「好きなことの周りをうろつく」―10年後に、わくわくしたり、いきいきと人生を送っている人を見て、ひがんだり、羨ましがるような感情を抱きたくないなと思ったんです。
今回インタビューをさせて頂いたのは、民泊・ホテル業をされている株式会社グレートステイの代表取締役社長 大﨑 章弘さん。日本で初めてカンボジアの格闘技ボッカタオのライセンスを取得したり、起業に至るまでにも沢山の「好き」を周りに置き続けた、そんな彼が、歩んできた道のりとは。
起業を決意するまで
起業をされる前はもともと何をされていたんですか?
元々は、お医者さん相手の医療機器の営業をやっていました。大学を卒業して某製薬会社に入社し、医療機器の部門に入りました。自分も起業したいなという思いはずっとありながら、大手に務めていたので、この環境ではなかなか起業するのは難しいなと感じていました。特にお医者さん相手の営業でしたし。
起業という選択肢についてはいつから考えていたのでしょうか?
僕自身、両親が服屋をやっている自営業の家庭に育ったので、学生ぐらいから、いつか自分で事業をやりたいなとは思っていました。両親は最小限のパートさんを雇って、父親が仕入れを、母親が店舗で売っていました。夫婦で自由にやっていたので、その姿は小さいときから見ていました。
父親の友人や育った環境にも同じような人たちが多かった一方で、就職して会社に入ったときに、まわりがいわゆる漫画やドラマで描かれるような典型的なサラリーマンに見えて。同調圧力もとても感じたし、休憩時間にみんなでタバコを吸って何かグダグダ言っている、そういう世界観に僕は全然馴染めなくて。
なので、ずっと起業したいなという思いはあって、起業の種を探していましたね。
感じた衝動感を行動に
会社員を辞めてからすぐに株式会社グレートステイを立ち上げられたのでしょうか?
いいえ、起業の種をずっと探していたときに、紆余曲折があってカンボジアに行きました。もともと僕は格闘技が好きだったこともあり、その方面でも考えていた時に、「ライオンを膝蹴りで倒した伝説を持つ格闘技」がカンボジアにあるというのを知ってですね。これはちょっと、サラリーマンやってる場合じゃないなと(笑)
ありきたりに聞こえちゃうかもしれないんですけど、僕もやっぱり好きなことで起業したいと思っていて、「何か好きなことの周りをうろつく」っていうのは今でも大事だと思っています。なので、当時は好きな格闘技でビジネスを作りたいと思い、会社を辞めてカンボジアに11か月行きました。
カンボジアではどのようなことをされたのでしょうか?
私が習いにいったのはボッカタオいう伝統の格闘技で国技にもなっていて、日本で言う相撲みたいなものですね。向こうで格闘技の指導ライセンスを取ることにして、その過程でカンボジアナビというウェブサイトを立ち上げたり、カンボジアの胡椒が美味しいのでホテルに卸したりして、スモールビジネスをおこなっていました。
カンボジアに渡る前、起業の種として格闘技を見ていたので結構いろんな格闘技を調べたんですよね。ミャンマーの素手に縄みたいなのをぐるぐる巻きにしてそれだけで殴り合うミャンマーラウエイっていう格闘技があって、それは日本人でもやっている人がいます。
格闘技といえば、どうしてタイに行かなかったんですかとよく言われるんですけど、極端な話、タイで格闘技をやっている人はいくらでもいますし、そこの中で自分が一番強くないといけない訳ですよね。で、いろいろ調べるとミャンマーラウエイもベトナムの伝統格闘技みたいなものもすでにやっている人がいたりで。
自分が第一人者になれる分野を戦略的に選びました。
あとカンボジアは、大学生の頃、バックパッカーとして旅をしていたときにすごく印象強かった国で、いつかこんな国に住めたらいいなと思っていて。すごい緩い国なんですよね。
11カ月は本当に真面目に練習をして、きちんとライセンスを取って、日本人初のライセンス保持者として新聞にも載ったりしました。なので、それはやっぱりビジネスとしては良かったんじゃないかなと思っています。
行動の中でビジネスの種を育てる
カンボジアで格闘技のライセンスを取った後はどのようなことをされていたのですか?
向こうでカンボジアナビというWebメディアを運営して、観光情報や企業の情報を発信していました。ちょうどカンボジアにイオンができた時期で、ビジネス視察ツアーがあったりと、カンボジア全体がすごく盛り上がっている時期でもあったので、そこから仕事にも繋がりました。
他にも、カンボジアでは胡椒がとても有名なんですが、日本人がお土産を職場に持っていって配るというような文化は海外からすると特殊なので、そういう日本人のマーケット向けて小さいお土産を作ってホテルに卸したりもしていました。
向こうでWebメディアをやったり、商品を作ったり、カンボジアのキックボクシングをやったりしながら生活は成り立たせていました。
1年後、カンボジアから帰国してからはどうされたんですか?
カンボジアでキックボクシングのライセンスは取ったのですが、やはりニッチすぎたし、当時それで一気にビジネスとして成り立ったということはなかったのですが、帰国後、東京のキックボクシングのジムがカンボジアのコーチや選手を日本に呼びたいというので、チャンピオンをカンボジアから招致したり、ビジネスに繋がったこともありました。
当時「カンボジア 格闘技」って調べたときに僕しか検索で出てなかったこともあり、いきなり東京の大手キックボクシングのジムから「向こうのチャンピオンをこっちに呼ぶのを手伝って欲しい」となって、戦略的にやっていて良かったなとは思いました。
元K-1王者のピーター・アーツがゲストにいるような大会に、カンボジアから選手を呼んで、アーツ氏とリングの上で一緒になったりしたときは嬉しかったです。そういう小さな成功体験みたいなものを少しずつ刻みながらやっていました。
でもやっぱりニッチすぎたんで、ビジネスとしては機能しなくて(苦笑)その後はレンタカー会社の役員の声をかけていただき、経営に回りました。
日本に戻り、グレートなステイを提供するホテル経営に至るまで
それでも、やっぱり自分でビジネスをやりたいなと思っていました。カンボジアにいたときに、現地に住んでいる外国の方とみんなでゲストハウスみたいなことをやっていたんです。一軒を借りてその空室を貸し出す民泊みたいなことをやっていて、その経験や、ある程度英語もできるようになっていたし、ちょうど民泊ブームだったこともありゲストハウスや民泊の事業を考えました。
元々やっぱり人と会ったりするのも好きだし、旅が好きだったから「旅するように生きる」っていうのを自分の中でテーマにしていました。もちろん自分が移動して旅をするっていうのもできますが、逆に日本に訪れる外国人を自分たちが宿泊施設を通じて受け入れることで、旅するように生きるっていう一つの生き方を体現できるんじゃないかなと。
それで民泊をやり始めたと。
はい。今でもそうかもしれないですけど、当時は旅人ってみんな「いつか自分たちでゲストハウスをしたい」って言うんですよね。
そこでAirbnbが日本に来たときに、「これだ」と僕もマンションを借りて、そこにポンと家具とかの写真を載せるだけですが民泊を始めました。
そうしたら、外国から続々と予約が入って、ゲストとやり取りして、チェックインの対応をしながら「よし、なんかちょっと夜ご飯でも行こうか」みたいな話をして実際にご飯行ったりとかして、本当に楽しかったんですよね。
さらにそれがお金になったし、僕も旅をしている感覚があって楽しくて。ただ、同時に参入障壁が低いなっていうのは感じたので、そこからなるべくセミナーをしたり、ウェブで情報を発信したり、大手が参入した際に、彼らと提携できるような図を意識していました。
最初は本当に好きなことをしていて、Airbnbのアプリとかを見ながら「予約入った」「チェックイン何時だ」みたいなことを、自動車会社の役員をやりながらやっていました。
あ、役員をやりながら民泊もやられていたんですね。
そうですそうです。でも、民泊の売上もすごい上がってきたし、僕はやっぱり旅が好きだったので、並行して事業を行っていました。
途中で法律が整備されたのですが、一方で、闇民泊や法律をちゃんと守らない民泊はなくなっていきました。逆に法律さえしっかり守れば運営できるようになったので、不動産会社などの参入がすごく増えたんですよね。
法整備がされていなかったからやっぱり銀行も融資ができないんだけれども、そこがOKになったことで金融機関からの融資も増えて、色々な会社が参入してきました。
起業への覚悟が決まったタイミングと大事にしたい価値観
起業するっていう覚悟を決めたタイミングはもしかしたらカンボジアに行ったときかもしれません。
レンタカー会社の役員を辞めて、もうグレートステイっていう会社の創業を決めた時に僕が思ったのは、やっぱり10年後とかに自由な生き方や、経済的な部分も含めて、ワクワク、イキイキと人生を送っているような人たちを見たときに、ひがんだりとか、羨ましがったりとかネガティブな感情を抱きたくないなと思ったんですよね。
もし自分がちょっとでも起業に興味があったり好きなことがあったりしたら、自分が「好き」って思っているその気持ちを大事にしてあげたいと思っていて。例えば起業したいなという気持ちに蓋をしたとして、10年後に起業している人に出会ったときに、その人がイキイキと自由を謳歌して、高い買い物をしているのとか見ちゃったら、もしかすると「あいつは、いい歳して適当なことして」とか僻んで言っちゃうような気がしたんですよね(笑)
でも、自分が挑戦していたら、「いやあそんな難しくないんだよ」と言えるかもしれないし、それで失敗しても、「あの人は才能があるし、努力もしているんだよ」って素直に認めることができると思ったんです。
人生にはいろんな道がありますが、「この道がいいな」ってちょっとでも思っている自分がいるんだったら、やらないことで後でしっぺ返しを食らっちゃいそうというか。
起業での困難と乗り越え
そんな中でも、困難なことはありましたか?
一番大変だったことや困難だったことは何ですかと聞かれると、やっぱりコロナが厳しかったですよね。2016年に創業したので、コロナのタイミングではもう4、5年目だったから、不動産も自分たちで買えたフェーズだったんですよね。アートをテーマにしたd3 HOTEL+という宿泊施設をオープンしたタイミングで緊急事態宣言が出てしまいました。
そんなタイミングで、アパホテルなんかも一泊3000円とかをやりだしたので、本当にきつかったです。
そこからどうやって乗り越えたのでしょうか?
観光・宿泊業界全体が本当に苦しんでいる中で、僕たちの強みを考えたときに、「キッチンがある」と。「民泊施設は一棟貸切だから普通のホテルみたいに、他のお客さんと接することもない」。だから自宅でご飯を食べているのと変わらない「プライベートな空間」を提供できるという特徴を持っていることに気付きました。そこで民泊施設にシェフを呼んで「シェフ付き民泊」というサービスを実施しました。
当時、マスク警察などすごく世の中がギスギスしていたので、感染症対策をすることは大事なんだけれども、人生を楽しむことを諦めて欲しくないなっていう思いがあって。そんな自分の世間への違和感みたいなものを、ビジネスに乗せて表現したところ、それがテレビで取り上げられたりもしました。
さらに、世の中で感染対策として美術館への来場やアートの展示会などが、どんどん中止になってきて、そこにも「何だかな…」っていう自分の中での違和感みたいなものがあって。これに対しても「僕らは空間を持っている」会社だと。
だったら僕たちの宿泊施設を使ってアートに触れ合う機会が作れないか、と「泊まれる個展」というサービスも展開しました。
これをきっかけに、グレートステイが2023年の大阪関西国際芸術祭のコラボレーション企業になり、大阪関西国際芸術祭の一つの企画として、再びこの「泊まれる個展」が開かれたんです。
自分は起業家、事業家として宿泊施設という物理空間を扱っているので、より社会と密接に関わっていると実感できるのはとてもやりがいを感じます。
計画から行動か、行動しながら計画か
好きの周りをうろつく
話は戻ってしまいますが、思い立ってからどう準備していったのでしょうか?
行動に関して、僕はフットワークは軽い方だと思います。まずは始めてみて、やりながら徐々に軌道修正していく感じですね。もちろんロジカルな部分もすごく大切にしています。ただやっぱり、起業してからの9年間を振り返っても、僕の行動の中には「好きなものの周りをうろつく」ということが常にありました。
「好きなものの周りをうろつく」ことで色々なことに繋がっていったのでしょうか?
はい。アートにしてもそうですよね。個人的にも文化芸術の領域にはずっと興味があって、自身でもアートを買ったりしているので、有難いことに現代アーティストとの関係もあって、それで「泊まれる個展」でもアーティストの方々にお声がけすることができました。
それをやっているうちに、関西国際芸術祭の関係者の方と出会うことがあって、「僕ら大阪でサウナ×アートをやったり、
「泊まれる個展」みたいなことをやっているんですよ」とお話をしました。そうしたら、「面白そうだし、芸術祭のサテライト企画という形でやってみましょう」とお声がけを頂きました。
でもそれって、もし僕が好きじゃない分野のことだったらその人と話したときに何も話せなかったと思うので。だから「何か好きなことの周りをうろつく」ことを大切にしている結果として、物事が継続できていたり、色々なことが上手くいっているように感じます。宿泊業として起業したり、カンボジアの格闘技留学も、旅や格闘技を好きな気持ちを大事にしていたからのように思います。
グレートステイという名前はどのように決めたんですか?
会社の名前の「グレートステイ」っていうのは、Airbnbをしていたときに、ゲストから「すごくグレートなステイだったよ」と言われて、そのゲストに言われた言葉を大事にしていたのでそこから付けました。
僕らは、まだ世界的に有名なホテルじゃないかもしれないけど、それでもゲストは一晩に、どこかの一つの宿にしか泊まれないと思うんです。
宿を選ぶ理由はもしかしたら安かったからかもしれないし、どこか目的地に近かったからかもしれないし、ここしか空いていなかったからかもしれないし、何かのアルゴリズムで上がってきたからかもしれないけど、何らかの理由で僕らの宿に泊まってくれた以上は、僕は宿泊事業者として、そこは「グレートステイ」にしたいなっていう気概みたいなのはずっと持ち続けたいと思っています。
ゲストさんと今でもご飯に行ったりしますしね。最近も、5、6年前に泊まりに来てくれたゲストさんが、また日本に来てプリクラを撮ったり、ゲストさんと過ごした写真も沢山残っています。
僕に関して言うと、やる前に計画したとしても、その予測って実はそんなに頼りにならないと思っていて、今こうやって8~9年間会社経営をやっていますが、会社を経営する前の自分が、経験0で立てた計画の精度なんてそんなに高くもないはずで。
「よし、この予測が完璧だ。」と思っても多分、経営の経験がある人から見たら「いやいや、そんな計画予測全然鋭くないよ」ってなると思います。
そうなると、何が何でもやってみたらいいよとは思わないけれども、「ノックをし続けること」が本当に重要だなと思っていて。カンボジアでの経験も、キックボクシングの話も、それでいきなりご飯が食べられていたわけではなくて、コンコンってずっとノックをし続けて、民泊ブームや東京オリンピックが来たり、いろんな要因が重なって今に至っています。でもそれは僕がずっとノックをし続けて、そのノックから「ちょっと違う音が聞こえた?」と思ったり、チラっと扉が開いたときに足を突っ込んでこじ開けてきた結果かなと思っています。
ぶっちゃけ、起業してよかったですか?
迷いなく、良かったと断言できます。10年後に振り返ったとき、この道を選んでよかったなって思えるように、厳しそうでも「これを超えたら、10年後に自分はすごく成長していそうだな」っていう道を選ぼうと意識して、今でも選択しています。
自分で人生をハンドリングできて、自分で人生の結果に責任を持てるというのは良いなとも思います。サラリーマンをしているときに、みんなが喫煙室で愚痴を言っているのがすごく違和感で。例えば、経営者になっても従業員の悪口を言う人もいますが、結局そういう人しか来ない会社にしているのは社長としての器じゃないですか。給料もそれぐらいしか出せないからとか考えると、本来愚痴って出てこないものだし、僕は何かそういう健全なサイクルの中で、自分の人生を全力で生きたいなって思っています。
なので、同じように社会に対しても僕が感じている違和感や、逆にこういう世の中になって欲しいみたいなことを事業として手がけているので、自分なりに社会に対して主体的に働きかけていくことができる「起業」という選択肢は面白いし、やりがいのある手段だなと思っていますね。
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