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「だが、情熱はある」が参考にならない私たちへ ~「コントが始まる」~

これはふたりの物語
みじめでも、ぶざまでも、逃げ出したくても、泣きたくても、青春をサバイブし、漫才師として成功を勝ち取っていくふたりの物語。

しかし断っておくが、友情物語ではないし、サクセスストーリーでもない。
そして、ほとんどの人において、まったく参考にはならない。

だが、情熱はある。

「だが、情熱はある」 第1話

ほとんどの人においてまったく参考にはならないドラマ「だが、情熱はある」

日本テレビ 2023年4月期 日曜ドラマ「だが、情熱はある」は、
毎話、水トアナウンサーの印象的な口上ではじまる。

全12話、口上は全く同じではなく、
その回の内容に合わせて少しずつ変わる。
しかし、後半部分は12話を通して全く同じである。

しかし断っておくが、友情物語ではないし、サクセスストーリーでもない。
そして、ほとんどの人において、まったく参考にはならない。

だが、情熱はある。

「だが、情熱はある」 全12話共通

全話を通して、冒頭で「ほとんどの人において、まったく参考にはならない」ことを宣言しているのである。

そして、その通りである。

オードリー若林正恭(髙橋海人)と、
南海キャンディーズ山里亮太(森本慎太郎)の半生を描いたこのドラマは、
特に、いわゆる「社会人」という分類にいる人にとって、まったく参考にはならない。

「だが、情熱はある」の主人公は、日本でテレビを観るほとんどの人が知っているであろう著名なふたりの漫才師。

すなわち、ドラマを観ている側は「漫才師としての成功」というドラマのゴールを知っている。
なんなら、第1話の口上ではっきりと宣言されている。(冒頭参照)

全12話のうち、前半では特に、刻苦の日々を過ごすふたりの姿が描かれる。

のたうち回るような日々、
どうしようもないフラストレーション、
将来への不安・・・
それでも自分を信じて漫才を続けたふたりに、
尊敬の念が湧きあがる。


でも、わたしにはできない。


もし、漫才師として成功しなかったら?
努力している方向は合っているのか?
この生活をあと何年続けるのか?
というか、続けられるのか?

そういう考えが勝るわたしには、できない。
だから、
わたしは「社会人」になることを選んだ。

これまで夢見たことがある希少な職を本気で目指さなかったのは、
「だが、情熱はある」のふたりが過ごしたような日々の果てに、「成功」がないことが怖かったから。

私のような人はたくさんいると思う。
だから、「だが、情熱はある」は「ほとんどの人において、まったく参考にはならない」のである。

そういった意味で、「だが、情熱はある」を観終わった後、
ふたりの成功に心からの拍手を送るとともに、やるせない気持ちになった。

「だが、情熱はある」がまったく参考にならない「ほとんどの人」に寄り添うドラマ「コントが始まる」

「だが、情熱はある」がまったく参考にならない「ほとんどの人」に寄り添うドラマがある。

日本テレビ 2021年4月期 土曜ドラマ「コントが始まる」である。

このドラマは、コント師としての成功を10年間追いかけた、お笑いトリオ「マクベス」の解散までの日々を描いた作品である。

彼らは、コント師としての成功を夢見て、のたうち回るような日々を重ねたが、10年を区切りに「時間切れ」を迎える。

「何者か」になりたくて、社会人にはならず、夢を追いかけた人々のうち、
大半の人はこうして現実に打ちのめされて夢を諦める
のだと思う。

お笑いトリオ「マクベス」の春斗(菅田将暉)は、解散直前、ひとつの考えに頭を悩ませる。

誰かの目に映る「マクベス」の10年は失敗に映るのかもしれない。
俺にとって「マクベス」とは、いったいなんだったのか。

「コントが始まる」 第10話

10年をかけて、コント師としての成功も掴めず、
人生をともに歩むパートナーとの出会いもなく、
アルバイト先への就職もできない。

春斗がどのような答えにたどり着いたのか。
まだ観ていない方には、ぜひ全10話観てみてほしい。

社会的な「失敗」はとても怖いことで、
だから、わたしは「社会人」になった。

夢に向かって社会的な「失敗」を恐れなかった春斗と境遇は異なる。

でも、これまでに費やしてきた時間の重みや、
社会における自分の立場を客観視して、
身動きがとれなくなっている春斗につよく共感する。

「コントが始まる」は、社会的な失敗を恐れて、
身動きが取れない私たちに寄り添い、
動き出すためのお守りのような言葉を授けてくれるドラマ
である。


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