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2025/02/06木曜日の日記:大人になるとゲームが出来なくなるのはなぜか
昼食に値段の下がった菓子パンを発見できたら、それは非常に幸運だ。安いコーヒーと合わせれば1日200円で済ますことが出来る。これが社会人よ現実だ。
大人になったら、どうしてゲームができなくなるんだろう。休みを取ってゲームをしようとしても、結局やらない。じゃあ、その時間に何をしているのかと言うと、疲れてぼーっとしていることが多い。
ぼーっとしながらできることといえば、動画を見たりアニメを見たりすること。でも、「見る」というより、ただ眺めているだけに近い。駅で車窓をぼんやり見ているようなイメージと言えば、分かりやすいかもしれない。
どうして歳を取るとゲームができなくなるのか。まず、ゲームをするには何かを「読んだり」「考えたり」する必要があるので、それだけで疲れる。そして、ゲーム機を出して電源を入れ、ログインするといった準備そのものが面倒になってしまう。
本当にやりたいゲームがあれば、きっとそんなことは気にせずやるんだろうけど……どうしてだろう? やりたいゲームがあるのにやれない。気がつけば、ゲームのことを考えながら、ただぼーっとしている。これは、やはり老化ということなのだろうか?
せっかく休日を取って「遊ぼう」と思っても、結局頭の中にあるのは、「家のことをしなければならない」という義務感と、「何もせずに疲れを癒やしたい」という気持ち。それに、「持ち物を整理したい」という思いばかりで、そこに「ゲームをする」という選択肢が入り込む余地はない。
本当なら、まだプレイしていない『ドラクエIII』や『鳴潮』をガンガン進めればいいだけの話なんだけど……。でも、ゲームをしようとすると、「休んでいるのに家のことを何もせず、ゲームをしている」という罪悪感が湧いてきてしまう。僕には、やはり「家族」というものが向いていない気がしてならない。
それに、昨日 iPad MINIを落として傷をつけてしまったことで、気持ちがすごく落ち込んでいる。もう iPad mini 自体を見たくないという思いすらある。でも、だからといって捨てることはできない。売るとしても、おそらく今の半額程度の値段しかつかないだろう。それなら、機能的には問題ないのだから、使い続けるしかないというのが、結論。
僕が主に過ごしている車の中で、iPad mini を固定し、組み込み用の端末として使おうと思っている。僕が持っているのは SIM フリーモデルなので、SIM を挿せば通信もできる。車内のどこかに設置して使うのもアリかもしれない。
ただ、一番の問題は夏場だ。車内の温度がかなり上がってしまう。でも、それはそれで「壊れたら仕方ない」と割り切るしかないのかなと思っている。直射日光に当てなければ壊れないんじゃないかとも思うが……。そのあたりは、日光を防ぐものを使ったり、冷却できる場所に置いたりして調整するつもりだ。
それにしても、傷がついた iPad mini を使い続けるのは、僕にとって心理的負担が大きい。どうしようもない。じゃあケースをつければいいのか? そうだ、ケースをつけよう……いや、もう遅いからつけないけど、新しく買う iPad には、重くてもケースをつけることにしよう。仕方ないよね。
でも結局重くなるの嫌いだからつけないだろうけど。