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10月4日 落ちるからこそ,いい作家になれる

「1日1話,読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より,日本画家の片岡球子さんです。

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 思い直して中島清之先生(院展院友)のお宅へ戻り,落選を告げると,先生はいきなり「落ちるからこそ,いい作家になれるんだ。その味を忘れちゃいかん」と,怒鳴るようにおっしゃって,こう続けられました。
 「僕はある人に前々から言われてるんだ。『片岡は最後まで残るのに,いつも最後の審査で落選している。あれじゃあんまりかわいそうだ。君についているそうだが,何とか激励してやれよ』と。しかし片岡さん,僕は考えるんだ。僕がもしも,君の絵に,僕の意見を言ったり,手を入れたとしたら,君はもう君独自の君流の絵は描けなくなる。君一人で絵は描けなくなるんだ。片岡球子の絵は,片岡球子の絵でなければならない。

今日の片岡球子さんの記事は,致知のWebサイトにありました。
「落ちるからこそ、いい作家になれる」——日本を代表する女流画家・片岡球子の言葉|致知出版社

2015年に生誕110周年を記念して行われた展示会のレポートはこちら。
生誕110年 片岡球子展|インターネットミュージアム

片岡球子さんは昭和から平成にかけて活躍された日本画家。教師をしながら画業を進めますが,院展などに出品するもなかなか入選することができません。

上で引用した中島清之先生の言葉から3年後,ある作品が小林古径先生の目に留まり,二等賞になります。そして小林古径先生から次のように言われます。

 まず「今回の絵は良かった。あの勉強の仕方でいいから,一所懸命に勉強しなさい」と言われました。そして,「あんたの絵はゲテモノだって有名だ。本当にゲテモノだ。だけれども私は言っとくけど,ゲテモノやめちゃいけない。ゲテモノでいいんだ。だから人に何て言われても,それをみんな自分の栄養だと思って,腹の中に入れときなさい。自分の主義主張を,曲げないで,ゲテモノをずーっと続けて,二十年,三十年,四十年と経っていくうちに,あんたの絵が変わってくる。変わってきたらしめたもんだ。本物の絵描きになれる,私の言うことはちゃんと守りなさい」と,そういうふうに言われました。

 タイトルは「落ちるからこそ,いい作家になれる」。挫折や失敗の経験が未来へつながることは間違いないと思います。
 しかし私は,二人の師匠に注目したい。

 私が勝手に考える,中島清之先生と小林古径先生の共通点。
それは,『片岡さんを信じていること』
信じるがゆえに,『ひたすら待っていること』
『待った先の結果は,片岡さん次第と思っていること』

これって,学校の先生に足りないところだと思った。
いや,持っている人もいるし,私も少しは持っているからこそ他の先生と合わないと思うことがある。

私はよく授業中にこんなことを言う。
高校2年生に電池の授業をしている時に,
「みんなが車を買う時に,『そういや高校の時の化学の先生が何か言ってたなぁ』って思い出してね」とか。
高校3年生にセッケンや合成洗剤の話をした時に,
「みんなが一人暮らしして選択するときに『そーいや,化学で習ったなぁ』って思い出してね。お気に入りの服をダメにするなよ(笑)」とか。
人権学習の特設授業でも。
総合的な探究の時間でも。
掃除中や休み時間のちょっとした会話も。
みんなが大人になったときに,残っていたら本当に嬉しいと思う。

 大学進学を目指している生徒がほとんどだから,直近の目標は入試で合格すること。でも,矛盾するようだけど,『目標は入試で合格』というたびに心がモヤモヤするのも事実。
 だって私は『人を育てている』のだから。大人になったときに,失敗も成功も自分のものにして,充実した人生を送ってほしい。そういう人になってほしい。そのために,毎日生徒の前に立っているつもりだ。

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 こんなことを感じて勢いのまま書いたけれど,どこまで介入するかの判断は本当に難しいし「絶対の正解」はどこにもない。生徒を信じて任せてみるか,こちらで道を敷いてあげたほうがいいのか。
 中島清之先生や小林古径先生は,片岡球子さんの作品のどんなところに才能や可能性を感じたのか。お二人目線の話が聞けたらなぁと思う。

あなたの成長を,信じて待っていた(いる)人は誰ですか?

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