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10月6日 いかに忘れるか,何を忘れるかの修養

「1日1話,読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」より,住友生命保険元社長の新井正明さんです。

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 新井正明さんは,大学卒業後,住友生命保険に入社しますが,九ヶ月で応召。ノモンハン事件での戦傷により右足を断脚。陸軍病院に入っている間に安岡正篤先生の本を一所懸命に読んだそうです。
 右脚をなくしてしまい,行動が鈍い。同僚に比べて昇給が遅い。ボーナスが少ない。そんな時期が2,3年続く中で気づいたことが今日のタイトルです。

 そういう中で,安岡先生の,『続経世琑言』の中にある,「忘の説」という箇所が目にとまったわけです。「どうにもならないことを忘れるのは幸福だ」という諺がドイツにあるんですけれども,またカーライルが,
「忘却は黒いページで,この上に記憶はその輝く文字を記して,そして読みやすくする。もしそれがことごとく光明であったら,何もよめはしない」
 ということを言っているわけですね。先生はそれを受けて,
「我われの人生を輝く文字で記すためには確かに忘却の黒いページを作るがよい。いかに忘れるか,何を忘れるかの修養は非常に好ましいものである」
 こう言われているわけです。

忘れるって,難しい。
忘れようと意識するほど,忘れたいことの存在を認識する。
忘れたいと願うほど,忘れることの難しさを実感する。

だけど新井正明さんは『忘れなければならない』と。

過去のどうにもならんことを忘れなければならない。召集令状さえ来なけりゃよかった。戦争に行っても弾に当たらなけりゃよかった……。こういう過ぎてしまったことをいろいろ考えてみたって,実際はどうにもならんわけですね。いくら,言っても元へ返らない。
そうなるとそれを忘れ去って,今日ただいまから将来を切り開いていかなきゃならないという気持ちに到達したわけです。

 それでも,「あの時,あれがなかったら…」と思うことはある。そんなとき新井正明さんは「宿命」だと考える。

宿命というものはある。しかし、運命は自分で変えられる、と安岡正篤先生から教わりました。

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これを読んで,二ーバーの祈りを思い出した。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

「忘れる」という行為は,その事実を受け入れることから始まるのかもしれない。
事実を受け入れて,その事実が頭に浮かんでも,心を乱されることがなくなったときに「忘れた」と思えるような気がする。

ゴールに向かって進むために,何を忘れますか?

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