「(K)not」第二十八話
一年前まで屋上が解放されていたのはどうやら本当らしい。中学校の屋上で共物質を見つけた有馬は、夏休み中も練習のため登校していた吹奏楽部員に話を聞くことが出来た。生徒たちは皆同様に、最初驚いて固まるが、割と礼儀正しく応えてくれた。夏休みと言えど様々な理由で登校してくる生徒はいるものだ。登校する人や団体は事前に申請をして、どの教室を使用するのか届け出ておかなければならない。そして学校側も申請を受けて教室使用の管理をする当直の教師を用意しておかなければならなかった。
吹奏楽部員の話では、一年前の事故当日も部活動で登校した後一旦帰宅し、夜半もう一度学校に集まって屋上で花火を観ることになっていたと言う。即ち、当直の教師は施錠するのを「忘れた」のではなく、吹奏楽部員と申し合わせの上、わざと「開けておいた」ことになる。成程一年前にはまだあの高い金網は無く、あの屋上から空一面に打ち上がる花火を眺めるには最高の特等席だったであろう。
しかしだからこそ、残念なことに女子生徒が飛び降りることが出来たのだ。
学校側も、安全管理の面で追求されることになるのは容易に想像できたであろう。責任を逃れる為に事実の隠蔽をしたと言われても言い逃れは出来ない。有馬の感じていた疑問は払拭されたが、学校側が事故当日屋上を施錠していなかった本当の理由が分かってしまって些細なわだかまりが残った。
翌水曜日。
有馬は中学校の屋上で見つけた共物質とともに428に持ち帰ったこの事実を魑之に報告した。毎年開かれる花火大会は、大玉花火を間近で体感出来る彼の地元の夏の風物詩で、聖名が家族と行くことを楽しみにしていたというものだ。魑之は今朝も有馬の買ってきた朝食代わりのホイップ増量抹茶クリームフラペチーノを吸い込みながら「ふーん。」としばらく黙り込み考え込んでいたが、不意に思い出した様に尋ねた。
「ウーマ、あのトリケトラ、爽が首から下げてたって言ってたよにぇ?」
「ハイ。ゲロ吐いてぶっ倒れて。」
「で、ミドリ君は、その日聖名の容体に異変があったって言った。」
「そっすね。」
「結を肌身に付けた爽が危機に陥ることによって、聖名が覚醒しかけたって仮定すれば。感覚モダリティは結を通じて聖名の魂を刺激できる。」
「ハァ。そっすね、全然分かんねぇけど。」
魑之の思考は有馬の相槌など問題にしておらず、ずっと「花火」に囚われていた。そして大嫌いな紙製のストローを噛みながら、彼女は何を考えているのかずっと呟いていた。
「花火・・・花火にぇ・・・ハニャビ大会・・・。」
誰のものか察するに、その緑青化したボタンは飛び降りた女生徒のものなのだろう。彼女の共物質は、彼女の魂と結び付いている。共物質の捕縛を解けば、執着し追い掛けている爽の元に向かうだろう。一方爽は聖名の共物質を通じて聖名の魂の元へ導かれる。つまり、爽を囮にして聖名の魂の在処を観測しようというものだった。そしてあわよくば、爽に喰い付いた聖名を釣り上げようということなのだ。
遠隔同衾術、魑之の言うソレはざっとこんな意図らしい。
有馬と瞬は見届け人として、互いに連絡を取り、魑之と爽の眠りが同調するよう見守る。見守るからと言って何が出来る訳でも無いのだが、こうも利用され続ける爽には同情を禁じ得ない。
*
昼下がり、大人図書館には来客があった。
出迎えた有馬は思わず「あ」と驚きの声を上げた。曇天とはいえ不快指数の高い屋外から、冷えた図書館の中に足を踏み入れ、束の間の快感を味わっているその人物は、有馬もよく知る沖崎医師、その人だった。有馬が一礼して挨拶すると、沖崎はハンカチで汗を拭いながら、
「やあやあ、お父上から聞いていますよ。お疲れ様です。」
と、長身を折って丁寧に返した。すると部屋にいたはずの魑之が、
「オッキー!」
と叫んで駆け寄って来た。身長差が30センチ以上ある二人が、久しぶりの再会を喜んでハイタッチを交わす様子をポカンと見ていた有馬は、ハタと沖崎の言った「お父上」について首を傾げた。どうやら魑之は、沖崎医師と「お父上」を大人図書館に招いて、何かを画策するつもりでいるらしい。
二人はテーブルに着くと、有馬の給仕でお茶をしながら、あれこれ近況を報告しあった後、いよいよ本題に入った。
議題は、あの日、何が聖名の魂を揺さぶったのか。共物質を通して脳に外界を知覚し認識させることを、果たして人為的に起こせるのか否か。万一同じことが起こせたとしても、今度は覚醒に導かなくてはならない。では何故、前回は覚醒に至らなかったのか。
それは何かが足りていなかったと考えるべきか。反対に何かに阻まれていたと考えるべきか。
「共物質が魂と肉体を結ぶから脳に意識が発生する。脳が脳として機能し、肉体が生きる。しかし聖名さんは今、共物質に魂が閉じこもっている状態です。何故そんな状態に陥ったのか。それは恐らく魂を護る為です。自己防衛なのか、何者かの意志なのかは不明ですが。では何から護らなければならなかった? 」
「ここからは、魑之の領域だにぇ。それは別の結を見れば明らかにぇ。」
「ムスビ・・・貴女方はそう呼ぶのですか。」
魑之はテーブルの上にコロンと小さな物体を置いた。緑青化したそれは学生服のボタンに見えた。
「ほほう、これは。」
沖崎は眼鏡の縁を摘み上げながら、興味深げに物体に顔を寄せた。
「入ってますね。これは・・・魂ですか?」
「正確には、元・魂かな。」
「何だかスゴい色してますね。」
「でしょ、ウチのUMAが捕獲しました〜。」
「へえ〜いいなあ、欲しいなあ。」
「はい、危ないから触らないでにぇ。」
魑之はそれ白い布に包むとさっさと片付けてしまった。そして少し憐れむ目をして言う。
「この娘、多分呪っちゃったのよ。故意なのか事故なのか。まぁ不幸にも素質があったんでしょうにぇ。」
「でも、そんなに面白そうなモノを使わない手はないでしょう?」
「そりゃ勿論。お、オッキーそろそろ時間だにぇ。」
魑之と沖崎は、ソファから移動し、観測所内のテーブルに各々ノートパソコンをセッティングし始めた。二人は向かい合ってイヤホンを装着し、パソコンの画面に頭を下げたり手を振ったりしている。「お父上」が参加したようだった。
WEB会議が始まった。