③ 『一日のスケジュール』昭和50~60年代の習志野市立津田沼小学校 エンサイクロペディア~記憶の彼方にダイブイン~

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津田沼小学校における1日のスケジュールの記憶


40年以上前の記憶にある津小の出来事。
記憶力が衰えつつある今、徒然なるままに書き綴りたい。記憶違いがなければ良いが。


①朝は7時前?に自宅を出発。登校は7時半までだったような。

②登校して直ぐに体操服に着替える
(6年生でも男女同じ部屋。1年中、半袖半ズボン、ブルマー。長袖 長ジャージは小学校指定の物が存在しなかったのだろうか?)靴下は白が指定されていた。

③校庭に出て、担任の先生の指示に従う。
先ずはメンテナンス
●鉄棒をヤスリで研く。ピッカピカのシルバーになるまで。可動式の鉄棒にて学年により高低調整可能。ヤスリで研き、他校や公園の茶色い鉄棒より細いのが津小鉄棒。

●跳び箱の着地する砂場をスコップで掘り起こして、砂場をふんわりさせる(1列に並んで後ろに下がっていく)。跳び箱着地での怪我防止に。

●校庭中央に鎮座するトラック型の芝生の草むしり。季節により、ミミズやモグラが顔を出す。芝生トラックは神聖且つデリケートであり、靴と靴下は脱いでから芝生にインすること(芝生土足厳禁)!

④朝の器械体操練習の後、教室に戻って毎朝お掃除タイム。

校庭清掃を命じられた生徒は竹ボウキで落ち葉をはく。教師はおサボリがいないか巡回。

教室掃除担当は雑巾で床を水拭き。バケツの水が真っ黒になってからも、雑巾をゆすいではしぼる。節水。

横一列に並び、四つん這い。後方へ下がりながら、雑巾の手を右へ下へ左へ下へ、所謂「コの字型」で拭いていく。入学してすぐに習った掃除方法を六年間行う事。

なお、体育館に行く時は教室から裸足。何故なら体育館は板張りにて傷がつきやすい、且つ、体操をやる者にとって体育館は神聖なる場所。敬意を払い教室から裸足で参るのだ。その為、冬場は足の指が「霜焼け」になった。


⑤2時間目の後?に『行間体育』

朝礼台に登った代表教師(日替り?週替り?)に従う。

二人 男女ペアになり、倒立や人間跳び箱をする。何とか開閉跳びを20回位やる。

毎日、男女ペアでフォークダンスの後、シメはクラス別「行進」。行進の芝生トラック周辺を一曲終わるまで、グルグルまわる。他のクラスとすれ違う様は壮観だ(笑)

当時の曲は、ゴダイゴや銀河鉄道999。

たまに全国から物珍しい教育法を見に、他校の教諭がどっと来る研究され日があった。

⑥4時間目の後は給食。
当時は「にゅうめん(袋に入った茹でたうどん) with ミートソース」「ミルメーク(滅多に出ないコーヒー風味の甘い粉)」を楽しみに生きていた。習志野市給食センターから配送されてきていた。

毎日、瓶牛乳のビンをバケツの水ですすぐ。バケツの水は真っ白だが取り替え不可(節水)。

⑦二度目の掃除タイム。
またバケツの水は真っ黒だ。冬場は指はかじかみ、霜焼けやあかぎれ。

⑧五時間目の後は、高学年だけは週に一度、二度目の行間体育。

⑨帰宅する際は私服に着替える。
放課後残って、友達とドリームスカイダーで遊んでも良し。

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令和になり、娘に言った。

「お父さんの小学校ではな、
朝から帰りまで、国語も算数も体操着。女子が365日ブルマー(パンツ型体操着)姿で、たまに“はみパン”(パンツがはみ出す)があった」

体操着は体育の授業の時にしか着用しないし
ブルマーを知らない世代の娘

「何それ?!きんもっ」


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