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8月22日 手術の極意は「独坐大雄峰」

「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より,総合新川橋病院副院長・脳神経外科顧問の佐野公俊先生です。

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佐野先生個人の公式ホームページがありました!
https://dr-sano.com/index.html

トップページにはこんな言葉が。

自分が患者だったらやってもらいたいような手術をする
丁寧できれいな手術を心がけ,次世代に伝える

また,佐野先生は,くも膜下出血の原因となる脳動脈瘤手術のギネス記録を保持していらっしゃいます。

またWikipediaを読むと,日本の脳動脈瘤手術の先頭を走ってきたことがわかりました。

 研修医時代に耳鼻咽喉科に研修に回った時,耳鼻咽喉科の手術に使われていた手術用顕微鏡を脳外科手術に使えないかと思い脳外科医を目指した。だが当時の日本では脳外科手術に顕微鏡は使われていなかったため,脳外科顕微鏡手術の豊富なアメリカに留学するつもりだったが留学しなかった。
(中略)
 日本に顕微鏡を使った脳外科手術が導入されると同時に,顕微鏡時代を予言し自費で顕微鏡を購入した。慶應義塾大学で手術器具を開発しながら多くの脳動脈瘤のクリッピング手術を経験した

そんな佐野先生の「手術の極意」です。

 私は五十歳を少し過ぎた頃,自分なりに「手術の極意」と言うべきものを次の言葉で表すことができるように思いました。
「術前に悩むも術中に迷うことなく,観にて六分,見にて四分に見極め,手自由にして手に道具あるを忘れ,道具手にあるを知らず,心恒にして独坐大雄峰也」

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 禅語の「独坐大雄峰」にはこんなお話があります。

百丈禅師にある僧が質問をしました。「いかなるかこれ奇特(きどく)の事」と。
奇特とは、めったにないこと、すばらしいことをいいます。
修行をしていくとどんなすばらしい事があるでしょうかと聞いたのです。

百丈禅師は、「独坐大雄峰(どくざだいおうほう)」と答えました。
大雄峰は百丈禅師がいらっしゃった山のことをいいます。
今自分がこの山にこうして坐っていることだと答えられたのです。
坐禅していると、どんなすばらしい事が起こってくるのか、なにかめったにないようなことが起きるのか思うかもしれませんが、ここにこうして坐っている、このこと以上にすばらしく貴いことはないのです。

今ここにこうして坐って息をしている、これ以上のことはないと気がつくことが大切です。

臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺ホームページより
https://www.engakuji.or.jp/blog/29925/

術前に何度も検証を重ねて,手術のイメージを懸命に作り上げる。
いざ手術になったら,迷うこともなく,手は自由になって道具と一体化。
心は何が起こっても平静でいる。

これが佐野先生の「手術の極意」です。

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 佐野先生はこうおっしゃっています。

 たいていの人は,血を見ると興奮したり,動揺したりしますけどね。私は逆にそうなった時のほうが,気持ちが安定します。そこに没入してしまいますから。
 それまで周りと喋りながら,こうしたほうがいい,ああやったほうがいいんだよと教えながらやっているでしょ。でも,いざとなった瞬間は,そういう雑念は一切消えて,ただそのことに没入している。

 没入しているときはきっと,手は自由,道具と手は一体化したような感覚になられるのでしょう。没入状態になれるように,術前に手術のイメージを作ったり,検証を重ねて困難を想定しているのではないかと思いました。

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 授業もコーチングも,準備をしっかり行いますが,生徒やクライアント次第では予想と違う進み方をすることがあります。
 軌道修正して元の流れに戻すのか。
 生徒やクライアントの発言に合わせて進んでいくのか。

 授業の時は「元の進みかたに戻す」ことが多いけれど,コーチングの場合は,どちらに進んでも動揺せず伴走する覚悟を持って,クライアントに委ねます。

 いずれにしても,「時間内に終わらなかったら…」「相手を傷つけたら…」とか,「いい結果をださなきゃ…」と思っていたら,相手に集中することができませんし,授業でもコーチングでもどこか物足りない,不完全燃焼のような状態になってしまい,うまくいかないと思います。

「独坐大雄峰」の状態になるためのルーティンなどを持っているか,佐野先生に聞いてみたくなりました。

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今日の質問。
大事な場面で,雑念に囚われず集中できたことはありますか?
また,なぜ集中できたのだと思いますか?

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