吹雪電車とかりんとう
心からのお礼や相手を敬う気持ちを示す時、日本人には「お辞儀」という作法がある。ただ この所作を生活の中では形式的に行いすぎていて、その行動が示す意味を深く考えなくなっ ている。
石川は雪国だ。その日も朝から雪が降る予報であったが、金沢の画塾から帰ってくる時間に は、もう市内全域で吹雪になっていた。二両しかない小さな電車は、風の猛威に耐えながらやっとの思いで進む。だが、もう耐えられませんと言った風に始発からほんの数駅で停まってしまった。
窓際の席で、びゅうびゅうと音を立てて砕け散る雪を眺めながら 「座れていてよかったなぁ」と私は少し安堵した。田舎の鈍行特有の、進行方向に対して垂直に2列ずつ並んだ座席の、私は窓際に座れていた。これが席につけないままで立ち往生、なんてことになったら辛くてしょうがない。
さて、20分経っても30分たっても電車は動き出す気配がない。痺れを切らした何人かが、コートをぎゅっととじて停車したままの駅で降りて行く。田舎の鈍行はドアがボタン式なので、開閉するたびに冷たい風と雪が飛び込んでくる。あわてて入り口付近の人が「閉」ボタンを押しに走る。
更に1時間が経過したが「ただいま走行が困難のため、運転再開を見合わせております」うんぬんといったアナウンスが繰り返されるばかりで、一行に動く気配がない。私の手元では折り畳み式の携帯(つまりガラケーである)の充電がもう残りわずかになっている。最終的に運転が再開して地元にたどり着くか、諦めてここで降りるにしても、母に車で迎えに来てもらわないと帰れない。そのための連絡手段は活かしておかないといけない。携帯をいじるのをやめ、ぼんやりと吹雪の景色を眺めていた。
「あの、すみません。」
話しかけて来たのは、隣に座っている人だった。
「その携帯を貸してもらえませんか。遅れることを家族に伝えたいのですが、充電が切れてしまって…」
申し訳なさそうに、白髪の奥さんが私の携帯を指差した。
咄嗟に私は「いいですよ」が言えなくて困った。全く同じ条件で、私も携帯を使う予定があるのだ。他人に貸して、しかも初老のおばさんだし、操作に手こずって長々と話しているうちに、充電が切れたらどうしよう。「いいですよ」どころか「え、 何で」「嫌なんですけど」がうわーっと脳内を占めた。思春期ど真ん中の私は「すぐに返して下さいよ」を飲み込んで、どう見ても渋々といった態度で携帯をおばさんに渡した。すみませんねぇとにこやかに言われて、軽く操作を説明する。
おばさんの相手は娘さんだったようで「ご飯の用意はできないから、先に食べてて」といった内容であり、電話は非常に簡潔に終わった。おばさんは娘の電話番号も暗記しており、メモはどこにあったかしら、などともたつくことも無く、通話ボタンとキーパッドだけをスムーズに操作していた。心配してケチろうとした充電の減りはほとんど無く、私は座りの悪い気持ちになってしまった。
それから数十分、まだ電車は動かない。
「お嬢さん、よかったらどう?」と、先ほどの おばさんが突然差し出したのは、かりんとうの袋だった。黒くつやつやして、親指くらいの太さの、昔ながらのかりんとう。普段から和菓子を食べる習慣は無かったし、甘いものはすぐ肌荒れに影響するから正直食べたことは無かったけれど「あ、頂きます。すいません」と反射的に謝ってから、貰ってしまった。
かりんとうは思ったより歯ごたえがあっ て、甘さも色の割に上品だ。おいしいですね、と思わず言うと、これは金沢の百貨店でしか買えない有名なかりんとうだということを教えてくれた。
「家族のお土産にと思ったんだけど、 遅くなりそうだし、お腹もすいちゃったし。さっきのお礼をと思って、ね。」
私は恥ずかしかった。そして情けない、と思った。渋々貸した携帯の「お礼」を、こんなにすぐに形にしてくれた人に対して、後ろめたさと自分の未熟さを感じた。
かりんとうを交互につまみながら、ぽつぽつと今日金沢でしてきたことや、どこに帰るか、電車の心配など、他愛のない話をした。
へえ、画塾通ってるの、美大受けるの。すごいねぇ、偉いねぇ。今日は災難ねぇ。
奥さんはとても上品な語り口だった。
強ばった吹雪電車が、やわらかく上品な甘さで満たされて行く。静かな車内にガリゴリと音を響かせながら、この空間で今、私とこの奥さんだけが幸せかもしれないと思った。
結局2時間停車して、そこから2駅進んだところでまた電車が停まったので、私は諦めて母に迎えに来てもらう連絡を取った。実家からこの駅までは車で30分程で着くだろう。この停車駅は比較的新しいので、広めの待合室があるし、30分くらいなら暖い状態で待つことは出来る。母と連絡がついたのでこの駅で降りますと奥さんに告げ、私はホームへ降り立った。
降りてしまってから、私はあの奥さんに何かを返さないといけないとしきりに思ったのだが、何をしたらいいのか分からない。そう言えば名前も聞いていない。優しい人だった。あの奥さんにとっては、私もちゃんと「親切なお嬢さん」 だったのだろうか。あなたの優しさと、私のそれは多分違うと思います。同じ状況でも、私にはあそこまでできないんだろうなと。ほんの少しの間だったけれど、私は初めて見知らぬ人を尊敬したと思う。
もやもやとうろたえているうちに、さっきまで停まっていた電車が、前方の電車がホームに入ったのに合わせたのか、がたがたと動き出した。あ、何も返せていない。けど、行ってしまう。そう思ったときに、窓越しでにこやかにかりんとうを振る奥さんに向かって、深々とお辞儀をした。
電車がすべり出し、ホームを過ぎてゆくまでずっと、体をめいっぱい折り畳んで、お辞儀を続けた。私は何だか泣きそうになって、電車が行ってしまってもしばらく続けていた。
それはすごく重要な出来事だった気がして、迎えに来た母の車の中でも、私は「疲れた」と一言言って眠り、吹雪電車とかりんとうの奥さんの話はしなかった。
おわり
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