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7月31日「どこまで人を許せるか」

「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」を、タイトル通り1日1話を読んで思ったこと感じたことを記していきます。

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許すというのは身を切られるように辛いけど、どこまで人を許せるかを死ぬまでテーマにして生きていったら、人生はきっと楽しくなると思います
-『致知』2021年 5月号ピックアップ記事/対談の紹介よりー
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2021/05_shiomi_takahashi/

 今日は塩見志満子さん。検索したら『致知』や『365人の…』を読んだ感想がじゃんじゃん出てきたのは、5月号で対談が掲載されたからかな。
 塩見志満子さんは、中学、高校、養護学校で教師を務め、退職後に知的障碍者が集う「のらねこ学かん」を設立。講演などを続けながら運営をされています。
 なお、『365人の…』に掲載されている文章の元になっているインタビューが『致知』Webサイトで読めました。まだ読んでいない方はこちらから。
https://www.chichi.co.jp/web/20190802_shiomi/

 塩見さんは4人兄弟姉妹のうち、長男を白血病で亡くされています。しかし、その8か月後、末っ子の次男も事故で亡くなります。

 近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで駆け付けたらもう亡くなっていました。子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。「どうしたんや」と聞いたら十分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれました。

 『学校も友達もぜったに許さんぞ』と怒りが込み上げてきた。しばらくしてご主人が大泣きして駆けつけた。

「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きていかないかん。わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら二人が我慢しようや。」

 ご主人は続けて、心臓麻痺で死んだことにしようと言います。『そうしたら、学校も友達も許してやれるやないか』と。
 何を言い出すのかとビックリしたそうですが、何度も強く言われて、仕方なく許すことにしたそうです。

 でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。争うてお金をもろうたり、裁判して買ってそれが何になる…。許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の七月二日に墓前に花がない年が一年もないんです。三十年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。

 『365人の…』では触れられていませんが、塩見さんはご主人を交通事故で亡くします。ご主人をトラックで撥ねた運転手がやってきて「僕は殺されても仕方がありません」と土下座して言います。そのときも、
「あなたは若いから、主人の分まで生きてください」
私はあなたを許すことからしか次の一歩を踏み出せないんです
と言ったそうです。ご自分でも「何でそんなことを言ったのかわからない」と振り返っています。

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「怒り」って、どう対処すればよいのかわからない感情ナンバー1だと私は思います。
 怒りをぶつけても、スッキリしない。
 何にぶつければいいのか、わからない。
 受け止める側も、どう返すのがベストなのかわからない。
怒りの持ち主も、ぶつけられた人も、まわりの第三者も、どう対処するのが正解なのかわからない感情。いや、正解のない感情なのかもしれません。

 その答えが「許すことからしか次の一歩を踏み出せない」にあると思います。次の一歩を踏み出したいのならば、許すしかない。大切な人を亡くしたときに、許すことで前に進んできた塩見さんにしか言えない言葉ではないでしょうか。

 ここまで書いて思ったけれど、「怒り」って簡単に手放せないものなのかもしれません。他人にぶつけても手放せない感情。昇華できない感情。「怒り」が大きく深いほど、手放せないものではないでしょうか。

 「怒り」を手放したいか、手放したくないか。
 仮に、手放さずにずーっと持ち続けて、いつか自然に小さくなる日を待ったとしたら。そのときは、他の何かを失っているかもしれない。塩見さんの場合ならば、毎年命日の日に花を手向けてくれる友人はいなかったかもしれない。

 私にも手放せない「怒り」があります。塩見さんには比べ物にならないくらいの小さな小さな「怒り」です。時々、フッと怒りが甦ってきて、すべてを滅茶苦茶にしたくなるくらいのエネルギーが出てきます。
 でも「怒り」に任せたときに失うものを知っているので、抑えようとします。
 できれば「怒り」に翻弄されたくない。翻弄される自分は好きではない。
 許すことができるようになったら、私も変われるかもしれません。

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