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コジテーション(2) 〜衝動的フレンチトースト〜

そんなにnote一本書くほどのものではない(というか書くのが面倒くさい)思考(Cogitation)をアイデア状にして記載するものです。備忘録に近いです。Thinkingだとちょっとタイトルとして弱かったのでこっちにしました。

コジテーションとは?



フレンチトーストの話

十二月二十三日。時刻は五時。子供の頃は祝日だったなあと回顧しながら、有楽町から日比谷へと向かう。かなり寒い日が続いている。昨日は人と会って充実した時間を過ごしたけれど、何よりも寒すぎて、外で二人してさみーさみーと言っていた。イルミネーションと雰囲気の良さそうな純喫茶を横目に、向かったのはジョナサンだった。どうしてもフレンチトーストを食べたかったからだ。

自分が格別に好きな食べ物のことは、あまり人に話さないようにしている。
親の教育あってか、自分の食欲旺盛なところがあってか、好き嫌いがあまりないように育った。ただ、自分が一番好きなスイーツは言わないように気をつけている。なぜか。恥ずかしいから。好きなものに過剰反応してしまう。この年になって、そんなことをして周りとのテンションが合わなくなることは都条例によって禁止されている。

フレンチトースト、と誰かが呟くとそちらへ思わず向いてしまう。小学生の頃に父親がよく朝食に作っていて、とても喜んで食べていた。そんな父親も喜んでもらうのが嬉しかったらしく、なぜか良いパンを東京駅のVIRONで買い、それをちょうどいい大きさに切ってバットに敷き詰め、前日の夜に調味液に浸しておくという、なんとも手間暇がかかるルーティンを送っていた。

しかし今日はなんとしてでもフレンチトーストが食べたい。絶対だ。
起きたときにそう思った。朝から作業をして、昼ご飯も少なく取った。すべてはフレンチトーストのために。One for All, Hall in Oneという感じである。

ジョナサンのフレンチトーストがとても美味しかったことを思い出して、家を出る五分前に場所を決めた。

ということで出てきたのがこちらです。

美味しそうすぎて一個食べたあと

そう。これいいんだよ。というかやりすぎまである。これがいいのだ。
まず一口食べる。フォークを入れて分かるが、デッロデロだ。デロデロになっていないフレンチトーストは嫌いだ。別にパンを食べに来てるわけではなく、フレンチトーストを食べに来ているから。甘い香りと少し焦げ付いた匂いがして、口に運ぶと、思わず頷いてしまった。
飯食いながら頷く奴が嫌いだったけれど、自分が今それになっている。
自己嫌悪は加速しながらも、フレンチトーストだけがそこにいる。

二口目もそのまま食べたあとに、添えられていたメープルを見る。コーヒーフレッシュと同じ形のプラスチック容器に入っている。圧巻の25gだ。もうなんか、これをかけてしまったらビシャビシャになってしまうのでは?と少し躊躇ったのも束の間。少しそれがフレンチトーストにかかった時点で、脳のシナプスが手首に手錠をかけた。これをすべてかけるしかない。案の定すべてはビシャビシャだ。しかし、それは鈍くとも輝いていた。

三口目を食べる。これだ。私が求めていたものはこれだった。口に広がるカナダの風景と郷愁。父親への愛。この甘さの中にはすべて詰まっていた。ありがとう。フレンチトースト。

四口目からは体が拒否するレベルで甘ったるすぎて食事ペースがガタ落ちした。人生の後悔があふれる。いつもこうなってしまうじゃないか、なんで学ばないんだ。炭酸水を飲みながらなんとか食べた。年の瀬の日比谷で、僕だけがアホだった。多分、また衝動的に行って、また後悔することになるんだろうと思う。人間は学ぶ生き物だが、学ばない生き方だって歩むことができるのだ。真理っぽいことを言っているが、普通に学んだほうがいい。


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