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お盆を過ぎたがさらに霊について考える

日頃から、生命と精神世界について想像するのが好きな僕は、とあるYouTubeチャンネルを見つけたことで刺激を受け、あれこれ考えて楽しんでいます。それはこちら。

人間は死後どのように霊となり、そして消えゆくのか
https://youtu.be/Fo8_zEyEb2g

「シークエンスはやとも」さんというピン芸人さんのチャンネルです。霊感があると自称する彼は、オカルト・ホラー・怪談といったエンタテイメント分野の他、上述のようなテーマについて、あくまで主観だと断りながら、自身の考察をネタ話ではなく、ノンフィクション表現として公開しています。

もし興味が湧いたら動画を見ていただきたいのですが、死後の世界、特に死んだ直後の人間の意識の在り方についての彼の話を聞いていると、「睡眠状態」と比較してみたら面白いのではないかと思いました。

生命が終わると肉体が滅びるから、この物質世界に関わることはできない。だから新たな刺激を外界から受け取ることができない。はやともさんはこれを「死者とは時間が二度と前には進まない存在」と言っていて、「己が生きた時間を繰り返すことしか出来ない」としています。

これ、睡眠中の夢の話と似ていませんか?夢の中では、これまでどこかで触れた映像体験がミックスされて出てきます。自分が全く経験したことがない事柄が生み出されることはありません。記憶が再構築されて表現されるのが夢です。

また、はやともさんの言葉に戻りますと、「死者は自分を認知してもらえないし自分そのものを見ることも叶わない」。

これも何かしら夢との共通点を感じるところです。夢の中で感じるもどかしさ、何かをしようと思ってもできない焦り、そうした感情は僕は頻繁に感じるのですが、如何でしょうか(フロイト的夢判断はひとまず脇に置くとして)。

そして、はやともさんは上記動画では指摘してはいませんが、僕がひらめいた共通項、それは「論理的思考ができない」です。

睡眠中は論理を司る大脳が休んでいるわけですから、理性的な思考ができません。どうでしょう、夢の中では、何かが起きて、なぜかわからないが自分が巻き込まれる、窮地に追いやられる。

どうしたらいいのか、現状を打破するための状況分析や論理的解釈、解決に向けての冷静な思考は端からないものにされて、ただ翻弄されていくだけ、ではありませんか?

ただただ、流されるままに、感情だけが揺り動かされ、受け身でいるしかなくて、体は思ったようには動かないし、焦るばかりで、目が覚めて「ああ、夢でよかった」と思うこともしばしば。

逆に、女の子に優しくされて、安らぎの感情に満たされ、ああ、いい夢見たな、と思うこともありますが、何れにしても感情が全てで、理屈が入り込む余地がありません。

とはいえ、ごく稀にですが、夢の中で理性が働いているかのように感じることがあります。明晰夢というやつです。僕は数える程しか見たことがありませんが、まずもって夢の中での質感がまるで違う。ほとんど現実と変わらないクリアな3D映像のようなもので、その時は主体的な意思として、「あっちの部屋に行ってみよう」とか「あの物をよく見てみよう」といった論理的な思考ができるようになります。

しかしそれも長くは続かず、夢の中で「あ、これ明晰夢だ」と思った瞬間、全てがボヤけて曖昧になってしまいます。これはきっと、一時的に大脳が覚醒していたのでしょう。

と、ここまで考えて思った結論。大脳のような高次の肉体機能は、物質世界に属しているわけで、生命が終わると、すぐに失われてしまう。

一方、「睡眠」「ランナーズハイ」「酩酊状態」というような、大脳が休止、活動低下もしくは麻痺した時にも、脳の一部は活動していて、自動操縦のように本能的に危険を避けたり、体の代謝を制御したりして生き延びようとしている。

この状態は、死んだ直後の人間と、似ている部分があるのではないか。一言で言うと「現実味が失せる」状態です。

「はやとも」さんの考察系動画は多数あり、それぞれに、そうなのか、そうだろうな、と納得できる内容だと思っています。しかし見れば見るほどまた新たな疑問が湧いてくる。こういう、戯れの思考実験をするのは好きなので、また折をみて何かしら考えをまとめてみることにします。