なぜ酒の提供が矢面に立たされるのだろう
西村経済担当大臣の発言が大問題になっていますが、改めて、なぜ飲食店でのお酒の提供が問題になるのか、日本の文化、社会において、酒に酔うというのがどんな意味を持つのかについて考えてしまいました。
細かいことは忘れましたが、僕は以前、親しいと思っていた仲間たちの酒の席で、忌憚のない批判的な説教めいたことを言われたことがあります。そのことはよしとして、引っかかったのは、後日その人物が、酒の席での発言だから、という言い訳めいた弁解をしたことです。
僕は誰に対しても常に態度は一定で、好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、と、感情が表に出てしまうので、結果、人付き合いに支障が生じ、本当に親しいごくごくわずかな人としか話をしなくなりました。
そうした自分の側の対人関係の問題点はあるにしても、フラットに考えて本音と建前、裏表のある人間関係は、それが現実社会の大部分であるにしても、適度に運用してこそ潤滑油になるものであって、現代ではそのあたり過敏でギスギスしていて、むしろストレスの主因になってはしまいか、と思ってしまいます。
そこで酒です。政府が言わんとしていることは、表向き、酒が入ると話が弾み、会話が多くなって感染のリスクが増えるという理由なのでしょうが、逆に言えば酒の力を借りて言いたいことを言うのが日本の文化な訳です。
昼間はみんな大人だから「コロナだから仕方ないよね」と物分かりのいいふりをしていても、酒が入ると日頃のストレスから「菅総理、ありゃダメだな」という感じで政権批判が盛り上がるんじゃないか。そういうお行儀の悪い日本人になってほしくないんじゃないかな、政府は。特に今は。
酒を飲もうが飲むまいが、人に言う言わないはさておき、ブレない自分の意見を持っておく、そのために考え続けるっていうのは大事なんじゃないかな、と思いました。