生理的欲求、大爆散
今日で3月は終わり、この駄文日記を始めてひと月が経とうとしている。
落ち込むことはあっても、何の実りもない月だった。
初手の日記から暗かったが、一月後もしっかり暗い。一貫性がありますね。
スタートダッシュはまず自己紹介とかした方がいいのだろうけれど、自分は何の肩書も経歴も持たないただの大学生だし、好きなモノやコトはこれから書いていくだろうし、男子大学生だとか女子大学生だとかわざわざ性別をつけて書く必要性があるのか疑問だったし、まあ、とかなんとか理由をつけてやらなかった(自分がいかにNote向いていないかがわかる)。
需要があるのかしら、それで検索する人もいるということですもんね。ただ、目に留めてもらうためには必要な努力なのだと最近は何となく分かってくるようになった。それでもやっぱり大学生というタグではダメなのかという違和感は残る。性別に関係なく、あなたの日記は素敵なのに。
言わなくてもいいことを書いてしまっているが、自己紹介はしてもしなくてもいいわけだし、自分の属性に性別をつけてもつけなくてもいい。正直、どちらでも良くて、どっちにも良さや理由ががあるのだろう。
というかそんなこと誰も気にならないか。野暮だな、野暮!
私はそれをしないというだけの話で、言葉狩りがしたい訳じゃないのでこの話は一旦忘れます(…ポカン!)
そうそう、明日からは4月ですね。
もうすぐ大学の講義が始まるので、春休みの名残惜しさ半分、楽しみな気持ちが半分といったところだろうか。
この一年、大学生活ばかりでなくあらゆる場面で制限がかかり、オンライン化が進んだ。思ってたんと違う感、半端じゃない。
講義がオンラインになったことによって外に出なくても良い安心感もあったが、自分の性分には合っていないということは段々わかってきた。
この講義はオンラインで良いなというものもあるが、熱心な教授の講義ほど対面で受けたかったという想いが募る。どうしようもないが。
実習だってオンラインで行った。戦い抜いた友人たちと「頑張ったよね」とか「支えになったよ、ありがとう」だとかを対面でねぎらい合うこともできなかった。仕方ない事ではあるが。
何が一番辛かったかというと、オンラインになったことによって課題が重くなり、生活が圧迫されたことだ。
私は家の中に居る時間をとても大切にしている。「生活が圧迫された」というと表現過多かもしれないが、四六時中レポートに追われ、生活をする時間が削がれていくのは精神的に来るものがあった。
課題を出さないでくれということを主張がしたい訳ではなくて、ゆっくり飯が食べたい、ゆっくりと風呂に浸かりたい、しっかりと眠りたいという基本的な欲求が大爆散しただけの話だ。
次から次に配布される課題文献を印刷しながら、この印刷にかかる経費もばかにならないよなとか考えていた。大学に行っていないうえにこちらで負担する費用が増えていないか。学費は変わらないというのに。
沢山の愚痴を吐いてしまったが、全ての事柄の裏を返せば、身体性を伴った学びの重要性であったり、自分の適性や能力であったり、大量の資料を準備してくれる教授の有難みみたいなものがわかった気がする。
また新しい大学生活が始まる。制約や苦しさがある中で何ができるかを考え、何を学び取ったのか振り返りながら、もがいていきたい。
_____________
みんなのフォトギャラリーってやつ、初めて使ったんですがめちゃくちゃ楽しいですね。「世界の美術館」の項目を観ていたら、あっという間に時間を使ってしまいました。