ショートショート「笑顔の男」/おせっかいな寓話
「サザエさん症候群」という言葉を作り出したのはいったい誰だったのだろう。それまで自覚していなかったモヤモヤした気分が、この言葉によって私の中で概念化されてしまったのだから、困ったものだ。
もっとも「サザエさん」のアニメをほとんど見ることのない私の場合は、日曜19時のNHKニュースを見ることで、その症候群が発症するわけなのだが。
翌日の出社に向け、社会で起きている出来事をニュースで確認することで自分の中の『サラリーマンスイッチ』をONに切り替えている、ということもできるかもしれない。してみると憂鬱なのは『サラリーマン人生そのもの』なのかもしれないが。
ともあれ、私はその日曜も19時のニュースをぼんやりと眺めていた。政治・経済のニュースが終わると、30代らしき女性アナウンサーが地方の事件・事故を伝え始めた。
「△△市の特別養護老人ホームで、86歳の女性が殴るけるなどの暴行を受けて死亡した事件で、警察は20代の職員の男を傷害致死の容疑で逮捕しました。警察は日常的に虐待があった可能性があるとみて調べています」
これだ。これだからブルーになってしまう。嫌な話じゃないか。ニュースのVTRの中で、男を知る近隣住民の男性がインタビューを受けている映像が流れた。
「ええ、笑顔が印象的ないいひとでしたよ。顔を合わせると挨拶もちゃんとしてね、入居者の人たちの面倒をよく見ていたようだったけどね」
画面は男性アナウンサーのワンショットに切り替わる。
「続いてのニュースです。〇〇市の保育園で、園児にわいせつな行為をしていた30代の保育士の男が逮捕されました。男は被害を受けた幼児に口止めをするなど、隠ぺいを図っていたことがわかりました」
町内会の会長がインタビューで男について語っていた。
「園の行事の時にね、見かけたことがありましたけど、いつも笑顔でね。一生懸命やっているいいひとだと思っていたんだけども、残念です」
また女性のアナウンサーに戻って、ニュースは続く。
「銀行職員を騙って高齢者からキャッシュカードをだまし取り、現金200万円を引き出した男が逮捕されました。被害にあった高齢女性は『親切そうな笑顔だったので信じてしまった』と話しています」
「なにか面白いニュースはあった?」
キッチンで食器を洗っていた妻が、タオルで手をぬぐいながら居間へと姿を見せた。
「世の中には『笑顔の素敵ないいひと』が、みちあふれているようだね」
「ふーん、笑顔のいいひとねえ。あー、いるわね、このマンションにも」
「え?」
「ほら、あの管理人さん。いつも私に笑顔で話しかけてくるのよ。親戚が送ってきたっていう野菜をくれたり、私の誕生日も知ってて、花をくれたり。親切な人っているのよね」
言いながら妻は洗面台の方に歩いて行った。手をぬぐったタオルを洗濯籠に入れに行ったようだ。
「・・・なあ」
「何?」
「引っ越さないか。できるだけ早いタイミングで」
「え?なんで?」
「いや、やっぱここ、交通の便が悪いし、夜道も暗いから不用心っていうか。もう少しアレな場所の方が・・・」
そういいながら私はもう、スマホで不動産屋を探し始めていた。
<終>