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なかやまかずはの『ささめごと』

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"えっくす"のタイムラインのように、時系列で"なかやまかずは"の映画感想・自由律俳句・140字のショートエッセイ等もろもろを「こしょこしょ……」とささめています。
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#エッセイ

【#散文】 「あ」・「あ」・「お」は何度でも

【#散文】 「あ」・「あ」・「お」は何度でも

仕事(と私は呼んでいる)柄、なるべく単語の意味が重複しないように注意を払いながら言葉を紡いでいるので、日常生活でもその癖が反映されることがある。

ありがとう
あいしてる
おめでとう

くらいは、誰か/何かに伝えられるうちに遠慮せず何度でも使っていきたいものです。

言葉自体に消費期限はなくとも、使える対象にはきっと限りがあるから。

【#詩】 リフレイン

【#詩】 リフレイン

名前を付けれぬこともある
見知らぬ誰かが言っていた

言葉に出来ぬ夜もあると
知らん顔してくちばしる

ねえアタシ「素敵でしょ?」
聞く耳持たず 日が昇る

ねぇアタシ「ごめんなさい」と
言葉も無しに 目を伏せる

時空を超えた 愛してる
これは決して恋ではない

きっと、恋ではない
知ってるよ、でもすきなんだ

来世に持ち越し「また逢おう」

またね、またね。
逢えるならまた

いつの日か また

もっとみる

自分であるために闘ってきた。
闘うことでしか自分を守れなかった。
負った傷は目に見えないくせに酷く痛む。
闘わず生きられる人を羨むこともあった。

この闘いに勝ち負けも引き分けもない。
孤独や痛みの代償は確固たる自分自身。

失うと同時に得た自由は
寂しさと誇りを混ぜた味がする。

所用のため60数年振りに地元から離れた場にひとりで行くことになった祖母を見送った日の晩。星も夜景も綺麗なのに眩い太陽のような笑顔が見れないだけで少ししんみりしたものの、「しばらくさらばじゃ~!」と堺正章を陽気に歌う姿を思い出して結局ほっこりした7月最後の日。

私は言葉を主軸とした表現に携わっているけれど、「言葉がなくても想いが伝えられたらいいのに」と思ってしまうこともある。

うまく言葉を探しても、意味をなせない。
気持ちが涙と溢れ出て、意味をなせない。
泣いていいのは私ではない。

優しさで悲しみを溶かすよな言葉を使えたらいいのに。

「あなたの作品が大好きです」
「あなたのことをとても尊敬しています」

生き方や作品に影響を受けた方を昨年亡くし、とうとう本人にこの想いを伝えることができなかった。

──その後悔こそが、抱いた感動や尊敬の念を"言葉"にしてまっすぐ相手に伝えてしまう最大の理由だとやっと気づけた。

かろやかさ、が欲しい。
あれこれ考えず、いつの間にかつま先が出ちゃって歩み始めちゃったー、みたいな。

でも、それができないタチなんだよなー、ということもちゃんと分かっているので、「まっとうにできる人」と比べるのはやめる。

じっくり、熟考しながら私の歩幅で生きていくことにした。

ホークスファンになる前からだいすきだった野球選手のひとり、松田宣浩さんが引退なさることを、知ってしまった。

「おつかれさま」と「さみしいよ」が混ざりあった感情を切り取って、文字にしてみる。

マッチからもらった沢山の"元気"を忘れずに生きていけるといいなぁ、と祈りながら。

脳内キャパオーバー×体調不良が重なりすぎたが故に本腰入れて執筆に取り組めない現状に嫌気がさしたり。2年前に自分の中で何かが半壊してしまってから、日を追うごとに影の部分が大きくなっちゃって。中々こちらでは活動出来ておりませんが、生きて、"書いて"います。今日はありのままを綴りたく。

『サイモン・バーチ』を観た。
茶目っ気と聡明さを兼ね備えたサイモンと、消えない痛みを抱えながら生きているジョー。12才の少年の物語はセンシティブかつ、ハートフル。ラスト5分間は涙無しでは観られないくらい、サイモンが残してくれたものがあまりにも大きくて胸がいっぱいになりました…。

”感想文”とつくものがドヘタすぎて困る。
それこそ#読書感想文2022を書いていて、
「ここはどうしても外せない」「この言葉を伝えたい!」「好き!」etc.気持ちが強すぎて書けないループから延々抜け出せません。
ぐぅ……。
(訳:今日は書けないので後日投稿になります)