9月21日 真心尽くせ 人知らずとも
「1日1話,読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より,南無の会会長・龍源寺前住職の松原泰道さんです。
※肩書は『致知』掲載当時のものです。
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さあ。どうしよう。
今日の物語は,全文をそのまま皆さんに読んでほしい。
だけどWebにも載ってないし,かと言って丸写しもしたくない。
今日も,部分的な引用で紹介しようと思うけれど,この物語の魅力はきっと半分も伝わらない。そんな気がする。
・・・
これは松原泰道さんが,大学を卒業した年のこと。
昭和恐慌の真っただ中で,学費が払えずやむなく実家に帰る学生もいる。就職なんて誰一人決まらない。そんな中,松原さんの仲間が心機一転,旅行に出掛けようと言います。
金がかかるじゃないかと反論すると,金がかからない旅行をするという。乗り物は一切使わず移動は徒歩。夜は農家やお寺に頼んで無料で泊めてもらう。目的地は,箱根関所跡。
・・・経済恐慌ではありましたけれども,いまと違ってどこかゆとりもあって,気持ちよく泊めてくれましたね。
薪割りをしたり,掃除をしたり風呂焚きをしたり手伝いをして,一晩泊めていただき,翌朝,出掛ける時に,「おばさん,すまないけど握り飯を握ってくれないか」と厚かましく頼むと,気持ちよく作ってくれたんです。
野宿もして,目的地の箱根の関所に到着。
風が吹いてぱらぱらと桜の花が散って,私どもの外套にかかる。すっかりセンチメンタルになり,淋しくなりましてね。「そろそろ帰ろうか」「ああ,帰ろう」と。その時,一人が私の背中を見て,「おい松原,おまえ何にもたれていたんだ。苔が付いているぞ」と言うので,背中を払いながら「この碑だ」と。見るとそれは単なる記念碑ではなくて,何か細かい文字が書いてある。その文字のところを一人が指でもってなぞったら,「おい,これは歌らしいぞ。万葉仮名で書いてあるぞ」と。そこは文学部の学生たちです。その歌碑を指でなぞりながら何とか読みあてたのが,次の一首でした。
あれを見よ 深山の桜咲きにけり
真心尽くせ 人知らずとも
・・・
松原さんと五人の友人は「山の奥深くに咲いた桜のように,だれが見てくれようとくれなかろうと,ただただ真心を尽くしていこうじゃないか」と誓い合ったとあります。
・・・このお話,どこかで誰かから聞いたことがある。
これが昭和恐慌のときだったと思うと,この歌の意味がさらに深みを増すような気がする。
恐慌で飢え死にする人がいたり。学費が払えず卒業間際で田舎に帰ったり。卒業できても就職が決まらなかったり。きっと他人を騙すような人もいただろう。
しかし,農家やお寺に泊まって人の温かさを感じた。こんな時だけれど,親切にしてくれる人に出会うことができた。どこの誰かもわからない,もう二度と合わないかもしれない学生に,親切にしてくれた人がいた。山の奥に咲いた桜のように,真心を尽くしてくれた人たちがいた。
これからどんな苦境にあっても,自分たちは人を騙したり,苦しめたり,要領のいい生き方はやめような。
・・・
『致知』に掲載されたとき,五人の友人はすでに他界。
五人とも,誰一人後ろ指をさされる者はなく,人生を終わりました。この時の誓いがこの年まで私を支えてくれました。
そして,2009年に松原泰道さんもこの世を去ります。今は五人の友人と再会して,箱根で見た桜の話をしていらっしゃるでしょうか。
・・・
真心とは何だろう。誰かに親切にする場面で使われる気がするけれど,もしかすると「私のあるべき姿」「真(まこと)の姿」に近づくための心構えなのかもしれない。
人に知られずとも,私は私のやるべきことをやる。
人に親切にすることが私のやるべきことだと思うのならば,誰かに見られたり褒められたりしなくても,親切にする。
学問に励むことが私のやるべきことだと思うのならば,誰かに見られたり褒められたりしなくても,学問に励む。
誰かが見ていなくても,褒めてくれなかったとしても,あなたがやりたいこと,やるべきことは何ですか?
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