【カート・コバーン没後30年】1995年のレディングフェスティバルで観客が求めていた、生前のカートの残り香
■カート・コバーンの死後、J-popから洋楽へ
いわゆる松坂世代(1980年~1981年生まれ)の僕にとって、カート・コバーンは僕が洋楽に本格的に目覚める数か月前に他界してしまったカリスマであり、彼らの音楽を初めて聴いたときはすでにカートはこの世にいなく、伝説のロックスターの一人として神格化された後だった。
Nirvanaがまだ活動してした頃、「Nervermind」や「In Utero」などの作品をタイムリーに聴いていた人や、それこそ1992年2月に中野サンプラザで行われた来日公演に足を運びライブを直接体験できた人のことを羨ましいと思うときはあるのだけれど、僕は僕で、少しだけ人に自慢できるようなニルヴァーナとの出会いがあったので、この没後30年を機にNOTEに残しておきたいと思う。
↑1992年2月 中野サンプラザで行われたNirvaneのライブの音源
当時の僕は、同世代の友人と同じくB'zやWANDSを聴き、インターネットのない時代であったため、毎週土曜日のカウントダウンTVをチェックして新譜や新しい音楽をチェックする程度の音楽ファンだった。一方で思春期を迎え、スポーツが得意でもなく、ルックスがよくてモテるわけでもなく、クラスの上位カーストにいるわけでもない、かといって不良になれるわけでも優等生になれるわけでもない、なんら取柄のない自分に、もやもやとした悩みを抱えていた。今から振り返ると日本で生まれて平和に暮らせていたのに贅沢な悩みだなと思うのだが、なぜかは分からないけれど自分自身に対して不満と理由のないコンプレックスを抱えていたことは覚えている。
そんな中、友人の一人に洋楽に詳しい男がいて、その友人の影響で「Rockin' On」や「Crossbeat」といった洋楽ロック系の音楽雑誌を読み始めるようになった。純粋に音楽に興味があった、という気持ちもあったのだけれど、自分自身のアイデンティティみたいなものに悩んでいた中学生にとって、「他の中学生がまだ聴いていない洋楽を聴いていること」がカッコいいと思っていた節はあったかもしれない。
覚えている限り、Rockin’ Onは毎月1日、Crossbeatは毎月18日が発売日。インターネットのない時代は雑誌以外に情報源はなかったこともあり、この発売日が楽しみになった。
これらの雑誌を通じて、僕はニルヴァーナの存在を知ることとなる。ただ、当時(1995年)はすでにカート・コバーンは亡くなっていたこともあり、いわゆるグランジブームも終焉を迎えたような扱いであったからか、なぜか最初はハマらなかった。最初に買ったアルバムはオアシスのデビューアルバム「Definitely Maybe」だったと思う。その次に買ったのがPearl Jamのサードアルバム「Vitalogy」だったかな。
↑当時聞いていたOasisの「Rock'N' Roll Star」
↑当時聞いていたPearl Jamの「Spin the Black Circle」
Nirvanaの事は知っていたし、カート・コバーンが自殺したことも知っていたし、「Smells Like Teen Spirit」が大ヒットし、世界のロックシーンを変えたと言われている事も知っていたのだけれど、今思うと本当に不思議なのだけれど、渋谷のタワーレコードにいっても、HMVにいっても、「Nevermind」にも「In Utero」にも手を伸ばさなかった。
↑誰もが知っているであろうNirvanaの名曲、 「Smells Like Teen Spirit」
■1995年の夏、イギリスへ
ちょうどこの頃、当時14歳だった僕は親戚について行く形で、イギリスに旅行に行く機会に恵まれた。40歳を超え、子供がいる今考えてみるとイギリスの旅行代とか航空券代とか、考えただけでも頭の痛くなる話ではあるが、当時の日本はまだいまほど景気も悪くなく、そして、1995年は円高のピークでもあったからか、物わかりのいい親は心配しながらも東京生まれで世間知らずの息子にイギリス行きのチケットを手渡してくれた。
バックパックにパンパンに荷物を詰めて、香港経由で合計20時間ぐらいかけて、キャセイ・パシフィック航空でロンドンに到着した。
慣れない飛行機で体調を悪くしたのか、ヒースロー空港から市内に向かうバスの中で、持ち合わせていたビニール袋に機内食を吐いてしまい、まわりの乗客から、よくわからない英語で罵声を浴びせられたことを覚えている。
当時、英語も全く分からず、イギリスの文化についても何も知らない状態で到着したわけだけれど、こんな罵声程度は気にもならないほど、親元を離れまだ見ぬ土地に足を踏み入れた興奮と好奇心で心は満たされていた。
洋楽というものをかじり始めた頃で、UKロックとUSロックの違いもよくわからなかったレベルだったけれど、とにかく洋楽の本場に来たという単純な嬉しさが心にあふれ、ロンドンのタワーレコードやHMVなどの販売店や楽器屋を何軒もまわった。
当時のUKロックファンの方であればご存じだと思うが、この年のイギリスの音楽シーンでは、OASISとBLURが仲たがいをしていて、タブロイド紙の表紙を飾ることも多く、また、あのオアシスの歴史的名盤「(What's the Story) Morning Glory?)」の発売前ということで販促ポスターも街のあちこちで見かけたことを覚えている。
↑Netflixのコンテンツ オアシス vs ブラー - 伝説の2大UKロックバンド 抗争
↑僕がイギリスにいた95年の夏に発売された「(What's the Story) Morning Glory?)」の中の名曲、「Don't Look Back in Anger」
■Reading FestivalとFoo Fighters
そんなこんなで、音楽関係のお店をまわっているうちに、僕は8月25日~8月27日までの3日間、ロンドン郊外の学生都市レディングにてReading Festivalという野外音楽フェスが開催され、2日目の夜にNirvanaのバンドでドラムをやっていたデイヴ・グロール率いる新生バンドFoo Fightersが出演することを知った。
Nirvanaもろくに聞いていなかったのになぜFoo Fightersに興味がもったのか、そしてフジロックすら始まっていない95年になぜ野外フェスに中学生の少年ひとりで行こうと思ったのか、これも今となっては分からないのだが、まだ日本人でもライブを見たことがない新生バンドFoo Fighrersを、この目で見れば日本で友人に自慢できるという中学生ながらにも打算があったのかもしれないし、Rocking OnやCrossbeatなどの雑誌を通じてニルヴァーナの悲しい結末だけは詳しく知っていたので、残されたメンバーの新しいストーリーに単純に興味があったのかもしれない。
まだ何物でもないニキビ面の少年が、大げさに言えば歴史的瞬間の目撃者になれるまたとないチャンスだったので、これを逃す手はないと思ったのかもしれない。
当時のReading Festivalは今のフジロックなどと比べてもまだ安くて、このときのポスターを見ると3日間の通しチケットで60£、当時のレートで9,000円弱。
初日にはSmash Pumpkins、Green Day、Hole、2日目にはFoo Fighters 以外にBJORK、PAL WELLER、3日目にはNEIL YOUNGにSOUNDGARDENなどという当時のロックシーンを牽引するなかなか豪華な顔ぶれであったが、3日間通しで観に行くことはさすがに不可能なので、親戚に懇願し、とにかく1日だけFoo Fighersを観るためだけにReadingに一人で行くことを許してもらい、なるべく早く帰宅することを伝えた上で、Ticket Masterでチケットを買い(確か1日だけのバラ売りで買えたように思う)、Reading行きの電車に乗り込んだ。
当時、英語もろくに話せず、インターネットもない中で、地図とガイドブックを見ながら乗った電車の中で、本当にたどり着けるのかドキドキしていると、アジア人の少年に興味を持ったのか、近くに座っていた白人のおじさんがどこに行くのか聞いてきた。
ここで僕は純ジャパの英語力を露呈することとなる。RとLの発音の問題で、「Reading」が通じなかったのだ。「Foo Fighters」を観に行くとも伝えたのだが、当時のFoo Fightersはデビューアルバムの発売直後でほぼ知られていなかった。これも通じないので、「NIRVANAを知っていますか?」と聞いてみたら、発音が悪かったのか、NIRVANAを知らなかったのか、白人のおじさんの表情にクエスションマークがでるだけで話が進まない。その後も話しかけられたのだが、適当に相槌を打っている間に話も途切れてしまった。
(その後、日本語ではニルヴァーナだが、海外ではニヴァーナと言ったほうが伝わりやすいことをお茶の水の楽器屋にいた店員のお兄さんに教えてもらった)
ロンドンを出発して1時間程度でReadingの駅にたどり着いたときにはすでに夕方で日は落ちつつあった。駅からは歩いて会場までたどり着いたように思う。現在の野外フェスと比べるともっと原始的な感じで、ただっぴろい原っぱに宿泊用のテントやドリンクブースなどが雑然と並んでおり、白人系の若者で溢れかえっていた。
↑95年のReading Festivalを特集したMTVの番組
アジア人の子供がひとりで紛れ込んでしまったようなアウェイ感と、まわりからの好奇な目を感じながら、Foo Fighersが演奏を行う予定のMelody Maker Stageに向かっていった。
(Foo Fighersはメインステージではなく、Melody Maker Stageのトリだった)
Melody Maker Stageは1,000人ぐらい収容できそうな白いテントのステージで、僕が到着した時はちょうどFoo Fighersの前、イギリスのオルタナティブロックバンド、Echobellyがライブを始めるタイミングだった。
↑echobellyの大ヒット曲「Today Tomorrow Sometimes Never」
初めての国で、初めての野外ライブで、初めてのバンドを見たこの時の事もよく覚えている。「Today Tomorrow Sometimes Never」「Insominiac」などのヒットソングで観客は盛り上がり、僕は生の野外バンドの迫力に圧倒された。後日、日本に戻ってから、Echobellyのアルバムを買い、来日ライブも観に行くこととなるのだが、この日はただただ初めて受ける視覚と聴覚への刺激に飲み込まれ、最初のライブは終了した。
Echobelly終了後、Foo Fighersの出番まで少し時間がある。その間、テント内で待っていたのだが、ここで僕は30年近く経っても忘れられない体験をすることになる。
■初めて聴いた「Heart Shaped Box」の衝撃
まだ見ぬFoo Fighersの登場を今か今かと心待ちにする1000人だかのイギリスのオーディエンスでごった返すテント内にバンドとバンドの間のつなぎの曲として、運営側がニルヴァーナのHeart Shaped Boxを流したのだ。
↑Nirvana 「Heart Shaped Box」
妖しいギターのリフから始まるこの曲が始まった途端、このテント内の空気が変わったのを感じた。「Heart Shaped Box」を聴くのも初めてだったが、最初のリフが流れた瞬間、不穏な音階のカッコよさに鳥肌が立つのと同時に、これからこの場で何か特別なことが始まることを確信した。
1991年、1992年とReading Festivalに出演し、1994年4月にカートの自殺とともにわずか数年で消滅したニルヴァーナ。その後、世界中の多くのファンが悲しみ、希望を失っていた1年間を経た1995年の夏。これから新しい息吹が、同じReading Festivalで芽生えようとしているこの夜、オーディエンスは感情を抑えられなくなり爆発したのではないかと思う。
バンドが現れたわけでもなく、ステージ上にはだれもいない。ただ音源(多分CD)を流しているだけの会場にもかかわらず、前へ前へ猛突進してくるファンたち。小さい身体を押しつぶされそうになりながら、このバンドが、まだ僕が知らない世界でどれだけ渇望されていたのか、体圧を通じて強く、本当に強く感じ取った。
曲のサビに入る瞬間、会場はトップギアに入り、「Hey! Wait!」の大合唱。あちこちでモッシュやダイブが始まり、ガタイのいい白人の若者がそこら中で宙に浮いていた。
いわゆる強弱法に則ったこの楽曲は静と動を繰り返す。Heart Shaped Boxは約4分間、この会場に神がかったような盛り上がりをもたらし、哀しげなギターの泣き声とともにキリストの復活のような聖なる時間は終焉を迎えた。
Foo Fightersを待ちわびたファンがテントの外にも溢れていたからなのか、熱気にあふれた会場には人を引き付ける魅力があるからなのか、その後もこの会場への人の流入は止まらず、おしくらまんじゅう状態で前へ後ろへ、右へ左へと押されながら、待つこと数十分。ついにデイヴ・グロール率いるFoo Fighersが登場した。
■Foo Fighersの登場
カートの死後、イギリスで公の場でライブを行うことは初めてだったらしく、会場はラッシュ時の朝の埼京線以上の混み具合と新しいバンドの誕生を祝福する歓びからかとんでもない盛り上がりで、僕は万力にはさまれた小さなリンゴのようにつぶされそうになっていた。
僕自身、当時はNirvanaもFoo Fightersもよく分かっていなかったが、とにかくこんな瞬間に立ち会うことはもう二度とないだろうと思っていた。今だったら、携帯で動画を取ろうとか写真に残そうとか思ったかもしれない。ただ当時は携帯電話すらもっていないため、とにかくステージ上のメンバーを一目みようと試みたが、日本人としても小柄な14歳の僕にとって、ステージを見ることすらも難しい。
ようやくデイヴ・グロールの姿を見れたのは、2曲目の「I'll Stick Around」が始まった瞬間、イントロのドラムロールとともに右へ左へオーディエンスが動き、モーゼの十戒の海のように視界がパッと開けた数秒だけだった。
この夜のライブ音源は今youtubeでも聴くことができるが、デイヴがあまりに興奮した観客の事故を心配しながら何度も声がけしている様子が分かる。
↑1995年8月26日の夜、Reading FestivalにおけるFoo Fighersのライブ音源
14歳の少年ながらに背伸びに背伸びを重ねてこの場に立ち会うことまではできたが、伝説的バンドメンバーの新しい船出に狂喜し暴れまわるまわりの客とともに楽しむには、やはり年齢が若すぎたのかもしれない。
少しずつ僕は人口密度の低いテントの後方に下がっていき、空気が吸える所まで後退し、ようやく落ち着くことができたが、腕時計をみると帰りの列車にギリギリの時間であることに気が付いた。
会場では「This is a call」の演奏が始まり、ダイブが続き、観客は右へ左へ大きなうねりを見せていたが、この曲を聴きながら、僕はテントを出て駅に急いで向かった。
Readingの8月末の夜を通り抜ける風はすでに秋の雰囲気で、火照った身体を冷やしてくれたが、ロンドンに着いてからも、その後、親戚の待つホテルに着いてベッドに入ってからも精神は覚醒したままで興奮は冷めやらず、なかなか寝付くことができなかった。
今になって思うと、この夜、多くのオーディエンスが求めていたのは生前のカートの残り香だったのだと思う。
過去は過去として新たな物語を紡ぎだそうとしていたデイヴ・グロールやFoo Fighersにとっては複雑な気持ちだったかもしれないけれど、あの場所では多くのオーディエンスが、いまだニルヴァーナのTシャツを着ていたのだ。
「Nevermind」 の9曲目、「Lounge Act」でカートは別れた過去の彼女への思いを歌い、
「I still smell her on you(オレはまだ、お前の面影を追いかけてしまっている)」
と歌っていたが、95年当時、僕も含めて多くのオーディエンスが
「I still smell him on you(オレはまだ、デイヴにカートの面影を追いかけてしまっている)」
という状態であったのだと思う。
↑Nirvana 「Lounge Act」
そして、確かにその残り香を、多くのオーディエンスとともに感じることができたあの夜は、10代の魂がとんでもなく揺さぶられた経験として心に刻まれている。
■あれから30年
あれから約30年経ち、僕は今、自営でいわゆる外国人向けのインバウンド系の仕事に従事している。あの夜の出来事は確かに僕の人生に少なからず影響を与え、海外に興味を持つきっかけとなったのだと思う。ただ、40代になったいま、自分のアイデンティティに悩むこともなくなったが、魂が揺さぶられる経験もなくなってきた。
ニルヴァーナの事もFoo Fighersの事もその後何年間かはロック好きとして追っていたが、僕の興味は徐々にロックからレゲエ、ソウル、ヒップホップなどの黒人音楽へと移っていき、卒業後に会わなくなった中学時代の親友のような存在になってしまった。
それでも、30年経った今でも、そしてこれからも、「Heart Shaped Box」のイントロを聴くたびに僕はあの夜の事を思い出し、魂が少しだけ揺さぶられ、カートの匂いをどこかに探してしまうのだと思う。