神の手のひら

私が知ってる神さまの手の感触の話

小さい頃から、私はあまり病気をしない。ケガもしない。
今でこそ「プラシーボ効果」という言葉を知って、本当に病は気からなんだと分かるようになったが、めったに医者にかからない私は、それを自分でも自信にして暗示にかけていたからかもしれない。

だから医者にかかった記憶はごくわずかで、限られる。
中学何年生かの夏に、部活中に転んで骨折した右手首か、魚の目ができた左手の中指だったか。それとも小学生のころ初めてかかったインフルエンザか、勢いよく差した傘の端っこがかすめて傷ついた左眼だったか。
あの人は何を治してくれたんだっけか。

 色黒で、猫っ毛の短髪で、男の子に間違われていたような小さい私。
初めて来る診療所は、ここだけ時代を間違えているような、古く小さい木造の一軒家だった。どうやって続けているんだろう、と心配になるような古さで、看板も手描きの筆文字で仰々しかった。黒まむしやらの節足動物の怪しい薬で、まじないじみた治療をされるのではないかと心配になった。

私は待合室にいた。
焦げたような杉板の床を見つめていたから、きっと緊張していたのだろう。
隣には母が居たけれど、手を繋ぐような年齢ではなかった。

診療室に入ると景色が変わった。
全体的に同じく古いのだが窓は大きく、光が差し込んでいて、外から見ていた印象よりも明るく感じる。
その光を受けてくるりと椅子ごと振り返ったその医者は、白衣に、白い髭をたくわえた、仙人のようなおじいさんだった。

私はもっと緊張した。というより、面食らった。
見るからによぼよぼしていて、白いひげは胸まで垂らしており、ところどころ縮れ毛がある。
目も、もともと細いのかシワに埋もれているのか分からない。
幼い私の辞書に最近追加されたのか「ヤブ」という言葉がはっきりと浮かんだ。

白い髭を震わせて喋るたびに、本当に診察できるのだろうかと不安になった。しかも、母はこういう(見た目からしていかにも、な)人を安易に信頼するタイプだったのか?と訝しんだ。母は私の後ろに立っていて、アレルギーはないかとか、風疹の注射は受けているかとか、私の代わりにせっせと答えており、その顔を確認することはできなかった。

おそらく骨折の時だった。だから、右腕の感触を覚えている。

いくつかの問診のあと、よぼよぼの白ひげのおじいちゃん先生の手が触れた時、私はどきりとした。「あれっ」と声に出そうになった。
少しひやっとした、すべすべの、びっくりするほど柔らかい手をしていたのだ。まるで、手だけが歳をとっていないような。気持ちのいい手だった。

私はその頃一緒に暮らしていた祖父のことが嫌いだった。
老人というのはみんなカラカラに渇いていて、筋肉が衰え、皮膚が薄く骨張っている。できれば触れられたくないもので、拒むべき存在だったのだ。

だから、たまげた。
白ひげ先生は私の手首に軟膏を塗ってくれた。
手をすべらせ往復させるのだが、これがとても気持ち良い。
これまで何も傷つけたことがない、と言っているみたいに、医者の意志は、皮膚を通じて伝わってきた。
彼はこの手で、ずっと治してきたのだ。

見えないたくさんの患者が周りに居るようだった。こうやって子どもから大人まで、薬を塗ってきたんだと。その手が、人に触れるためのものとして、長く愛されてきたことが分かる。

何か大きな病に侵されたわけでもない私にも、
神様の手のひらは、きっとこんな柔らかさなんだろうと、悟りのように分かった。

数年後、たまたまその診療所を通りかかった時、私はここに来たことがあるのをすっかり忘れていた。
古く焦げ付いたような杉でできた門構えは、あの頃から時が止まっているかのようだった。
だが、「院長の永眠により、閉所」と書かれた貼り紙が、その「手」を思い出すには、十分すぎるきっかけとなった。

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