呟き日記 vol.39 ふとした瞬間、生。

あつい。今季のエアコン冷房解禁。
梅雨時だからと常用で飲み始めた五苓散をもってしてもこの湿度と暑さには太刀打ちできなかった。
身体が『もうギブ〜〜』となる前に頼れるものには頼るということを大人になってよくよく学んだ。
朝のうちから夜は素麺を食べると決めていたので、製氷器を洗い水を張って冷凍庫にセットしてから家を出た(そこそこ時間なかったのに)。帰って脇目も降らず湯を沸かし麺を茹でポンポンポンといくつも氷を入れて冷やした。薬味を冷凍しておき最後に乗せるとシャーベット状になってより冷たく食べられるからとても良い。うん、大満足です。味覚がすっかり夏だ。

気づいたらNetflixにあの花が復活してた。噛み締めながら観る。サークルゲームと映像がマッチしすぎて美しいのでOPは飛ばせない。ふとしたシーンで泣いちゃうな。夏になるタイミングでこれを観れる嬉しさ。WIND BREAKERで『お前の拳は軽い。なぜなら何も背負ってねぇからだ。』って台詞があった。重たかった。わたしが背負ってるものって一体なんだろうか。気持ちだけいつも岩石みたいに重たいフリして、実は軽石でしたみたいな感じだろうな。本当に何かを背負って生きてる人は、なんにもないフリして、にこやかに笑うつよい人だ。

やさしさに見返りを求めたことはないけど、だからって安売り(といったら語弊があるけど)してるわけでもなくて、やさしくしたいからするとかではなく、こうすべきだ(したい!)と思ったことをしたらそれがやさしさとして認識された。という方が近いかもしれない。ただひとつだけ言えるのは、わたしは自分を擦り減らすやさしさとはべつの、もっと単純で本能的な類のそれで在りたい、と思ってるということ。
そしてそれは必ず相手にも伝わる、ということ。
ただそれだけのはなしだ。

最近の愛だとか優しさだとかのあれこれは、台所に立ち野菜を切っているときや、鍋を火にかけてるのを待っている間や、ひたすらに洗い物をしてるときにふと、思い浮かぶものばかり。
大切なことは、日常にひっそりと潜むものなのだと、改めて思い知る日々ですね。