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人の「生きる」に貢献したい-有志団体A2 代表 西浜秀美【ONE JAPAN事務局インタビュー】

大企業の若手・中堅社員を中心とした約50の企業内有志団体が集う実践コミュニティONE JAPAN。その運営を担う事務局メンバーを紹介する【ONE JAPAN事務局インタビュー】。
これまで、共同発起人/共同代表の山本将裕を始め、事務局メンバーのインタビューを紹介してきました。
今回は、ONE JAPANの事務局で有志団体活性化チーム(ACTI)として、ONE JAPANに加盟する有志団体の活性化に精力的に取り組む西浜秀美に、自身のマインドの源泉や有志活動についてインタビューしました。

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【西浜秀美】
2008年にアステラス製薬に入社。営業職(MR)を経て、2014年より採用担当、研修企画などに従事し、新規のグローバルPJの立ち上げ等に携わる。2016年に事業開発部へ異動後、新規案件探索から契約交渉等を担当。2018年よりCommercial Strategy & Capabilitiesに異動し、グローバルにおける新製品マーケティング、New product planningを担当。2014年に社内有志団体A2を共同発起人として立ち上げ、代表を務める。

○学生時代、人生観を変えた後輩の存在

-西浜さんの学生時代について教えて下さい。
西浜:
「昔から変わっていない」。これはよく言われる言葉です。中学校中盤から高校にかけての、「それいいね、やってみよう」「ポジティブにいこう」という明るいスタンスは変わっていないですね。一方、自分の人生観を変えた出来事も、大学時代にありました。
大学では今まで全く関わりのなかった体育会に入り、テニス部のマネージャーとして活動していたのですが、そこで仲が良かった後輩がいたんです。後輩は有名なプレイヤーで、「一緒に日本一をとろう」と仲間と共に言い合っていました。彼とは仲が良く、毎週フリーの日が1日だけあるのですが、その日はいつも一緒にカラオケに行くのが定番。
ですが、ある日、骨肉腫という進行性の骨のがんが発覚し、そこから1年くらいで旅立ってしまったんです。

それはショックですね。
西浜:
重い話をするつもりはないのですが、「テニスで日本一をとりたい」「西浜さん、一緒に頑張りましょう」と言って、また明日テニスコートに立つことを夢見ていた彼が急に旅立ってしまって。「私が生きてる今日は、彼が生きたかった明日だ」というフレーズはよく聞くかもしれませんが、それを現実のこととして、実感した出来事でした。
なので、彼の明日を生きている自分は、「ただなんとなく日々を過ごしていいのか」、「なにか日々プラスになること、意義あることをしたい」と考えるようになりました。

○医療のフィールドで「生きる」に貢献したい

そうした経験が、キャリア形成の根底にあるのですね。
西浜:
そうですね。就職活動の時にも、「生きる」というキーワードを掘り下げて、人の健康の根本でもある医療に携わりたいと思い、製薬企業の営業職(MR)を中心に選考を受けて。その中でもアステラス製薬は、先進的なことも取り入れており、「挑戦できそうな会社だ」と感じたことが志望した理由でした。
入社後はいろいろと刺激的な仕事を担当する機会に恵まれたのですが、特に事業開発部での仕事はやりがいも大きい反面、ハードルが高かったです。科学的な知識が必須ということに加え、公用語が基本英語ということもあり非常に苦労しましたが、異動前から仕事で英語に触れざるをえないような修羅場を自ら作り、自分でバッターボックスに立って、必死に習得したことで、なんとか対応できました。修羅場作りを後押ししてくれた当時の上司には本当に感謝しています。

仕事におけるターニングポイントを教えてください。
西浜:
先ほどの事業開発部での経験は間違いなくターニングポイントでした。それ以外にも、今の仕事におけるマインドに関わる経験が営業時代にありました。
営業時代、育ての親のような方がいて、早くに旅立ってしまったのですが、最期に「西浜さん、医師も人だということを忘れず、自分らしさを大切に、これからの医療に大きく貢献してほしい。あなたならできる。」という言葉を遺してくださって。使命感が強まりましたし、「医療は人がつくっていて、携わる形は営業であっても事業開発であっても、薬を届ける先の人を想うことで本質に近づく」と改めて感じました。

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○「多くの人を巻き込む意義」を知った有志活動

有志活動について教えて下さい。
西浜:
2014年、営業から本社部門に移ってきた際に、社内有志団体であるA2を代表の1人として立ち上げました。きっかけは、営業や研究等のいわゆる「現場」から本社に来た社員が受ける部門横断の研修でした。その際感じた「違う部署の人といろいろ話すのって、すごく意義があるよね」という想いにより、部門紹介や勉強会などが始まっていきました。私も最初そのメンバーにいて、共同発起人という立場ですね。
ただ、以前は幹事という役割を設けて、10名くらいのコアメンバー中心で回していたのですが、その半数くらいが海外転勤等でコミュニケーションがとりづらくなったこともあり、運営方法は試行錯誤中です。今はやりたいこと、挑戦したいことがあるメンバーの、それぞれのやりたい!を深掘りし、実現する活動に注力しており、将来的には、幹事という役割をなくしても、色々な人が企画を実行して、ナチュラルにそれが回るのが理想だと思っています。
ONE JAPANと関わるようになったのは、MBA修習中の座談会で、共同発起人/共同代表の濱松さんに出会ってから。ONE JAPANは志を持ち自社を良くしたいと思っている人が集まっていて、その人たちと一緒により良い道を探したいと思いましたし、製薬会社は視野が狭くなりがちなので、他社・他業界の人と話していい刺激を与えたいという意味でも「絶対に入りたい」と。何度も濱松さんに直談判をして、加盟できました。

ONE JAPAN加盟後、自身にどんな変化がありましたか。
西浜:
「多くの人を巻き込む意義」を学びました。ただ単に人数が多ければいいというわけではないのですが、少数で閉じているだけではなく、想いや熱量のある人を巻き込んでいくことにより、多様な視点からの良い刺激が得られ、やりたいことを実行に移すときに頼りになる仲間がいることが、挑戦につながると思っています。
また、自分自身も、ONE JAPANのメンバーに刺激を受けています。今、ONE JAPANに加盟する有志団体の活性化を支援する役割の「ACTI」というチームで活動していますが、会社も違うけれど、同じ目的のもと熱く行動できるメンバーがいることはとても心強いですし、尊敬できる仲間との活動は、自分のモチベーションにもつながっています。

○多くの人が充実した人生を送るために、やれることは最大限やる

最後になりますが、ご自身の今後の抱負について教えて下さい。
西浜:
「多くの人が充実した人生を送るために、やれることは最大限やる」というのを常に思っています。本業である医療のフィールドにおいて、自社から革新的な医薬品を生み出し、患者さんに届けるために尽力するのはもちろんですが、それに関わる人がより良いチャレンジができるように有志活動であるA2にも取り組みたいです。ゆくゆくは、若手の意見をしっかり汲んで、「よし、やってみよう」と背中を押せる、関わる人の可能性を広げられるようなミドルになっていきたいです。
ONE JAPANでは加盟団体の有志活動が活発に行われていますし、組織を活性化し、社会をより良くしていくというビジョンにすごく共感しているので、自分自身もそのために今できることを、最大限続けていきたいと思っています。

常に明るく笑顔で前向きな西浜。幹事や事務局メンバーも、彼女からたくさんのエネルギーをもらっています。ですが、その笑顔やエネルギーは、実は笑顔では語れないシビアな経験に裏打ちされたものでした。
そんな経験も力に変える、西浜の熱い想いが強く伝わったインタビューとなりました。(インタビュアー)

インタビュー:福井崇博 香西直樹 
執筆・編集:矢野夕梨子
 

■ONE JAPAN 公式HP
http://onejapan.jp/
■ONE JAPAN 公式Facebookページ
https://www.facebook.com/one.japan.org/
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