生活を“豊か”にするとは…

昨日選挙番組を見ている時、とある芸人さんと総理との掛け合いのテーマだった。何とも会話がチグハグかつ話を聞かない体制であったので、「これが全国区に流れているのか…」という微妙な気持ちになりました。
というのも、<生活を“豊か”にすること>の議論の焦点が<お金がある・モノがある>=<豊か>であるという前提の話だったから。
なーんか微妙に議論が現代とマッチしてないんだよなぁ。
少し考えさせられたので、主観で勝手にまとめます。

生活の豊かさとは

生活の豊かさ(≒幸せ)って結構難しいですよね。
なぜならば、それはもう人それぞれになってしまっているので。
だけど、その中でも共通することは確かにあると、わたしは思っています。
そしてそれは目に見えない想いだと考えます。
自分だけでは育まれない感情や考えが重要なのでは。

結論から述べると、
お金は手段であり結果ではない。=お金やモノがあるから豊かとは言えない。
他者や社会と関わり、様々な学びや経験が培われる中で、自分の幸せが育まれる。<自分を確立すること><自分とは違うものを許容すること>それはやがて本当の意味で<生活の“豊かさ”>へと繋がり、生活の質が向上するのではないでしょうか。

私たちの生活の背景

【昭和時代】
日本は戦争で敗戦し、物理的にモノがない食料がないなどの厳しい時代を経験しています。
ただ復興速度は早く、1960年代に日本は高度成長期を迎えます。
この時代は、所謂<みんなと同じモノを持つ>ことに価値があり、大量生産・大量販売・大量消費の時代へ。
戦後の辛い経験を塗り替えるかのように、モノを所有することで心が満たされていきました。→所有すればするほど豊かに。
昭和時代は何となくそんな感じで進んでいき、お金がある=所有する=豊かの方程式はこのような背景から成り立ったと思われる。

【平成時代】
平成時代に入りその価値観が徐々に少しずつ変革してきた。
推測するに、貧しい日本時代を知らない世代が増えたこと、社会を回す若者に平成世代が入ってきたこと、経済がある程度安定し大多数の人が当たり前に同じモノを所有できるようになったこと、急速なデジタルの発展、緩いグローバル化が価値観を変えるポイントだったと考える。
平成時代では気づけば、モノで心が満たされる日常は当たり前になり、欲しいものはある程度購入できるようになり、モノを持つ=幸せは実質終わったのだろう。
逆にモノを持たない(選別する)ミニマリストや、生活感のない空間に憧れたり、旅しながら働く・生きるなど、ドラマや教科書通りのセットや環境がなくとも生きていける。単純に固定概念が徐々に変わるように、生活様式が多種多様に移り変わった。
上記のことから、作れば作るほど売れたり潤っていた現状が、<モノが売れない>が本格的に始まる。全てが飽和状態。
<何故売れないのか?>ココに躓く企業が多い。ただ日本企業は良くも悪くも保守的なので机上の空論要素も多く、中々抜本的に変革することは難しい。(そして見えないものやデザインなどにお金を渋りがち)

【令和時代】
そして時は、令和時代へ。
<モノが売れない>既にモノの価値が変化してきて、生活の“豊かさ”を多くの人が何となくでも薄っすら意識する。
もう何も情報を入れたくなくても、勝手にSDGsやフードロスや脱炭素社会(カーボンニュートラル)などなど社会問題が耳に入ってくる日常である。
今までは<自分のために生きていた>人たちが、気持ちの一定数が満たされ<他者のために何ができるか><未来に目を向ける>ということを本格的に考え出した。
そして未曾有のコロナ禍で、更に価値観が刷新され、<当たり前>は<無くても・どちらでも良かったこと>があまりにも多く、アップデートされました。モノへの価値観のみならず、自分に対する意識もヒトとの価値観も変わりました。

時代で考える他人との差別化=生活の豊かさ

【昭和時代】モノで差別化できる時代
モノがあれば満たされ、高価なモノを手に入れることである程度、差別化できた。要因としては購入できる層が限られている時代背景が影響しているため。

【平成時代】目に見える消費で差別化できる時代
モノが飽和状態+経済がある程度安定していることで、モノだけでの差別化が難しくなった。ステータスの代表格、ブランド物は若者でも頑張れば買える時代に。
そのため、目に見えるお金の使い方(経験・体験・消費)で差別化を図る時代へと変革。
例えば、ハイクラスな旅行・高級な食事・限定された特別な体験・上質なサービス・度を越した買い物・美容施術など。
但し、消費傾向としては<自分さえ>よければ良い消費。

【令和時代】使って終わりではなく未来を考える時代
消費傾向としては<他者や環境を慮る消費>が空前のムーブメント兆し。
お金を使った先の、未来まで関心を持ち考える、行動と思考で差別化できる時代。自分と携わる環境や未来に目を向ける消費。
例えば、地産地消・クラウドファンディング・環境に配慮した商品を選択する・作り手に興味を持ち応援したい・歴史や想いを重視する など。
また傾向としては、<大衆が知っている>モノより<大衆の人がまだ知らない>ような商品などが好まれる傾向。これは近年過激になっている、所謂<推し活>にも該当する。モノや情報が錯綜する時代で、いかに<自分のお気に入り>を見つけるかが鍵。
自分の使うお金が、自分の好きなモノ・コト・ヒトに還元したいということ。

このように時代によって様々な価値観が変革しており、その人の生まれた時代に大きく左右されるものだと考える。
現代においては、上質なモノをモノは極力持たずスッキリさせたい人も多いが、実家にモノが溢れているのは親の世代や育てられてきた環境を考えれば、理解できない話でもない。

令和時代の心

令和まだ始まって数年ですが、色々ありましたね。
我々の先人たちが頑張ってきてくれたおかげで、もはや努力しなくても最低限の生活ができるようになりました。時代を超え享受されています。

<ジェンダーレス><労働や学びの自由><個性化><価値観の自由>など多くの人々が抑圧されず生きやすい社会へと徐々に傾きつつあります。
選択肢が広がることは、ある意味でレールが見えなくなることでもあるので、令和時代は自分の意思をどれだけ強く持てるか、自我がかなり必要になります。
しかし大半の日本人は、<自分で考える・主張する>が苦手だし、そういった教育も乏しいです。自由になる反面、取捨選択を余儀なくされるため、心も病みやすいかもしれません。また自由を履き違えると、大人になった時に後悔することもあるでしょう。ある意味でかなりのプレッシャー世代です。

代表格の<推し活>、なぜ人はハマるのか?
そんな目まぐるしく変わる世の中と、大多数の人間が<何者でもない自分>=自分のアイデンティティが確立できていない中で、自分の存在意義を認めて欲しい裏返しかもしれません。
純粋に応援する気持ちを持つ人も多いとは思いますが、若年層に至ってはお金を使うことで人に優しくして欲しいという心の脆さではないでしょうか。
SNSを見ていると若い子や学生の子が「paypay送らせて下さい」など普通に発言していて驚くばかりである。しかもアイドルでもない、一般人に貢ぐという。
(推し活はビジネスの形では凄いですが、行きすぎると心の闇になりそうで、平成生まれの私は心配でございます…。)

・お金持ち ・容姿が良い ・頭が良い ・良い企業に勤める etc
それで人は幸せ(生活が豊か)になれるのだろうか?
人よりも優れていれば、自ずと選択肢が広がるため、生活が豊かになる<可能性>は高いが、必ずそうとも言えない。お金や容姿は手段であり、結果ではない。

人は<自分のことを認めて欲しい><オリジナルの自分を確立したい>
それは、他人や社会と関わらないと実現できない。

他人や社会と関わることで、様々な価値観がアップデートしていき、自分の幸せが育まれます。<自分とは違うことを許容する><自分を確立すること>、それは本当の意味で<生活の“豊かさ”>へと繋がり、質が向上するのではないでしょうか。

余談ですが、コロナ禍になり婚活が盛り上がってるそうです。
コロナ禍以前では、街コンで男女が出会っても中々話せなかったそうですが、コロナ禍では「近づかないでください!」と言えば言うほど不思議なものでくっ付いてしまうそう…。
予測のつかないことが多い令和時代は、心が満たされない現状を、多くの人は他者や社会との結びつきを改めて考えるキッカケかもしれませんね。

まとめ

お金は手段なので無くてはなりませんが<お金があるから幸せ>にはなれない。但しお金は一番身近なので、物差しにはなる。
冒頭の話まで戻るが<お金・モノ>では人の幸せは測れない時代に来ている。

目まぐるしく変革する価値観に対して、本当の意味での<生活の“豊かさ”>を国全体で考え、目に見えない価値や思考に対する意識を向上すれば、日本の少子化や優秀な人材技術流失や自殺率やイジメ・虐待問題などは少しは改善するかもしれませんね。
日本は冷静に考えれば豊かで恵まれている国なのに、<日本の未来は暗い>と考えている人が多いこと。。かくいう私も暗いかなと思う派です。
人の<幸福度><心の豊かさ>をクリアーするには、結局のところ自分自身で乗り越えて解決するしかないのですが、そのキッカケとなる事象や環境が少しでも多くあれば良いなと願います。


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