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フットボーラーは二度死を迎える
1. フットボーラーの日常
試合を終えた翌日は体中の痛みで目覚める。
月曜日のロッカールーム。
週末の結果次第で雰囲気に差が出る。
ただスペインではどんなときもチームメイトたちとの会話に冗談が途切れることはない。
もはや挨拶代わりのようなものだ。
ウルグアイにいたときも仲間たちとの間で笑顔が絶えることはなかった。
着替えを済ませたらピッチに出てアップをする。
必ず練習を始めるまえにみんなで何周かジョギングする。
それぞれが持ち寄った話題を話しながら、その日の自分、チームメイトのコンディションをチェックする。
いざボールを使った練習が始まると、みな感情を露わにして喧嘩沙汰になることもしばしば。
感情と理性がぶつかり合う90分を終え、再びロッカールームに戻り、シャワーを浴びる。
その間もずっとチームメイトたちとは、その日の練習のハイライトを話す。
お互いにバチバチに削り合ってアザだらけになりながらも、また翌日にはいつものように冗談を飛ばし合う。
週末を迎え、適度なプレッシャーや不安と、再びピッチ上でプレーできる喜びを抱え試合に向かう。
試合中は時間の流れが変わる。
有利な状況に立ち、自分たちがゲームを支配できているときには、時間はあっという間に過ぎる。
逆に自分たちが追う立場であったり、たとえスコアで有利にたっていたとしても、ゲームをコントロールできていないときは、時間の針がまるで止まっているかのように感じられる。
試合に勝てば、満足かと言われると必ずしもそうではない。
たとえ勝利したとしても、その内容が満足いくものであることはまずあり得ない。
完璧は存在しないと知っていても、限りなくそこに近づきたいと願うのが、フットボーラーだろう。
皮肉かもしれないが、一生到達することはない高みを目指し続けて、キャリアの最後までサッカーをする。
2. 選手としての終わり
皮肉と書いたが、あくまでひとつの視点から捉える場合に限ってだ。
裏を返せば、一生上手くなり続けることができる、とも言える。
キャリアの9割は思い通りにいかないことや、弱い自分と向き合うこと、幾度となく訪れる挫折、悔しさに涙することで占められていると言っても過言ではない。
それら全てをおくびにも顔に出さず、平然とした表情でピッチ上ではプレーすることが求められる。
サッカーは相手との戦いであり、自分自身との戦いだ。
サッカー選手は二度死ぬ。
選手としてのキャリアを終える時と、天からの迎えが来た時だ。
ただ最近思うのは、本当にキャリアを終えるまえに死ぬことができる選手は強いということ。
プライドから実績、すべてのしがらみ、欲、煩悩などすべてを捨て去り、純粋にサッカーと向き合う。
一種の悟りとも言えるかもしれない。
自分がその悟りの状態に至ったとはお世辞にも言えないが、本当に欲しいと願うものこそ、手放してみるくらいでちょうどよい距離間が保てるのかもしれないと最近は感じる。
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