それぞれのVOCALOIDとの付き合い方

どうも未成年です。成人してます。

先日、ボカクイ2というボカロ×クイズの大会が行われました。
前回ボカクイ1・ファイナリストの私は、今回は運営側で
ボカロやクイズが好きな人たちを支え盛り上げる役に回りました。

決勝に進んだ人々は決勝戦が始まる前と、終わった後に一言ずつコメントを
言っておりましたが、そこで私は驚愕しました。

「いや、人々ボカロのこと好きすぎじゃないか?」

こんな大勢が見守る中、ボカロという文化を愛している!とか、
VOCALOID最高!とか、VOCALOIDに関わる皆さんありがとう!とか、

当然ボカロのこと好きだし、よい文化だと思うし、
関わっている人への感謝はあるけど、
大勢が見守る中で、それをコメントできるほどVOCALOIDを愛しているか?
と言われれば、全くそんなことはないことに気付かされました。

いや、元々気付いていたけれども、それをまさに肌で感じた。
の方が正しいかもしれません。



元々ボカロを聴いたきっかけは小5の頃に引っ越してきた友人が
『おなかすいたうた』を急におすすめしてきたからだし、
ハマるきっかけはその後『メルト』を聴いて、
『おなかすいたうた』とのギャップに「多様性すぎる」と思ったからで、

VOCALOIDを聴き続けていた要因が何か?
と問われるとその多様性の部分が大きく、
初音ミクを聴くだけでいろいろな音楽に出会えることに加えて、
ニコニコ動画という箱があったのも便利でした。
この動画サイトの中で様々な音楽を無料で聴くことができる!

つまり人間の楽曲を聴いてこなかった理由は、
聴く術がなかったから、だったのです。
いろいろな楽曲を知りたいと思って知らないアーティストのCDなんか
買うわけがないし、お金かかるし、転載動画はあんまよくないし、、

ただし、オタクの文化であるということへの恥じらいはめちゃくちゃあり、
今でも『愛されなくても君がいる』とか聴くと
「やめてくれ~~~恥ずかしい~~~」と思います。

そんなわけで高校卒業する頃(2014年ぐらい)には
もうほとんどVOCALOIDを聴かなくなっていました。
単純に職に就いて忙しくなったのと、
その頃には人間のMVが普通にYouTubeに出る時代になっていたし、
カラオケ屋で働き始めたのも
有線でよい曲が流れてきたらメモって聴くのに便利でした。

2016年5月、『すきなことだけでいいです』と『脱獄』が同時投稿されたことをきっかけに「この回のぼからんはどうなるんだ」という点から、
ボカロを再度聴くようになりました。

で、今なおボカロを聴き続けているのは、
VOCALOIDと人間の境目がなくなってきているからです。
ボカロたちの歌がうまくなったとかそういう話ではなく、
大衆にVOCALOIDが受け入れられ、人間の楽曲と同様にランキングに載り、
ボカロPは人間への楽曲提供を行なったり、自分で歌ったりしています。
正直ボカロを聴くのも人間を聴くのも労力が変わらん。
まあどっちも聴くか・・・が正しい。

私は初音ミクのことを幼馴染と表現していますが、
別に会えば普通に会話するし、会わないなら会わないでそれだけ、
たまに会いたくなって声かけに行くが、お互い別に恋人がいる。
ぐらいの幼馴染で、
毎日初音ミクと暮らしたいとか、んなこたぁ思わないわけです。


お、久しぶりじゃん
こないだの曲聴いたよ あれいいね
ライブとかまだやってん?
へーすげー
俺?俺は別にいいよライブとか はずいし
そっちはそっちでがんばって 応援してるわ
今度メシでも行こうぜ
そっちも忙しいと思うしあんま合わせられるかわからんけど。
いやいや遊び行くのははずい あの初音ミク様と
うそうそ 半分冗談だって ごめんごめん
あ~その日は人間と予定あるわ、
また連絡するよ
じゃまたね

ぐらいの距離感でちょうどいいわけです。

今後ともゆるくよろしくねVOCALOID・初音ミク。

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