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8月30日 自分の思う限界は限界ではない

「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より,正眼寺住職の山川宗玄さんです。

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 禅の修行道場の中でもとても厳しいと言われる正眼寺。その住職の山川宗玄老師と,修道士としてたくさんの人の悩みに向き合ってきた鈴木秀子さんの対話が元の記事のようです。「365人の仕事の教科書」に載っていない部分もあるので読んでほしい。

人生の苦しみをどう乗り越えるか 山川宗玄×鈴木秀子
致知出版社

 山川宗玄老師が道場に入門したばかりのころのお話です。34人の先輩がいて,山川さんは35番目。お風呂に入るのも,布団に入るのも一番最後が山川さん。お風呂から上がるのも,布団から出るのも一番早いのが山川さん。
 心身ともにボロボロになって,免疫力も落ちて,歩きながら寝ていたり。
 そのうち,「この修行から解放される方法は,修行中にバタッと倒れて救急車で運ばれること」と考えるようになります。

 一刻も早く倒れようと,厳しい修行にさらに負荷をかけてしまおうと,坐減も作務も托鉢もとことん頑張ります。しかし倒れない。

 ギリギリだとは自分でも感じているのですが,倒れないんです。面白いことに。
自分の思う限界は限界ではなかったのかもしれませんが,いずれにしてもギリギリのところで踏みとどまっていたと思います。そうなると,不思議なもので余計なことを考えなくなるのです。「倒れたい」という気持ちと「倒れないな。不思議だな」という実感。

このあと,修行に対して吹っ切れたような,清々しい体験をされます。

いつものように夜坐をしていました。時計の音で「あっ,二時だ」とわかる。それまでの私なら,「いま禅堂に戻っても一時間半しか休めない」と思っていたと思います。だが,その日はなぜか「一時間半も休ませていただけるのか」という言葉が心の奥底からフッとうかんできたのです。

 何がきっかけで見方が変わったのか,わからないと仰っています。

限界のようで,限界ではなかった体験と言えば。
・高校生の持久走
・フリーター時代のバイト12連勤
・クロスバイクで遠出したとき
うーん。これくらいしか思いつきません。

『限界』って何なのだろう。
『限界』が来たら,人はどうなるのだろうか?
山川さんのように,限界に到達すると違う見方ができるようになるのかもしれません。

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