(K)not School Days 2

 二人は改札を抜けて、朝日が眩しい出口へ向かう。

「そう言えば、何でこんな早い電車に乗ってたの?」
「えっと今日は初日だから、色々、始業式前に職員室に提出しなきゃならない書類とかあって。」

 今日は、一年間の遅れを取り戻さねばならない爽にとって再スタートの日である。長い憂鬱な日々は過ぎ去り向かえた新しい朝は、初っ端からラッシュの洗礼に合い、屈辱を味わい、世知辛さも思い知った。

 だが、そのおかげで椿に再会えたのでプラマイゼロだ。爽はそう思うことにした。

「氷川は落第したの?」
 
 決意も新たに歩き出した爽に、横を行く椿が吐きそうなボディブローを浴びせてきた。

「・・・したけど。」

 がっくりと答えると、椿は「当然か。」とまた軽やかに笑って言った。

「大変だな。補習とかあるんだろ?」
「うん。明日から特別にカリキュラム組んでもらってる。」
「ふうん・・・良かったら、勉強手伝おうか。」
「えっ、いや、えっと、いいよ、悪いよ。」
「補習も大事だけど、予習も必要だろ?それに氷川の予習は俺の復習になるわけだし。」

 爽は家族以外の人間との久し振りの会話に戸惑いを覚えながら、それでも拒絶せず、歩み寄ってみようと思えるようになった自分の心の変化に驚いていた。爽が承諾すると、椿の顔がパッと輝いた。そう見えただけかもしれないが、爽には確かに眩しく見えたのだ。

 差し出された厚意に応えると、相手はこんなに喜ぶものなのか。
爽は新鮮な驚きと共に、形容しがたいほかほかとした気持ちになって、なんだか落ち着かなかった。しかし、どうしていいのか分からないので、そのまま黙ってつま先を見て歩き続けた。急に無口になったので、緊張しているのかと椿に尋ねられ、爽は初めて自覚した。

(そうか俺、緊張してたんだ。昨日もよく眠れなかったし。だからこんなにドキドキって・・・。)

「もしかして、また気持ち悪い?」

 椿が真面目な顔で覗き込んでくる。爽のコミュニケーションスキルは元々低い。しかもこの1年間殆ど使用していなかったスキルを突然フル稼動させているので随所に不具合が発生している。どう対処するべきか混乱して必要以上に首を振ってしまった。挙動のおかしい爽を見て、「そっか、それなら良いけど。」と少し笑うと、前を向いて話し始めた。

「俺、また生徒会とかやってんの。」
「スゴい、そうなんだ。」
「別にスゴか無いよ。今日も始業式の準備と撤収とか、全然、雑用もあるし。」

 そうして、照れながらも嬉しそうに話を続ける椿と並びながら、爽は暫く坂道を登り続けた。

 段々と傾斜が急になる道に葉桜が東からの陽を受けて坂に影を落としている。春にはとても美しいこの坂を登りきったところに港邦高校がある。椿には通い慣れた道だが、爽にとってはかなりキツイ傾斜であったようだ。坂の途中、とうとう爽の脚は止まってしまった。今朝はよく晴れて気温も高く、椿も少し汗ばんだ額を腕で拭った。

「キツイ?」
「ごめん。俺、運動不足で・・・情けない。」

 椿は爽の鞄を持って木陰へ誘導した。それだけでも爽には十分に楽になったようだ。ひんやりとしたコンクリートの外壁を背に座り込み、呼吸を整え始めた。

(俺はもう慣れちゃったけど、こんなに消耗するものなのか。) 

 まだ誰も通らない早朝の坂道に、爽の息遣いだけが聞こえる。椿は俯いた爽の折れそうな首を見降ろしていた。白く隆起した首の骨に触れようと指を伸ばしていた椿は、ふと顔を上げた爽が一瞬訝しげにこちらの見るので咄嗟に目を背けた。

「汗、拭いたら?」

 そう言われて初めて、額から流れる汗に爽は気付いた。椿から差し出されたハンカチがぼんやりと視界に入る。きちんとアイロンを当てた清潔なハンカチだった。

「い、いいよ。キタナイから・・・あ、ハンカチじゃなくて俺の、ちが、違う、俺の汗が・・・。」

 爽はしどろもどろになりながら、出掛けに晴三郎に渡されたハンカチを取り出そうと必死にポケットを探った。

「いいから、使ってよ。」
「でも・・・汚しちゃうし。」
「変なこと気にするなあ、氷川は。」

 椿はそう言って笑って見せてはいたが、心の中では、さっきの衝動に戸惑いを感じずににはいられなかった。

「ごめんね、洗って返す。」
「いいって、そんなの。それより、これ、何が入ってんの?」 

 リュックサックの膨らみへ向けられた疑問に、爽は思い出したように顔を上げる。

「そうだった、色々・・・持たされた・・・。」

 ノロノロとリュックサックを開け、次々と出てくる熱中症防止グッズに唖然とする椿を尻目に、爽は冷えピタシートを額に貼り冷感タオルを首に巻き、ハンディファンを強で回した。更に経口補水液を飲んで一息付く様子を見ていた椿は堪らず吹き出してしまった。爽は火照った顔をさらに赤くして、また俯いてしまった。

「大丈夫?立てる?」

 一通り笑い終えた椿が言うと、耳まで真っ赤にしていた爽も立ち上がり、また二人で歩き出す。明らかに椿が自分の歩調に合わせてくれていることが分かる。

(今日、何回大丈夫って聞かれただろう。俺なんか置いて先に行ってくれていいのに。)

 以前、兄の理紀に「自分なんかどうなろうとお前に関係ないだろう」と言って殴られた。理紀があんなにキレたのは初めてだった。「俺なんか置いて先に行ってくれて構わない。」と言ったら、椿も怒るだろうか。差し伸べられた手を取ってしまったが、こんな時なんと言ったらよいか分からない。そもそも椿は何で親切にしてくれるのか。何故自分の様な面倒くさい奴に関わろうとするのか。

(いや、もう今ので愛想尽かされたかも。当たり前か、俺とは全然違うもん。
生徒会だし背も高いし頭良いしきっと友達いっぱいいるし・・・二年生だし。)

 ようやく坂を登りきると、レンガ色の校舎が見えてきた。入学して数ヶ月しか見ていないから、なんだか懐かしいような気さえする。正直、去年の今頃はこうして帰って来られるとは思わなかった。またここで学園生活が送れるとは。爽は少し震えていた。それが武者震いと言えるほど心が立ち直っている自信は無い。でも、少なくとも、怯えて逃げて隠れなければなけない理由なんて、何処にも無い。

 白い日傘も、その影から見つめる視線も、もう感じることは無い。

 まだ開いていない正門を回り込み、裏手の通用門の前まで来ると、爽は大きく深く、吸い込んだ朝の空気で肺を満たし、もやもやを吐き出した。背筋を伸ばして門を潜る傍らの爽に、入学式で我が子を見守るような、微笑ましく、それでいてじんわりとした感動を覚え、椿はなんだか鼻の奥がツンとしてきた。

 初日は職員入口から入るよう指示されていると爽が言うので、二人はそこで分かれた。

「じゃ、また始業式で。」

 そう言って椿が手を振ってやると爽ははにかんで、でも安心したように棟内に消えた。その後姿が見えなくなると、彼はその手を拳に変え、渾身のガッツポーズを決め、それが誰かに見られなかったか周囲を確認すると足早に二年生の靴箱へ向かった。 

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序〜第三話、はてなブログからの転載です。