人の本質
母が生きていた頃。
子供の行事で義実家と集まった時に、夫が私の母を
気遣ってくれて手を差し伸べてくれる場面があった。
母が色々不自由な点が多かったからだ。
その時、義母がこう言った。
「あんたも足が悪いのに、そんなことしなくていいよ」一瞬その場が凍り付いた気がした。
夫も、昔サッカーのし過ぎで足を悪くしていて普段の生活には支障ないが、負荷をかけるのは良くないそうだ。
それにしても、ガッカリした言葉だった。
あれから時が経ったけれど、義母の性格は特に変わっていない。
ただ、義母自身も、少し足を痛めることが増えてきた
と言っている。
人は、いつどんな状態になるか分からない。
明日は、車椅子やベッド生活かもしれないし、
生きている保障もない。
私は何が大切かを考えてみた。
打算や、損得感情優先で生きていたら自然と
同じ仲間が増える。
義母は、息子を守りたい、息子が可愛くて
仕方ないのかもしれない。
人に施すことを、マイナスと捉えている。
何かを奪われると思っているのかもしれない。
人の本質はそうそう変わるものではない。
私は、見たくないもの(義母の本心)に蓋をして義母と仲良く歩み寄ろうと頑張ってきたけれど、なかなか分かり合えないまま今日までやってきた。
しかし、価値観の違いはどうしようもない。
綺麗な湖を見て、わぁ綺麗!と思う人もいれば、
もっと美しい湖を見たいと思う人もいれば、
大切な人にこの景色を見せたいと思う人もいて、
捉え方は千差万別。
自分と同じ価値観の人ばかりではない。
違いを認め合えないならば、付き合いを減らすか
離れるしかない。
私の甘さが、ずるずる優しいお花畑の幻想を
作り出していたかもしれない。
現実は、甘い世界とは違う。
だけど、自分の大切にしたいものは譲れない。
見た目や形、世間体ばかりに気を取られていたら
大切な心の豊かさを失う気がする。
4人いたら4人が納得する愛の形を
擦り合わせするのは難しいけれど、
そこで同じ時間を過ごすのなら、
なるべく気持ち良く過ごしたいと思う。
この記事を書く前は、思い切り泣いた私。
きっと、義実家との諸々に傷ついた自分の心を
涙で浄化したんだろうなぁ。
久しぶりに泣き疲れた…
また長い夏休みの為にも、心を整えていきたい⭐︎
心は涙で浄化❤️