難民パラスイマー
2011年、シリア内戦勃発。
政府軍に捕まったら入隊。拒否すれば殺される。水、電気、食糧の供給も途絶え、内戦が2年目に入ったとき、アル・フセインさんは、狙撃手に狙われる友人をかばうために、地面に飛び込んだ。
甲高い銃声の後、
自分の脚が見えた。
右足の感覚がない。
5歳から水泳を始め、オリンピアンとなることを夢見ていた彼の未来は戦争でめちゃくちゃになった。
シリア内戦
内戦が2年目に入った時に右足を失った彼はなんとか友人らとトルコへ脱出するが、十分な治療は受けられなかった。
彼らは生きるために、危険を冒して、密航業者を介してヨーロッパまで渡る覚悟を決めた。
そして、サモス島(ギリシャ領)にたどりつく。
とはいえ、お金も食べるものもない。ギリシャ語もわからない。路上生活せざるを得ず、草を食べて空腹をしのぐことさえあった。
そんな彼を救ったのは一人の医師。
公園で偶然出会った男性の紹介で、手足切断の専門医と巡り合う。医師は酷く負傷した彼に自費で1万2000ユーロ(約155万円)以上も出し、治療、義足、薬などあらゆるものを与えた。
逆境を乗り越え、叶えた夢
医師のおかげで経済的に自立することもできるようになりとても幸せだったアル・フセインさんだが、何かが欠けていた。
——スポーツ
片脚のない難民というとてつもないハンディキャップ。何度も拒まれたのち、2015年、ついに受け入れてもらえる水泳クラブに巡り合う。
翌年、ギリシャのパラ水泳全国選手権でメダルを2つ獲得。地元記者たちが彼に注目するようになり、ついに2016年リオデジャネイロ五輪で難民選手団として参加することが決定した。
五輪難民選手団が示すもの
こうして一人の難民がオリンピアンとなり、その戦う姿は、何が起ころうと進み続ける強さを、世界へ伝えた。
オリンピック憲章ではオリンピズムの根本原則として次のことを示す。
スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。
リオデジャネイロから始まり、東京へと続く五輪への難民選手団参加は平和の祭典としてのオリンピックの1つの象徴ではないだろうか。
熱戦が繰り広げられる大会期間中も、世界には戦火のやまない地域がある。
誰しもが当たり前にスポーツのできる環境に置かれているわけではない。
このような現実を抱える世界に思いを馳せる機会としてもオリンピック・パラリンピックを捉え直したい。
読んでいただきありがとうございます。
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<参考>
BBC「【東京パラ】 ある難民選手の物語 シリア内戦で片脚失い、ギリシャで路上生活」
International Paralympic Committee “Al Hussein to open much-awaited Refugee Paralympic Team participation at Tokyo 2020”
国際オリンピック委員会「オリンピック憲章」
東京新聞「<社説>五輪と平和 戦場にも思いはせたい」
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