コロナと矢野顕子が、音楽の先生に思えた夜。
矢野顕子「さとがえるコンサート2020」に行った。
コロナの第二波が収まりつつあった10月中旬に友人のコンサートを聴きに
ライブハウスに行ったが、ホールに行ったのはコロナ前以来だから本当に久々だ。
会場は渋谷NHKホール。座席は一つ空けて座るようになっていた。
私の席は、何と前から2列目!(Sさん、ありがとう!)
NHKホールでの私史上最前列は、1987年大貫妙子「A SLICE OF LIFEコンサート」の
前から6列目だから、33年ぶりの記録更新だ!
今回、バックアップ・ミュージシャンは林立夫D、小原礼B、佐橋佳幸G。
オープニングの二曲が終わりブレイクに入った段階で、もう拍手が鳴り止まなかった。
好きな音楽家の生演奏を聴く、一寸前までは当たり前だったことが、
何か物凄く有り難く貴重なものに感じられて、私も拍手しつづけた。
矢野さんも感極まった様子だった。
80年代の名曲を数多く演奏してくれた。
「ふり向けばカエル」とか、バンド編成で聴くのは初めてだった。
「春咲小紅」も、私はライヴで聴くのは初めてだった。
矢野顕子ライヴ20回以上は行っていると思うが、
私が行った1987年から2015年ぐらいは、「春咲小紅」をバンド編成で歌うのはまず
有り得ないことだった。一緒に行ったSさんによると、最近は良く演っているそうだが…。
やはり久々にライヴで聴いた「また会おね」含め、
(1999年、大村憲司トリビュートコンサートでの演奏が私にとって印象的)
YMOテイスト全開の楽曲「春咲小紅」「また会おね」を
高橋幸宏でなく林立夫ドラムで聴けたのは、格別の趣きがあった。
(YMO、初期の構想では林立夫ドラムだったはず)
山下達郎「PAPER DOLL」のカヴァーは、この4人ならではのカッコ良さ!
「津軽海峡冬景色」のカヴァーも聴けて、異次元の味わいがあったが、
私はこれを好きとは言わない。この曲を取り上げる必然性を感じない。
あっ、矢野さんは幼少期、青森県で過ごされたのか?
「ラーメン食べたい」「ごはんができたよ」、
80年代のこの曲が発表された当時、曲はテクノでカッコ良かったのに、
背伸びも何にもしていない、日常的な詞の世界がとにかく私は苦手だったっけ。
イッセイミヤケとかヨージヤマモトを着て、
こんな庶民感覚丸出しの歌を唄われても、
ウソっぽいと思った。
これをありがたがる“ヘンタイよいこ”“宝島〜ビックリハウス”的価値観が
とにかくキライだった。
昼にのり弁当を食べるワンレンのハウスマヌカンのようなアンバランスさを感じた。
AORやフュージョン、ユーミンやタツローを聴きながら、
湘南をクルマで走るPOPEYE少年やJJ(ついに実質休刊!)ガールのほうが、
まだ健康的で正直だと思った。
わかるようになったのは90年代コピーライターになってからだった。
演奏を聴きながら、そんなことを懐かしく思い出した。
本編最後「ひとつだけ」、
アンコール最後「GREENFIELDS」、
ありがとう! 大好きな曲!
今日は演奏されなかったが、これにデビューアルバム収録「電話線」を加えた三曲が、
今も変わらぬ、そして私にとって永遠の矢野顕子ベスト3 SONGSだ!
マスクをしていたし、前後左右空席なので、曲に併せて大きめの声で歌った!
(カラオケも、コロナが始まって以来行けてないな)
ライヴが終わったとき、マスクの上部が涙で濡れていた。
音楽を奏でること、
歌を唄うこと、
それを生で聴くこと、
人間にとって、太古の昔から続いてきた、大切な行為なんだよな。
そんなことを改めて感じさせてくれた
名うての音楽家たちの演奏と、矢野顕子の歌唱だった。
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