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7月19日「人生は美しいことだけ覚えていればいい」

 リクラス for Coachでの7月毎日チャレンジ。読みかけの「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」を、タイトル通り1日1話を読んで思ったこと感じたことを記していきます。
 私が感じたことを記録するのがメインなので、例によって「何が言いたいのか、よくわからない」文章になるかも。いや、なります(断言)。

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 今日は、作家の佐藤愛子さん。

 私の場合、言葉によって支えられたということはないですね。言葉が先にあって、その言葉で力づけられ自分の人生が決まったというのではなく、自分の人生が先にあって、人生観なり自分の気質なりにぴったり合う言葉を見つけた時に、嬉しくなってそれが力杖になる、ということだと思うんですね。

確かに。
納得。
私の心の中にある信念みたいなものを、的確に表してくれる言葉に出会ったときに、さぁっと視界が開けたような、明るくなったような、そんな感覚を感じる。そうか、そういうことなのか。

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そういう意味で気に入った言葉の一つとして、沢田美喜さんの次の言葉を挙げていらっしゃいます。

人生は美しいことだけ覚えていればいい

沢田美喜さんはエリザベス・サンダース・ホームを創設し、たくさんの戦災混血孤児を育てた方。そのホームで育った黒人の混血孤児を、この言葉で励ます場面があったそう。

 長いこと生きてくると、いろいろな経験をしてきますけど、楽しいことよりも、美しいことのほうが心に残るということが分かります。美しい自然、人の美しい心。そういう美しいことだけ覚えていれば、人生捨てたものじゃない、というふうに思えるわけでしてね。

まだ私には「何となく、わかるような」というのが正直な感想。
「楽しいことより、美しいこと」というのは間違いないと思う。
だけど「わかる」と言い切るのには、まだ自分は未熟だと感じてしまう。

「楽しいこと」は、一瞬、盛り上がるようなイメージ。瞬発力のある、瞬間的な昂ぶり。歓喜。
「美しいこと」は、じんわりとしたイメージ。花火が打ち上げられて、開いて、ぱぁっと輝いたあとに、フッと消えていくときの静けさ。余韻。

あるいは、「楽しいこと」は即効性。「美しいこと」は遅延性。
効き目の持続時間が違うようなイメージ。

あと20年、いや30年くらいしたら、もっと実感できるのだろうか。

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佐藤愛子さんが気に入っている言葉をもう一つ。

たまたま道徳論を書かなければならないとすると、
私は上機嫌ということを義務の第一義に置くだろう

フランスの哲学者アランの『幸福論』の中にある「上機嫌」という章にこの言葉が出てくるそうです。アランの哲学は、人間は自身が強く意志することによってのみ救われるという、楽天主義(楽観主義)とよばれます。

アランは、喜びも悲しみも、上機嫌も不機嫌も「伝染」すると考える。
相手に贈った上機嫌な所作が、巡り巡って自分に返ってくる。
だから上機嫌であることが幸福にとって大切だとアランは考える。

 私はすぐに怒る人間として知られているようですけど、怒るときも上機嫌に怒ってましたから、まあまあ元気にやってこられたんじゃないかと思いますよ。上機嫌に怒るということは、つまり、あとに怒りの余燼---憎しみや怨みを残さないということです。

この考え方、私は好き。
実際、授業前の休み時間に生徒を指導して嫌な気分になったとしても、教室に入ったらその空気は絶対に出さないようにしている。

授業をする私の気分は、そのまま教室の生徒に伝染するから。

厳しいことを言ったあとに、「怒るの、ここまで!」とわざと口にしたりする。生徒に気持ちを切り替えさせるため、と言いながら、実は私が気持ちを切り替えるためだったりする。
怒ったままの気分で授業するのは、私が辛いから。

私は怒りや不満を上手に表現するのが苦手なので、「上機嫌に怒る」というのはもう少し研究してみたい。
この夏、アランの『幸福論』に少しでも触れてみたいと思った。

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