・・・ただけ、だから・・・大丈夫・・・です。」

 蚊の鳴くような声だったので竜の耳にだけ届いた。膝に力が入らない様子だが必死に踏ん張っているようだ。血の気が引いたこめかみには、薄っすら汗が浮かんでいる。

(どう見ても大丈夫ではねえな。)

 やっと「ご静聴」から開放された溜め息が館内に溢れた。舞台上からご満悦の校長が退場し、段下の教頭がスタンドマイクで閉式の言葉を述べる。程なく教頭が、眼鏡のひょろりとした男性教員を連れて近付いて来るのが見えた。既に抵抗する力を感じなくなっていた身体を、竜はソロリと床に降ろしてみた。

「仁和ァ〜」

 後から来た教員は言うが早いか、ブリーチした竜の頭を持っていた日誌で軽く叩いた。「ちょ、体罰っ」と慌てる教頭を尻目にその教師は竜を睨み付ける。

「お前、新学期早々また遅刻っ!」
「すんません。」

 傍らでぐったりしている爽の様子にやっと気付いた教頭が、

「彼、どうしたの?君、なんかしたの?」

 と仁名をジロリと見上げた。

「死んでるかも。」

 と竜が言うないなや、また頭に日誌が振り落とされる。

「バーカ。」
「先生、だから体罰はっ。」
「どうせこれ起立性の貧血とかでしょうよ。毎年恒例の。全く、だからあの校長オッサン、話長すぎんだよ。」

 そう吐き捨てるよう言った男性教員は、盛大に舌打ちをして竜と教頭の間に割って入ると、閉店後のpepperくんの様な爽を竜に運ばせ体育館を後にした。

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onem
序〜第三話、はてなブログからの転載です。