9月22日 宣長は何によって偉い人になったか
「1日1話,読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より,本居宣長記念館館長の吉田悦之さんです。
※肩書は『致知』掲載当時のものです。
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本居宣長について
18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂(三重県松阪市)の人。
木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。
ー本居宣長記念館Webサイトより
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本居宣長の弟子の大平が宣長の没後,ある人から「宣長先生は何によってあのような偉い方になられたのか」と問われたときに示してみせたのが,「恩頼図(みたまのふゆのず)」です。恩頼とは恵みの深い賜物,平易に言えば「お蔭」のことを指し,この図には,宣長が学恩を受けた人々と,その学問に連なる人々などが表されています。
「恩頼図」を載せられたら良かったのだけど使えるものがない(泣)。
各自で検索していただけると助かります・・・。
この「恩頼図」には,宣長の学問の根底を支えているものと,宣長から生まれた著作や多くの弟子が書かれています。
学問の根底を支えているものの部分は,「御子守神」が中心にあり,両隣に父親,母親が書かれています。さらに,将軍家の水戸光圀,最初に儒学を教わった堀景山のほかに,紫式部,孔子といった名前も挙げられています。
これについて,
宣長に影響を与えた人物は,一般に,古典研究の先駆者である契沖と,宣長に『古事記伝』の執筆を勧めた賀茂真淵の二人だといわれています。しかし,幼い頃から宣長の謦咳に接してきた大平の目から見ると,決してそれだけではない,という思いがあったのでしょう。これにはおそらく宣長という人が,自分の学問を支えてくれている人や事物に対して,深い感謝の気持ちを抱いていたことが関係していると思われます。
と,吉田悦之氏は分析しています。
宣長が深い感謝の気持ちを抱いていることがわかる二首の詩を紹介しています。
「たなつもの
もののきぐさも
あまてらす
ひのおおかみの
めぐみえてこそ」
(食べ物となる植物が育つのも,天照大神の恵みがあってこそだ)
「あさよひに
ものくふごとに
とようけの
かみのめぐみを
おもえよのひと」
(朝夕に食事を頂けるのも,食物の神である豊受大神のお蔭だということを思いなさいよ)
人に「唱えなさい」と強要することはなく,ただ「そうしたことを思わずになぜ食事ができるであろうか」と考えるのが宣長なのだという。
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「宣長は何によって偉い人になったのか」
具体的に何か大きなことを成し遂げたかどうかではなく,日ごろから感謝の気持ちを持っていたから,偉大なことができた。
それが本居宣長の考え方なのだろう。
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