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武士と失業
武士と失業 働くと歴史と
数日前に、歴史的な失業について気になり、
武士の失業について調べた
母から我が家は武家であったと聞いていたこともあり、
廃藩置県、版籍奉還によって生まれた大量の失業者がでた話は、
歴史の話とはいえ、
先祖ががいったいどうなっていったのか、
コロナ禍の失業者の増加がトリガーになり、調べ始めた
歴史ドラマでは、そうした出来事が、
批判や暴動の引き金となっていく様が、西郷隆盛氏を主人公に描かれている
歴史は流れ、鎌倉で知り合った西郷隆盛氏の末裔のお1人は、あるお店を経営されていらした。
個人的にはそれなりには歴史を学んでは来たが、実際の今を生き、行政にかかわる仕事をさせていただいた中で、
表と背景、
歴史とはなんなんだろう…
何が歴史なのか、どこか判然としない気持ちにもなるのですが
時間軸で起こった史実、その時の新聞記事などと比べて、改めて、労働と人や病の
時折歴史をさかのぼってみるんです
祖父は国鉄の職員、祖母は三味線の先生、
さらにさかのぼると、やり投げの名人だったという留之助という人が家系図より確認できる
武士は、将軍や大名から俸禄をもらうことで生活を維持していたそうで、
その後明治政府が秩禄という形で払い続け、武士への財政支出は続いていた。
この武士の給料制度は国家予算の3割ほどにもなり、それが230年続いていたと言いますから、おおきな支出ですが、
生まれたときからあった仕組みがなくなことの拒絶感は想像できます。
それで徐々にその秩禄という給料のようなものは、減らされていき、明治3年に武士から農民や商人になるものは士族を除籍するかわりに、一時金として、現在もらっている分の5倍もらえる、とした。
さらに、樺太、北海道に移住したら7年分を一括であげるよ、と。
士族除籍制度
早期退職金の前身のような取り組みが、このあたりに見られます
当時の武士の給料、ほとんどが29円5銭ほど。大工が45銭ほどのため、生活は苦しくなり、他の仕事をしなくてはならなかったようです。
商売に職替えをするも、なかなかうまく行かず、官職(公務員)にやはりなろうと、となるのですが、
明治政府は、‘能力採用‘を打ち出し、公務員になるのも難しかったようです。
旧武士の内、公務員(官職)になれたのは、全体の16%ほど。
先祖は、官職につけたのかどうか定かではないのですが、
私自身は、公務で取り組ませていただいて公共性のあるテーマに黙々と取り組む相性はいいようですが‥
社会が大きく変わるとき、職業を変える場面では、
①スキル ②知識 ③経験
*最初は③は誰しもありませんが…
がいずれの時代も大切だったようです。
ちなみに、明治政府『法規分類大全』によると
武士の勤務は 出勤が10時前後、退勤は16時なので、だいたい6時間ほどの労働時間
最初は日の出から日の入りが勤務だったようなのですが。
その後就業規則が整っていく。
地域により就業時間にも大きなばらつきがあり、4時間だったり、5時間だったり、
ローカルルールと身分(上級武士・下級武士等)と勤務の忙しさ、などが労働時間に影響していたという記録が残っていたようです。当時からのローカルルールは続いているようです。
産業構造がかわるなか、
テレワーク、IT等、パソコンのスキルが、
開墾時代のクワやカマを扱うくらい日常的なスキルに変わっていっています。
しかし、スキルはスキル、ツールはツール。
変わるものと、変わらないものがあり、
人の根本は社会がどう変わっても、生き物ですから、数千、いやっ、数万年単位くらいでしか変わりようがありません。
コロナもアフターがやってきます。
また、人や社会はここから学び、
これがトリガーとなって、今まで必要だった変化の蓋があいたり、加速したり…
歴史を眺めていますと、なかなか大変だったことの意味を末裔として感じますが、
…当時の人々はさぞ大変だったろうと、
しかし、刀のスキルからパソコンスキルへと、
歴史的な渦中で、歴史的な大きな変化の最中で人がどうしていたのか、
刀からクワ
クワからパソコン
感染症による環境変化と産業構造の変化が同時にきている歴史的な今は、なかなかの歴史的な瞬間のようです
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