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『あなたを取材させてくれませんか?』第1回 高田勝太さん 前編「辛い現実の先に見つけたのは『人を喜ばせること』と『アイコンを見つけること』でした」

個人の発信が力を持つ時代において、それぞれの人に秘められた魅力と想いに迫ったインタビュー企画「あなたを取材させてくれませんか?」。

記念すべき第1回は現在、「90 English」という英語学習の習慣化オンラインスクールを提供する高田勝太さん(Twitterはこちら)。

現在は起業をして視座高く物事を見据え前向きに取り組んでいる彼だが、そこたどり着くまでには今の彼からは想像もできないほどの苦しみや挫折があった。今回は全2回で紹介します。

前編では学生時代に追い続けた企業での社会人生活から、どん底に落ちて見えた景色とそこから這い上がったきっかけを聞いた。


帰国子女なのに家族で自分だけが英語を話せないことがコンプレックスでものすごく勉強しました

ー高田さんが今やっていることを教えてください。
今は「90 English」という英語学習の習慣化オンラインスクールを運営しています。(https://90english.studio.design/

僕たちがやっているのはただのオンライン英会話ではなく、挫折しない環境をつくって英語学習を習慣化できるように教えています。
専属の日本人パートナーによるサポートがあるので、レッスンによっては日本語での指導で終わることもあります。受講者のレベルに合わせながら進めていきます。

90日間で『英語学習の習慣化』に全力でコミットする形で指導をしています。

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(英会話だけではなく「習慣化」にコミットした90 Englishの仕組み)

ー今やっているお仕事につながるまでの経緯をお聞かせください
はい、このサービス提供するようになったのは生い立ちも影響しているのかなと思います。
私はアラブ首長国連邦(ドバイ)生まれで帰国子女なのですが、当時家族の中でも自分だけが英語を話せないというコンプレックスがありました。
そこで大学受験の時に予備校で90日間ものすごく頑張った時期があって、英語の偏差値を28から68まで一気にあげることができたんです。この時の90日間が今のサービスの原体験になります。

ただ、当時の自分は英語を仕事にするつもりはなく、元々好きだったスポーツを学べる大学に進学しました。

ー大学でスポーツの学部に入ったきっかけは何でしょうか。
小さい頃からサッカーをしていて、スパイクとかグローブのギアの部分が好きでした。その頃からなんとなくスポーツ用品メーカーに興味があったことがきっかけですね。
ただ、第一志望の行きたい大学には落ちてしまいました。希望の大学に入れなかったことを引きずって腐るのが絶対に嫌だったので、大学に入ってからはすぐに就職活動に照準を定めてそこで結果を残せるように動きました。

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留学中に人が亡くなる交通事故に立ち会いました。その事故をきっかけに時間に関する価値観が変わりました。

ー大学生活の話を少し聞かせてください
大学1年の時に行った海外留学をきっかけに、とあるスポーツメーカーのインターンシップでライター活動などをするようになりました。

また派遣留学にも興味があり、派遣留学生になるためにフィリピンのセブ島で短期語学留学にも行っています。途中勉強が辛すぎて挫折しかけましたが、結果的に派遣留学生にも選ばれましたし、元々目指していたスポーツメーカーへの内定もいただきました。
当時は自分のやってきたことにすごく自信がありましたね。

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(セブ島でスピーキングがうまくできずに落ち込む高田さん)

ーセブ島での語学留学で挫折しかけたと言っていましたが、その時に何か支えになった出来事はありましたか?
支えではないかもしれませんが、生きていく中での大きな転機がありました。
セブ島で道を歩いていたら、偶然目の前で交通事故が起きて人が亡くなる瞬間に立ち会ったんです。バイクに乗った人をトラックが下敷きにしたのですが、その光景が当時あまりにもセンセーショナルで立ち尽くしてしまいました。

その時「自分もいつ死んでもおかしくない、今本当にやりたいことのために全力を尽くせているのか」と心の中で問い直しました。
そして、その事故をきっかけに時間に関する価値観が変わり、自分が本当にやりたいことに全力投球しないと後悔すると思うようになりました。今でもその価値観は大切にしています。

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本当に現実が辛く自分を嫌いになりました。でもその先で見つけたのは「人を喜ばせること」と「自分のアイコンを見つけること」でした。

ー大学で時間に関する価値観について考えられたことはすごく貴重ですね。その後かねてからの希望で入ることができた会社での話をお聞かせください。
はい。念願で入った会社ですが、実は配属されて半年くらいで強烈な違和感を感じ始め、2019年の2月に退職を決めました。
新入社員という理由で誰よりも早く出社して全員分の机を拭かなければいけないことやあいさつや接待など、何となく働いている人が多いなと感じていて、なんで会社を変えようと動かないんだろうというモヤモヤとした気持ちが続いたんです。
いろいろ考える中で、徐々に体にも異常が起きてしまいました。出社すると冷や汗をすごくかいたり、息苦しくなったり、呂律が回らなくなったり。そこの環境にいることや、何もできていない焦りやストレスがしんどかったですね。

そしてある日ストレスが限界に達して体が動かなくなってしまいました。その時は1番辛かったですね。自分の所属がない不安や自分が何者かが分からなくなる時間がありました。毎日夜は眠れず4時くらいに起きて食事もできず、1週間水しか飲めない時期もありました。とにかく自分が嫌いになってしまいました。

ー念願で入った会社で思うように働けず体調も崩してしまい本当に大変だったと思います。苦しい時期、次に向かって動こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
退職した直後は本当にずっと苦しかったのですが、徐々にこのままではいられない、これからどうしていこうかと思うようになりました。
その中で2つの軸に行き着いたんです。人を何かしら喜ばせることで生きがいを見つけたいということと、「○○のタカショー」のような自分のアイコンとなること見つけたいということでした。

そこで私が始めに行ったのは「靴磨き」です。きっかけは11月くらいに友達の結婚式で受付をした時のお礼として靴磨きセットを一式でもらったんです。
その時に思い出したのが大学時代に初めて自分の靴を路上で磨いてくれた人の存在でした。彼は夢を叶えるためにチップ制でやっていたのですが、靴を綺麗に磨いてもらってとても嬉しかったしかっこいいなと感じたので、自分も靴磨きを通じて人を喜ばせたいと思うようになりました。

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(路上で「1円靴磨き」を行う高田さん)

ただ、普通に靴磨きをしても自分としてのアイコンを獲得できないので、面白いアイデアがないかと考えていた時に、キングコングの西野亮廣さんとホームレス芸人の小谷真理さんを思い出しました。
小谷さんは自分の1日を50円で売っている方で、その取り組みを参考にして靴磨きの時間に換算すると1円くらいかなと思ったので「1円で靴磨きするのってけっこうおもしろいかも」と思い、すぐにやってみることにしました。

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(「1円靴磨き」のきっかけとなる"ホームレス芸人"小谷さんとの出会い)

そこからSNSで発信しながら活動していると応援してくれる人も増えてきて、だんだんと自信を取り戻すようになりました。当時人と話すのが怖いと思っていたのですが、それも自然となくなってきましたね。結果的に「1円靴磨きのタカショー」として自分のアイコンを手に入れることができてどん底から帰ってくることができました。

(前編終了)
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何度くじけそうになっても自分の中で解を見つけて前に突き進み続けた高田さん。

後編では「1円靴磨きのタカショー」という自分のアイコンを手に入れた高田さんが靴磨きを通じてつながった思わぬ縁から今の仕事に繋がるまでを紹介します。

お楽しみに!

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