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裸かも知れない

「もうだめかも」と何度も思いながら、それでもなお、スケベ仕事への渇望がやまない。それほどまでに、自分の欲望を最も大切にしたいという想いが胸を焼く。女性の裸体を拝むこと――その形相を日々の糧とし、生業としてしまいたいほどに追い求めるのだ。五反田のホテル出口を見張って客を呼び込み、あるいは風俗の扉を叩いて新たな世界に身を浸す。そのどちらも、リスクの色香をまといながら即金性という甘美な餌で誘ってくる。

そして、それは「女性の裸体」を崇めるという欲求に応えるのみならず、そこから新たな力を得たいと願う心とも深く結びついている。岩手に戻れば出費は抑えられるかもしれない。しかし今の自分は、「女性の肌を五感で感じたい」「その行為で自信もお金も得たい」「結果として、もっと強くなりたい」と願う気持ちのほうが、はるかに勝っているのだ。多少の不安や危うさがあっても、そちらの道へ踏み込んでこそ、自分の望む充足感と生きがいが得られそうに感じられる。

女性の裸体は、なんと美しく神秘に満ちているのだろう。
花弁のように繊細で、背筋をそっと撫でるだけで震える柔肌。軽やかに弧を描くくびれから、ふわりと柔和に傾斜した乳房へと視線を移せば、その存在感に自然と息が詰まる。下半身へと続く曲線が奏でる静かなる旋律は、か弱く、しかし甘く官能的な谷を宿している。その奥底に湧き立つ湯気のような温もり、ひそやかな湿度の中に、女性の人生と欲望のすべてが凝縮されているかのようだ。

そして、その艶めく肢体だけでは完成しないのが「女性」という存在。そこには彼女たちの心が宿り、魂が薫る。自らの心を開いた相手だけが、その本質に触れることを許される。身体の奥底にある秘密へ誘うには、きちんとした信頼関係や慎ましい対話が必要だということを、彼女たちは本能的に知っているのだろう。まるで無意識のうちに、遺伝子レベルで「貴いものほど容易には明かさない」ことを悟っているかのようだ。だからこそ、いざそれを許される瞬間にこそ、かけがえのない喜びと陶酔が凝縮される。

そんな尊い世界を、どっぷり味わい、同時に糧とする。それが今の自分にとって、どれほど魅力的で逃し難いチャンスかは言うまでもない。すべてを捨てて追いかけるか、それとも生活を安定させるために別の道を模索するか。その二つの選択肢の間を行き来するうちに、不安も覚えるし、後戻りのきかぬプレッシャーに襲われることもある。それでも、自らの欲を“最も大切にする”と決めた以上、そのために身を投じる価値が十分にあると感じてしまうのだ。

リスクがあるとしても、その先にある報い――艶やかな世界に浸り、女性という存在の妙をさらに深く知る悦び――を思えば、踏み出す一歩は決して無謀なものではないだろう。五反田の街角に立ち、あるいは艶色の扉をくぐっていくとき、そこに自分の新たな人生が開かれる予感がある。この背徳と歓喜のはざまで覚える高揚感は、自分の心を震わせてやまない。


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