不動産屋なんて、ない西表島 Iriomote#03
家探しは2年越し?
西表島に住むことを決めた。
次は家探しだ。
西表島に不動産屋さんは、ない。
それは全く気にならなかった。
だって、住んでいる人は2500人。家は、1000軒あるかな?全部見て回ってもしれてるし、気に入ったものがあったら、持ち主を見つけるのも簡単だろう。
と、思った。はるかに広い沖縄本島を走り回っていたから、なんだか気楽に考えていた。
島を観光がてら回りながら、会う人会う人に
「どこか家は空いていませんか?」
と聞いてみることにした。
ランチハウス「たまご」、星砂ペンション、デンサー食堂、スーパーかわみつ、ミトレアキャンプ場、、、
地元の方がされているところも、移住者がしているところもあった。
どこも、のんびりしている。が、家を紹介してくれるところは、なかった。
でも、沖縄の人はいつも暖かく迎えてくれるのが嬉しい。
「移住したいくらい西表を気に入っちゃった女の子」なんて、たくさんいるんだろうなあ。いちいち、探してあげるなんてこと、できないだろうなあ。
それは「西表手仕事センター」に行ったとき。
「西表、大好きになりました!家、探してるんです」
と明るく言うと
「そうなのー、よかったねー。2年も探してみたら見つかるかもね」
と返された。
「、、、ええ?!、、2年?
どういうこと??
2年も待てるほど、私の人生はのんびりしてないんだけど」
と思ったけれど
その方曰く、ここに通っていた女性が、やはり西表島に住みたくなって2年間家探しをしたけれど見つからず、諦めて帰ったらしい。
そ、そんな困難なんですか、西表島の家探し、、、。
返す言葉も見つからず、私の笑顔はひきつっていたかもしれない。
明るいふりしてセンターは出たけれど、前途多難な予感がし始めた。
結局、初めての西表滞在の間に家が見つかるなんてことは、なかった。
諦めて一度、芦屋に戻ることにした。
本能の強い私
ここでひとつ、告白したいことがある。
今でこそ、かつての私なら自分でも信じられないほどの禁欲生活の私だが 笑
その昔は「肉食系女子」「メスライオン」って呼ばれてたこともあったんです。
きっと私は、いろんなことに関して、現代日本人の中ではかなり「本能的」なんだと思う。
恋愛に関しても
「あ、この人。私、この人が大好き。」
って一瞬でわかる方。
「惚れっぽい」ってことではないように思う。だって、これまでの人生でそう思ったのは、2〜3人かな。(なぜ幅がある!)
次のレベルが、「まあ、いいかもね」というもので、ジュンさんはそれだった。「まあ、いいかもね」と思って、どんなタイミングだったかは忘れてしまったけど、私からモーションをかけて男女の仲になった。あ、想像していた?笑
このあたりは、「若さってすごいな!」と我ながら思うところだが、
とある人の説によると、自分とDNA的によく合う人は、50人に1人いるらしい!!
「そんなに多いの?」と思うけれど、後天的な育った環境で合わなくなる人もたくさんいると思えば、50人に1人でもおかしくない気もする。
そして、女性は「視覚」と「嗅覚」で、「この人」と思ったら、ほぼ当たるらしい。あくまで、DNA的に合うという意味でね。(男は違うんだって)
だから、きっとジュンさんもDNA的には合っていたんだと思う。
でも、実は、後で私がしばらく罪悪感に苛まれたのは、そのタイミング。
「移住したいから、男女の仲を利用したんじゃないの?」
なんて思ってしまって、その後、ジュンさんとうまくいかなくなってから、自分を自分で責めていた時期も短からずあった。
何はともあれ、移住したいと思っている島に恋人ができるって、気分もウキウキ!
ジュンさんも可愛らしいことにウキウキで、私が芦屋に戻っている間にも「ここにこんな空き家があった」など連絡をくれた。
次回こそは家を見つけるぞ、と可能な限り西表で過ごせるようにフライトを取って、13日間の滞在予定で家探しを続けることにした。2年間かけて見つけるのに比べたら、13日間なんて短かすぎるんだけど、
「2年でも、13日でも、見つかる時は一瞬だ!同じだ!」
という、よくわからない理屈をつけて気持ちを盛り上げ、私は2度目の西表島に乗り込んだ。
今回は民宿を予約しくてもいい。
ジュンさんは、小さなコンテナハウスに住んでいた。そこに泊めてもらった。裏庭にミニトマトを植えていて、「台風が来るとすぐに潮に負けて枯れてしまう」とぼやきながら、毎日夕食の一品にミニトマトを並べてくれた。
台風の時は飛んでいきそうに揺れる、というコンテナハウスは、朝、太陽が昇るとすぐに温室のように暑くなった。とても2人で住める大きさではなかったし、私はマッサージのお店をしようと思っているのだから、他の家を見つけるしかなかった。
安易に「一緒に住もう」と言わないジュンさんに、私は「大人だな」と思いつつも、「どうしても一緒に住みたい、と2人とも思っていないみたい」と感じているところもあった。
朝起きてジュンさんは仕事に行き、私は家探しに島を回った。
ある時、ジュンさんが原付を貸してくれたことがあった。自転車も苦手な私は、初めて乗る原付で、あっさり転んで、左脚を原付の下に挟んでしまった。後ろから車が来ていて、怖かったなあ。血は出なかったけれど、ひどく内出血した。
しばらく歩いて回ろう。
2回目の西表、「独身会長」になった私
Iriomote #4 につづく
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