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幸せひとつ、ふたつ、みっつ……いくつ?
最近、友人をひとり失った。
死別ではない。それは不幸中の幸い。
正確には最近というのも違う気もする。
前回の記事に「大学から仲良くしている友人グループ」と書いたけど、彼はその一人だった。
最後に遊んだのは2021年なので、まあ最近ではない。
シュレーディンガーの猫にたとえれば、箱を開けたのが最近という感じ。
自分たちが観測した結果、友人をひとり失ったことが確定した。
大学時代は何回も一緒に旅行をしたし、社会人になってからも飲んだり遊んだりしていた。
学生のようにとはいかなくても、たまに集まってバカ話をする関係が続くものと思っていた。
働きはじめてから彼はかなり多忙を極めていた。
一年目から働きまくっていた。
それでもたまに予定を合わせて遊びにいったりはしていた。
何年目からか、予定を立てても参加率が悪くなった。
まあでも、全員がそれぞれ仕事をしている身。
住んでいる場所だってバラバラだし、忙しければそういう時期もあるだろうと思った。
ところが、そういう時期に終わりはこなかった。
それどころか徐々に連絡さえままならなくなった。
グループLINEの反応がだんだん鈍くなり、しまいに既読もつかなくなった。
繋がっているSNSも全部稼働していない。
自分も含めた残りのメンバーはかなり心配した。
働き詰めなことを知っていたから、最悪のことも想像した。
冒頭に書いたとおり、最悪の事態ではなかった。
いろいろな手段を駆使してなんとか箱を開けたら、そこには幸せそうに生きている猫がいた。
実際は箱を開ける前からそのことは確定していて、それを観測できなかっただけ。ある意味元ネタどおり。
箱の外にいる時点で自分たちは友人ではなくなっていた。
いま思えば、それを信じたくなくて足掻いていた。
これ以上細かい経緯を書くと個人情報とかに触れそうなので、ここからはなるべく自分の気持ちのことだけを書く。
こういう結果を招いたことへの心当たりは、正直なところある。
決定的な何かが、というわけではなく小さなことの積み重ねなのだろう。
それすら合っているかわからないけど、自分はそう思う。
大喧嘩をするでもなく、彼が何を考えていたかもわからないまま疎遠になった。
今は「去るもの追わず」とカッコつけて結論づけている。
実際は追いに追いかけて、届かないことがわかってからの捨て台詞だけど。
かなり仲がいいグループのつもりだったけど、そんな友情も終わるときは終わる。
悲しいことだけど身をもって知った事実で、今続いている関係にも同じことが言える。
去った彼が何を思ったかわからないので、何を省みていいのかはわからない。
けど、今ある関係が当たり前ではないことは学べた。
たいへん幸せなことに、ここに書いた友人グループ以外にも自分は友人たちに恵まれている。
中学にも高校にも大学にも仲の良いグループがある。
面と向かってはなかなか気恥ずかしいけど、もしここを読んでくれていれば伝えたい。
いつも仲良くしてくれてありがとう。あなた達のおかげで自分は楽しく生きています。
お互いが見えなくならないくらいの距離感と価値観で年を重ねていけるといいね。
読んでない人に向けてはまあ、相当に酒に酔ったときにでも伝えようと思う。たぶん。