見出し画像

7月22日「私はピアノで、ピアノは私」

 リクラス for Coachでの7月毎日チャレンジ。読みかけの「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」を、タイトル通り1日1話を読んで思ったこと感じたことを記していきます。
 私が感じたことを記録するのがメインなので、例によって「何が言いたいのか、よくわからない」文章になるかも。いや、なります(断言)。

・・・

今日は、フジコ・ヘミング。日本、ヨーロッパ・アメリカで活躍するピアニストですが、日本でブームになったのは1990年代のこと。その後発売された「奇跡のカンパネラ」が大ヒット。
今、2020年11月のコンサートの演奏をYoutubeで聴きながら、このnoteを書いてます。

・・・

 誰も聴いてくれる人がいなくても、猫しか聴いてくれなくても、私はピアノを弾いて、弾いて、弾いてきた。それはピアノが私そのものだから。ピアノがなければ私はない。そういう意味では、ピアノを私に与えてくれたすべてに感謝の他はありません。そして、私のピアノを聴いて感動してくれる人がいる。それは私が分かってもらえたことです。こんなありがたいことはありませんね。

 芸術は、作家と鑑賞者の作品を通したコミュニケーションだと思っている。はじめは自分の好きなように描いたり演奏したり。それは一方的に、誰彼構わずに、思っていることを垂れ流ししているようなもの。
 でも、作品に「どんな情景」「どんな感情」を載せたいと思うのか。鑑賞者に対して何を伝えたいのか。それを考えるようになると、作品が変わってくる。

 ピアノというのはね、最後はテクニックじゃない。人間は機械じゃないんだから、間違ったっていいじゃない。それよりも大切なのは魂で弾くことよ。ポンと鍵を叩くと、私の人格が音になって流れ出していく。私の人間性が貧しかったら、見透かされる。
(中略)
 こうして万全の準備をして、私は弾く。いつまで弾けるかなんて知りません。考えません。
何も考えずに弾く。だって、私はピアノで、ピアノは私なんだから。私にとってピアノを弾くことは生きることなんだから。

 フジコ・ヘミングは私が考えていることの、さらに先を行っているような気がする。「最後はテクニックじゃない」と言うけれど、これはテクニックを気にしなくてもよいという意味ではないだろう。
 「こういう表現をしたい」「こんな音を出したい」そういう欲求が出てくると、やっぱりテクニックが必要になってくる。テクニックをしっかり身につけた先に、彼女が言う「魂で弾く」という次元があるのだと思う。

・・・

授業も、音楽も、経験を積めば積むほど「その人らしさ」が出てくる。
その人がどんな人生を送ってきたのか、物事に対してどのように考えているのかが、にじみ出てくる。
デジタル技術で作った音と、生の音が違って聞こえるように、生身の人間だからできることが、あると私は信じている。

フジコ・ヘミングは「私はピアノで、ピアノは私」という。
じゃあ私は?
そしてあなたは?

「私そのもの」と言えそうなことは、いくつかある。
その中のどれを中心に磨いていくのか。最後の最後まで残るのは何なのか。
この機会にそれを決めるのもいいかもしれない。
そんなことを思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?