何も記事にするネタがないのは、平和なのか刺激がないのか。
毎日ブログを更新していると、毎日がネタ探しです。
ネタ帳に、1日あった出来事を書き留めたり、電車の広告や街中で見た風景から感じたことを書こうと思ったり。
何もネタ帳に書くこともなく1日が終わろうとしているので、
ネタがない事をネタにしてみた。
少し脱線しますが、物事は見方によって様々な捉え方ができます。
表裏一体のように、角度によって全く異なって見えます。
なぜこんな話をしたかというと、ネタがない日とはどういう日か?
考えてみることに頭の片隅に入れるとわかりやすいと思ったから。
さて、ネタがないということは”ありきたりな1日"を過ごしていると言えます。
朝起きて、会社に行って仕事をして、帰宅する。
なんとシンプルな1日でしょうか。
よく言えば、平和な1日とも言えます。
別の角度から言えば、刺激のない1日だったと言えるでしょう。
例えば、いつもめちゃくちゃ忙しかったり、プライベートでも感情動かされることが起きたり。
忙殺される日々の中で何もない1日があることは、むしろ特別な1日と言えるかもしれません。
会社に行って仕事をして帰る日常が普通であるならば、ルーティンの中に組み込まれた1日を過ごしていただけかもしれません。
「じゃあ、どういう1日ならよいんだ?」
少し唐突でしたね。
人は変化を嫌いますが、隣の芝生は青く見えます。
要は、理想の生活はこんなはずじゃないと思いながらも、何かしようと行動を起こす人は少ないということです。
詰まるところ、どういう1日を過ごしたいか?に尽きると思います。
わたしは、いつも変化があって波のある1日が良いと思っている方です。
昔、カフェのバイトで暇な日と忙しい日がありました。
暇な日はお客さんも来ないので立っているだけで楽でした。
けれど、時間が過ぎるのは遅いなーって思ったり。
一方、忙しい日はいろんなことを考えるし、バタバタとします。
それでも、時間が過ぎるのはあっという間に感じたり。
"楽"と"楽しい"は違うと言いますよね。
忙しい時が楽しい時とは少し違いますが、何かをやっている時は充実していると感じていました。
ここで冒頭に戻ってみましょう。
ネタがない日というのは、自分にとっては変わらない日常を過ごしている日。
安定よりも変化が欲しいと思うので、刺激のある日々の方が生き甲斐を感じる性分ということです。
もちろん、時にはのんびり過ごす時間もあると良いですね。
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