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【長編小説】『薫香の女君』第7話「新年と甘き香り」

 山が新年の雪に覆われて、真っ白に染まりころ。
 住まいの周囲は、厳しい寒さに包まれ、庭の植物の殆どが、枯れてしまった。
 ただ、白、ピンク、赤の寒椿や、深緑や赤紫の葉牡丹が、薄灰色の曇り空でも、鮮やかに咲き誇る。寒さに強いローズマリーの緑葉からは、清々しい香りが、風に乗り仄かに香る。

愛、青黒、王龍、一角、ぼうは、静かに、また賑やかに年を越した。


「あ、あった!!」
愛が思わず声を上げる。
 居間には、色とりどりの絵や歌が描かれた「貝覆い」(かいおおい)の遊びに、愛、青黒、王龍が、夢中になっていた。令和時代でいう「神経衰弱」のような遊びで、同じ絵柄の貝殻を探すのだが、大の大人でも、つい夢中になってしまう。

「もう!!また、まぁに先越されたわ。やっぱ、頭使う遊びは、ワシには難しいのう。」
 二本角の頭をガシガシ掻き、悔しそうにする青黒。しかし、妻の喜ぶ顔を見ると、すぐに何もかも許してしまう。加えて、年明けより一角が作ったお屠蘇を飲む鬼は、酔いしれて妻の膝枕に横になるのが常であった。

「そんなだらしない姿では、探すもんも見つからんだろうが。」
王龍も珍しく、家事をひと段落して、遊びに興じる。遊びといえど、眼差しは真剣そのもの。
「王(おう)さんも、たくさん貝を見つけてすごいよ。」
「ほう?そうか。愛にそう言われると、嬉しいのう。」
 妻の言葉に、思わず王龍は顔を緩める。時折、貝を取る時、王龍と手が重なる度に、妻の手を何気にそっと撫でて頬を桃色に染める夫に、愛は気付いていた。

「ぼう。まだ、一(いち)さんと頑張ってるのかな。もうすぐお昼だけど、疲れてないかしら。」
 二人の夫と貝覆いを楽しみつつも、愛は、頭の片隅に、ぼうと一角のことがずっと気になっていた。


 新年、まだ朝日が顔を出すころ、庭の井戸で組んだ水で、皆して一年の祈願を願い、思い思いに書き初めをした。暖房の火鉢に入れた木炭と、硯に擦られる墨の、鼻をくすぐる独特な香りが部屋を満たす。

 全員、書き上げた字を見せ合った。

 青黒が書いた字は、半紙いっぱいに、荒々しくはっきりと「守」。
「仕事で困っとる人や、まぁやぼうとのこの暮らしを守りたい。それが、わしの幸せなんじゃあ。」と自らの字に誇らしげに語る。
 「もちろん、王、一、お前らも守るからのう。」
ウェインクのように片目を瞑り笑う青黒に、王龍も一角も呆気に取られた。

 王龍が書いた字は、力強く堂々と「健」。
「肉、魚、野菜、毎日わしらの命を支えてくれる食べ物も、全ては命あるもの。皆の命を頂いてこそ、わしらの命も成り立つのじゃ。やはり、己が心も身体も健やかでないと、頂いた命に申し訳たたない。まずは身体の鍛練に励み、皆の健やかな生を願って、炊事や家事に汗を流すわ。」
王龍らしい志に、一同納得する。

 一角は、さっと迷い無く、端麗な書体で「仁」。
「まな様を始め、ありとあらゆる人びとの恩恵を受けて、私も無事、年を越すことができました。これからも、この命ある限り、夫として、そして、支えてくれた人びとへ恩を返せるように精進します。」
穏やかながらも、凜とした表情で話す一角に、青黒は「そりゃあ、ありがたいけど、なんか、かたぐるしいのう!!」と突っ込む。

 ぼうは、一角の手解きで、さまざまな文字を書けるようになった。小さき背筋をピンと伸ばして、一画一画、丁寧に筆を進める。
 誰よりも時間はかかったが、「できた!!」と半紙に書き上げた文字を掲げた。
 ぼうが書き上げたのは、「いろはにほへと・・・」から始まる七五調のいろは歌。
「まぁおばちゃんが教えてくれた歌、お話みたいで大好きなんだ。いちにいちゃんにも、ありがたい歌だって教えてくれた。」
 単調でありながらも、生の在り方が謳われし歌を、ぼうは精一杯書き上げた。皆、我が子同然のぼうの成長ぶりに、感動し、褒め讃える。

 愛は、何を書くか悩みに悩みの末、やっと決めて、一気入魂の気持ちで書く。
 皆が目にした愛の字は、「和」
「何を書こうか、いろいろと迷ったけど。私にとって、今、目の前の生活が私の全て。この日々の平和を支えてくる皆や、ありとあらゆる人びとへの感謝と、これからもこの和やかな時を過ごすことができるように、という願いも込めたの。」
 愛の言葉に、残りの四人は感嘆の声をあげる。


 全員書いた半紙を、居間の壁に飾った後、少し遅いが、朝ご飯を全員で作る。
 王龍が普段手伝をする村で、お裾分けされた米を使い、あらかじめ皆で作った鏡餅を仏間に供える。それから、残りの餅は、王龍十八番の汁に入れて雑煮にした。加えて、青黒が仕留めた猪や雉の肉を使った料理も出た。
 宮では、干し肉にして食べるそうだが、王龍や一角の工夫で、蒜(ニンニク)、タイムやセージ、黒胡椒(ブラックペッパー)を使い、焼いたり揚げて、さらに食欲が増す献立に仕上げた。
 台所には、五人が並び、味見をしたり、つまみ食いをしたり、笑い、賑やかになった。
 食事が揃い、皆で新年の恵みに感謝をこめて「いただきます。」と声を揃える。
和気あいあいと囲む食事に、一同心から幸福に酔いしれた。

「これ、きれい。」
 ぼうは、「花びら餅」の薄桃色にうっとりした。その名のように、白と紅色が鮮やかな餅は、可憐な花を想像させる。
「本当。もう少し暖かくなったら、庭の花も、このお餅みたいにきれいな花を咲かしてくれるわよ。」
「このお庭にさく花、見てみたい。」
愛の言葉にぼうは、目を輝かさせる。
「そうじゃあ。今年の庭の花々が咲いたら、皆で花見せんか!!!この庭で飯食うのもええし、この山には山桜も見事に咲くから、それも見に行こう。」
「おう。それはいいのう。」
「楽しみが増えましたね。」
青黒の提案に、一同賛成した。

 食事の後、愛は、宮で流行りの貝覆いをしようと提案した。しかし、ぼうは首を横に振った。
「まだ、やりたいことがあるんだ。ね、いちにいちゃん。」
「ええ。私とぼうは隣の部屋で用事をしますから、皆さんはお先に遊んでいてください。」
やりたいことってなんだろう。残った三人は首をかしげつつも、ふふふっと笑う一角とぼうは、隣の部屋に移った。

貝覆いを興じる中、愛はぼうと一角のことが気になり続けた。隣の部屋の障子を開ければすぐに分かるのだが、それでも何となく開けづらい。

「できたよ。」
 ぼうはいつものまん丸い瞳を輝かせながら、障子を開けた。
 そこには、半紙を何枚も広げて張り、畳一畳分の大きさにした紙に
朱や青、黄、緑、金など文字や絵が色彩豊かに描かれた凧が現れた。

 凧には黒の鬼、金色の龍、藍色の一角獣の絵が描かれている。周りには、色とりどりの花や葉が描かれて、真ん中に鮮やかな朱色で「愛」が力強く堂々絵と描かれている。
「鬼はくろおじちゃん、龍はおうおじちゃん、この馬さんみたいなのはいちにいちゃん、それから、まぁおばちゃんの名前。」
自分たちが描かれているとは思いもよらなかった青黒や王龍は、とびきり喜んだ。
「わしを、なかなかの男前に描いてくれてありがとのぅ。ぼう!!!」
「ああ。ぼう。見事じゃ。」
自らの名前を見て、愛は、嬉しさのあまり、ぼうをぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。ぼう。とってもきれいな字。嬉しい。」
「漢字がとっても難しかった。いちにいちゃんに、何度も教えてもらった。」
照れ笑いしながら、ぼうは頭をかく。
 「今日は天気も良いですし、丁度良く風も吹いていますから、昼食後に、近くの野で、凧揚げをしましょう。」
「そうじゃ。ちょっとばっかし寒いけど、野には、蝋梅(ろうばい)や山茶花(さざんか)がきれいに咲かしてええ匂いさせとる。今日の昼飯は、そこで食べんか。王よ、握り飯と飲み物頼む。」
青黒の突拍子のない提案だが、またまた一同同意した。
「そうじゃの。身体が冷えたらいけないから、今朝の雑煮の残りももっていこう。握り飯もいいが、餅がたくさんあるから、たき火で暖めて、焼き餅にするとしよう。」
「それから、一、お屠蘇頼む。あんまりにも旨すぎて、全部飲み干してしまったわい。」

「黒さん、ずっと飲んでいたけど、大丈夫なの。」
妻の心配に青黒はニッと笑顔で返す。
「平気じゃあ平気じゃあ。まぁの膝元で飲む酒は何杯飲んでも、旨いんじゃあ。」
「全く。鬼のために作ったものではないのに。酔いにかこつけて、まな様にくっつくとは・・・。」
「ええじゃないか。今日は折角の年明けなんじゃし。わしもお屠蘇づくり手伝うから、お前も、一緒に呑まんか。」
「う・・・、うーん。とりあえず、倉庫の酒樽持ってきてほしい。」
青黒と一角、お互い性格は真反対だが、二人のやり取りはなぜか妙に微笑ましくも感じる。

陽が、空の真ん中に昇りし頃。薄灰色の空に、鮮やかな凧が空を高く舞う。野には、五人の和やかな声が、響き渡った。



暫くして、庭の梅の蕾が少しずつほころび始めた頃。

 住まいの四人の大人は、各々仕事に追われた。ぼうは王龍とともに、家事や村の手伝いに励む。

 ある日、一角は、今の宮よりも離れた旧宮の地(令和時代でいうと平城京)に建立する薬師の大寺にて節分の準備を手伝うことになった。
「まぁおばちゃんやいちにいちゃんが話してた、おてらやほとけさま、おぼうさまを見てみたい。」
 生まれてから限られた場所で日々を過ごしてきたぼうは、一角の仕事場に興味をもっていた。
 誰よりもぼうを可愛がる青黒も、平生の見回りの仕事にぼうを連れて万が一の危険があってはならんとのことで、どうしても、ぼうを四六時中、傍においときたくても出来なかった。
 愛のお仕事も見たいとせがまれたが、愛の職場は邸の主や一部の貴族以外は禁制であり、とてもぼうを連れていく場所ではなかった。
 王龍や村の人びとの触れ合いも、ぼうにとっては幸福であったが、ぼうは、愛や一角が語る新たな世界に、瞳を輝き始めたのである。

「あんな可愛い笑顔で言ってはいるけど、一さん、どうするの?。」
「そうですね。旧宮の寺では、外部の者を入れてはいけないという掟はありませんし、ぼうと同い年ぐらいの修行僧もたくさんいるんです。折角の機会だから、私が責任もって、ぼうを連れて行きます。」
「やったあ。」
愛と一角のやり取りで、行くことができると知ったぼうは、両手を上げて喜ぶ。
「良かったの。ぼう。たくさんお寺や仏様を見てくるんだぞ。」
王龍が、ガシガシとぼうの頭をなでる。
「なんか、一にぼうをとられたようで、良い気分じゃないが・・・ぼうが喜ぶのなら仕方ないわい。帰ったら、土産話きかせてくれい。ぼう。」
珍しく不平を漏したが、ぼうが喜ぶのならばと、青黒はしぶしぶ気持ちを抑えた。

 翌日早朝でも、ぼうは、王龍が作ったお弁当を携えて、目を輝かせる。
「では、参りしょう。」
一角は元の神獣の姿になり、ぼうを自らの背中に乗せた。
「行ってきます。」
空高く、一角が昇ると同時にぼうは、地上で見送りする三人に手を振る。

一角とぼうの姿が見えなくなるまで見送った三人は、いつものように、各自仕事に向かった。

 もうすぐ節分を迎える頃、冷たき風に乗って、野に咲く蝋梅や山茶花の甘い香りが、各々の鼻に新たな春の到来を告げる。

#創作大賞2023


第8話:



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